第1回
さくらちゃんだけの世界
毎月園内研修でお邪魔しているある公立園のエピソードです。
とても狭い園庭ですが、工夫された環境の中で、朝早くからさまざまな年齢の子どもたちが遊びほうけています。
子どもたちの傍らに寄り添いながら、『さて今日はどんな物語と遭遇するのでしょう?』そう思っただけでいつもわくわくしてしまうのが私です。
園庭の全体を見渡しながら、これはおもしろそうと思った遊びの始まりから終息まで、拘り見続けてどれだけの時間が過ぎたのかしら?
まさに遊びほうけた90分を、3歳児がみごとに醸し出してくれました。
砂と戯れる3歳児クラスのさくらちゃん(仮名)
最初は男の子と砂場でしゃがんで砂と水を使って遊んでいました。
砂場の道具を使って、砂を入れる、水をかける、を交互に繰り返しながら、水加減で砂の感触が変わるということを確かめるかのようにひたすら遊び続けていました。その間、2人は寡黙です。分担してか、しないでか、ひたすら水を運ぶのが男の子です。
しゃがんで砂を足したり、混ぜたり、握るのはさくらちゃんです。その様子からさくらちゃんの心持ちが伝わってきました。あそびのリードをしているのがさくらちゃんで、従っているかのように映るのが男の子です。
30分以上はここでこうして遊んでいた2人が、その場を離れて、すうっと園庭に移動していきました。そこは、3歳児クラス前でもあります。2人は斜めに対面してしゃがんで遊び始めました。何をするとは相談していませんでしたが、手にしている物は砂場の道具の型抜きでした。赤と青の亀です。
亀を地面に置き、両手をサイドに広げて白砂をかけていく、何回も何回もかけていくことに、ひたすら専念していました。
ここでも2人は寡黙でしたが、さくらちゃんのつぶやきを拾うことができました。
たった一言のつぶやきで、2人が何をしようとしているのか感じることができたのです。
「亀さんに砂をかけて、お昼寝させるんだあ!」
とかく大人は待てず、子どもの意図に気づこうとせずに、
「何してるの? 何をつくろうとしているの?」と聞いてしまいがちです。
子どもにとっては、その一言で心持ちが揺らいだり、遊びが壊されたりするものです。子どもたちは、『しっかり見守って気づいてほしい』と願っていると思いませんか?
さくらちゃんは、一瞬その場所を離れて、何やら手にしているものがありました。
赤い亀と細いスズランテープです。テープの端を亀の下にくぐらせて、端と端を結ぼうとしているのですが、なかなか思うように結べません。
結ぶには、寸足らずの長さに映りますが、『何とかしたい! どうしたらできるの??』という一生懸命さが伝わってきました。
そのとき、私がそばにいることに気づいてくれましたが、
やって! とも、手伝って! とも、できない! とも言わずに、ひたすらにテープを結ぼうとしていました。
「亀さんが逃げないように結ぶの」
園庭に集う友だちは、2人を残したまま室内に戻っていきます。誰にも邪魔されない、大人も大声をあげることをしない世界にいると周りに気づかずに没頭できるのです。
男の子はみんなが食事をし始めている風景を目の当たりにすると自分から部屋に戻っていきました。
何も言わずにその場を離れるところが、3歳児らしいと思うと自然に笑みが。
でも、すでに食事の支度を始めている友だちは黙っていません。
テラスから、両手を口元にあてて「さくらちゃーん、ごはんですよ!」と何回も呼び込んでいましたが、本人は全く振り向きません。すると、呼んでいたはずの女の子も靴を履いてさくらちゃんのとなりにしゃがんで遊び始めたのです。
(あらあら?)
またも3歳児らしい光景、と思わずクスッと笑ってしまいました。
でもここでさくらちゃんたちに急かすしかるようなことばをかけたら、どうなってしまうでしょうか?
自ら気づくこと・自ら切り替えること。
大人から指示をせず、子どもが自分で体験をくぐり、そこで初めて本物の経験をつかむということをどれだけ本気で考えて、受け止めている大人がいるのでしょうか?
