第2回
幼子の心持ちが開花するとき
0歳児クラスでも一斉に食事に着く風景に驚くことが
たくさんあります。
0歳児こそ、生活リズムが一人ひとりみんな違うはずなのに一斉保育とは?
最善の利益とは? と
思わず声なき声をあげたくなってしまいます。
食事の後はそのままお昼寝と思いきや、ここでもまた驚くことなかれ!
食べ終わった子どもから、順次遊びのフロアーへ戻っていきます。遊ぶというよりもお腹がいっぱいになった子どもはとろーんと眠気がさし、中には目を擦りながらころーんと横になることも。
どう見ても全身で、(眠いよー!)と訴えています。
大人の助けを待てずにそこでそのまま眠ってしまう子どももいました。
全員が食べ終わっても、自分からお布団に移動することができません。あきらめて、その場で眠ることも。
とある保育園のエピソードです。
順次食事に誘われて、食べ終わった子どもからベッドルームに向かい、いつも決まった場所にあるコットベッドでお昼寝をしていきます。
そんな中で、クラスで一番大きい4月生まれのけいこちゃん(仮名)は食べ終わってもすぐにベッドルームに行かずに、一人で保育室に残っていました。
けいこちゃんの行動は保育士の想定内、待ち続けます。けいこちゃんは、保育室のサークルからつま先立ちで、窓越しにベッドルームを眺めていました。
様子を確かめた後、振り向いた先に光の影を床に発見して、その場へトコトコ駆けていき、両足で足踏みをして確かめていたのです。何回踏んでも何も変わらないことに気づくと、今度は光の方に向かって両手を広げ、光をつかもうとして前に進み、ぎゅっとしてつかもうとしてもつかめません。不思議そうに何回も繰り返していました。
そのうちに、光が眩しくて片手で目を押さえ、眩しさを全身で表現しているけいこちゃんを見ながら、そろそろ仕掛け人にならなくちゃと心を動かす私です。
床にしゃがんで子どもの姿が丸ごと映る鏡の前に、タオル地でできている輪投げ用の動物の顔を5体、斜めに立てかけて並べてその場を離れました。
するとけいこちゃんは、すぐに気がつきました。トコトコと移動して試したことは?
端から端まで、立てかけた動物たちの顔をパタンパタンと倒していくのです。
その次にやったことは?
起こしながら元のように、戻そうとしていましたが、
傾斜が難しくてやるたびに
倒れてしまうのです。
次にどうするのかな?
じっと見守っていた先に映る光景は、
動物たちの横に膝をついて座り両手でトントンしながら、寝かせつけ。
再現遊びとは、まさにこのことを言います。
いつも自分がやってもらっていることを、人形を介して確かめていくのです。
しばらくすると、
けいこちゃんも眠気がさしたかのようにその場から立ち上がり、サークル越しにベッドルームをのぞきこみ、今度は素直に入っていきました。
自分から寝ようとするこの行為が主体的な心持ちを育んでいくと思いませんか?
けいこちゃんのコットベッドは入って左側です。そこに大人も待っています。
ところが、そう簡単には行かず右端からすでに眠っている友だちの顔を一人ひとりのぞき込みながら、確かめながら、やっと自分の場所へ。
ここまでは、限りなく自分だけの時間、空間を満喫でき、自分で気持ちの切り替えができたけいこちゃんだけの世界でした。しかしあと一歩で自分で横になって寝るはずだったのに、コットベッドのそばで、自分で寝ころがる前に大人に抱きかかえられて横にされてしまったのです。
その瞬間、けいこちゃんは「ヤダヤダ!」と抵抗していましたが、結局大人に押さえられて寝かせられたというなんとも寂しい物語のページで終わってしまいました。
この最後の出来事さえなければ、けいこちゃんはお昼寝まで全部自分で決めて、満足して寝ることができたのですが......。
子どもの力を信じて、
待つ保育とは?
待てる保育とは?
みなさんは、どんなふうにけいこちゃんの「育ち」、「心持ち」を受け止められるでしょうか?
見ようとしなければ見えない心持ち、感じようとしなければ感じられない、聞こうとしなければ聞こえない幼子たちの心持ちを、真摯に受け止められる大人であってほしいと心から願わずにいられませんでした。
コメント(8)
井上先生の本、全て読ませていただきました。零歳児だって、自分で決められるということに改めて気付かされ、零歳児からの積み重ねの大切さを感じる日々です。荷物のように運ばれ、大人都合で動かされる子どもたち。職員間で、子どもの最善の利益とは?と語り合える時間を作っていきたいと思っています。乳児の担当制保育についても、理解がまだまだだなと感じます。これからもしっかり学びあっていきたいと思っています。
待機児童解消に伴い、赤ちゃんが暮らす環境がどんどん劣悪になっていることを目の当たりにするたびに、心が痛みます。
どんな方法で子育て、保育、教育していくのか、せれていくのかを選ぶのは子どもたちです。
選べる環境があれば、赤ちゃんでも主体的に動き始めますね。
大切なことは、「どんな子どもになってほしいのか?」大人の願いを据えて、必要なときに必要な分の援助をしていくことかな。
きっと赤ちゃんもつぶやいているかも知れませんね。
忙しさに追われる日々。こうして客観的に振り返ると思っている以上に大人の都合で子どもを動かしていることに気づかされます。何処にでもありがちな風景。保育者も寄り添うことの大切さは十分わかっているのです。真に「育つ」保育めざして、いつもどんな時も最後まで子どもの力を信じて見守る保育をこれからも大切にしていきたいと思います。
どこにでもありがちな風景を見逃さずに、着目できる目をもてるように、意識化できるかどうか?
子どもの目線に映る風景や子どもの耳に届く様々な音や声にも耳を傾けられる大人になれるかどうか?
幼子たちが言えたらしあわせ、言えないから泣きで訴える。
子どものつぶやき
「立ち止まって、振り返って、感じて、見守って
助けて」言えたらいいなあ!
私は保育士ではありませんが・・・
大人同士、人間関係も同じかも?と感じました。
言葉という、表現ツールをもってしても、伝わらないこと、感じ取れないこともあります。
知ろう・聞こう・見ようとする心。
大切にしたいです。
想像力と共感力を育っているうちに忘れてきてしまった保育士がいます。どこかで評価を気にして自分で自分の首をしめてもがくこともあったり。
誰かが、大丈夫だよ。と言ってくれると、きっと優しく子どもと向き合って、子どもの素敵なところをたくさん発見できる保育士になっていくと信じています。
保育が楽しい。この言葉は、とても素敵です。
ベットであおむけのあかちゃんが、両手を上にかざしてキラキラしている。「ほら、みて!あかちゃんが手を発見したんだよ」ある保育士さんから感動的な言葉をいただきました。子どもになって世界を見てみたいですね。
コットベッドに寝かせつけた先生は、けい子ちゃんの反応をどう感じたかなぁ。何か感じてくれる先生でいて欲しい。