やがて、部屋から先生が顔を出して「お食事にしませんか?」とことばをかけていました。一緒に遊んでしまった女の子も『そうだったあ!』とばかりに、あわてて戻っていきましたが、さくらちゃんは一人残って、テープと格闘していました。
しばらくしてから、顔を上げて周りを見渡し、誰も居ないことに気づいてやっと部屋に戻ろうとしたのです。
亀のテープは結んだつもり、サラサラの砂をかけ、おやすみなさいの気持ちを届けて部屋の中へ入っていきました。
園庭側から部屋をのぞいていたら、先生は「お帰りなさい! お着替えして食事にしよう」と優しいことばをかけていました。
皆さんだったら、どうでしょう?
これだけ長い時間、さくらちゃんの力を信じて待てるでしょうか?
さくらちゃんの心持ちに気づけるでしょうか?
とても満足した笑顔で「美味しい!」と言いながら食事をいただくさくらちゃん。これ以上の幸せはないと心から思いました。
私もたくさんの幸せをいただきました。
......大人の都合が最優先になっていませんか?
子育ても保育も教育も。
コメント(9)
子どもを信じて待つ
集団のなかにいると、簡単なようでいて、なかなか難しいようです。食事も「どこまで待つか」を悩んでいる先生たちです。でも、悩むのは子どもたちの最善の利益を守ってあげたいという思いの表れでもあるので、悩みながら子どもに寄り添う姿は素敵だと思っています。一緒に考えていきたいです(^^)
さくらちゃんの亀の遊びはとても集中していることに驚きました。我が園も遊びに夢中になるという目標を掲げていますが、遊びの質や保育士の関わりに違いがあります。保育士の子どもを大事にするかかわりやその子の遊びをそっと見守る姿から、さくらちゃんは集中して遊べるのだと気づきました。さくらちゃんの担任のように待てるでしょうか?給食だよと声をかけずに待てるでしょうか?
指示、命令、禁止の言葉は使わないけど子どものベースに合わせられているのか?など考えることがたくさんありました。
園内研修でこのさくらちゃんの亀のお話を読ませてもらいました。職員が何かを感じ、保育が変わっていってほしいと願っています
早速、読んでいただいたんですね。
とても嬉しく思っています。子どもたちの心持ちにこだわり続けていく、心のゆとりと時間のゆとりをいかにコントロールできるか?
次に
子どもを信じる前に、職員間の信頼関係はいかに?信じて言い合える関係から、子どもを信じて待てる関係性へとつながっていくと信じています。いかがかしら?
素晴らしいコメントです。
職員会議で読み上げる発想力、その気づきと感性に共感できました。きっと職員の皆さまに、石原さんの心持ち届いたと思いますよ。
なぜ?
指示、命令、禁止用語を使わない保育が望ましいのか?その都度、立ち止まり、振り返りながら問い続けていけるといいですね。
私は
すべての子どもたちに、自己肯定感を育んでほしいと心から願っています。
信じて待つ。
これが一番難しく、そして一番意味のあることだと感じます。
「夕焼け小焼けが聞こえたら、帰ってくること」
そんな約束などすっかり忘れて、暗くなるまで、、、誰もいなくなるまで、、、公園の砂場で最後まで遊んでいた、こども時代を思い出しました。
見守ってくれていた親や先生の存在。
消えない温もり、残っています。
こうするといいのよ。と教えられても、本当かな?出来ないよ。怪我したらどうする?というマイナスな事ばかり浮かんできますが、ある程度?勇気を出して向き合ってみると、子どもたちは見事に変わっていき、いい笑顔をたくさん見せてくれ、ぐずることもなくなってきます。子どもに教えられることはたくさんあって、大人も成長していくのを感じていくのは幸せです。
保育園としてこんな時間が保証されている園があったらどんなにすてきでしょう。子どもの多くの時間を過ごす場がこのように時間を過ごせる場所であってほしいと思います。
それぞれのご家庭ではこれだけ本人が満足いく時間を保証出来ているでしょうか?もちろん親との親密な時間もかけがえが無いものですが、保育園で過ごすたっぷりとゆっくりと流れる時間で子どもが育っていると言っても言い過ぎではありませんね。
娘が2歳の頃、電車の中で突然「オシッコ」。まいったな!次の駅で降りて、トイレに。次の電車をホームで待ちました。子どもと向き合う、のんびりした時間、親がいい時間をもらった、そんな事を思い出しました。
21世紀型。「どんな保育かしら…」と読み始めました。
じっくり見守ってくれる大人がいたら、どの子も自分でいる事ができますね。