第21回
みきちゃんとママのお誕生日
井上さく子
ダンボールで作った家の中に
1歳児の男の子2人とその間に並んで女の子。
健ちゃんが手にしているままごとの具材のバナナを見て、みきちゃんが
「ちょうだいよ! バナナちょうだいよ!」と言う。
「だめだよ!ちょうだいよって言ってもあげないもん!」
と健ちゃん。
康ちゃんはそのやり取りを見て、笑っているだけです。
ずうっと「ちょうだいよ! だめだよ!」のやり取りが続いています。
ただそれだけで笑い合う3人。
それだけで楽しい心持ちが伝わってきます。
3人入ったら窮屈なダンボールの家は吹き抜け(?)になっています。
こんなことがおもしろい。
こんなことでもおもしろい。
誰にも邪魔されない世界が守られると、2、3人の友だちと場の風景を共有し合い、コロコロと笑い声を上げて、いつまでも笑い合っていました。
そばに寄り添う大人にも心地よさが伝わってきます。
ところがそこへもう1人の元気くんが突然あらわれて
家の上から健ちゃんの髪の毛を引っ張ってしまいました。健ちゃんは少し離れたところにいる大人に泣きながら、
「いたいよー! 元気くんがひっぱったあ!」と訴えていました。
みきちゃんも心配そうに後をついていき、健ちゃんの頭を撫でながら
「だいじょうぶ?」
「痛かったよね!」
「痛かったから泣いてるんだよね。」
「まだ泣いていたいの?」
と顔を覗き込むように、話しかけていました。
健ちゃんはその言葉に全く反応することなく泣き続け、
みきちゃんの言葉が耳に入りません。
みきちゃんは、そのしぐさややり取りから、小さな保育士のように映りました。
なぜでしょう?
言葉の一つひとつに、豊かな自己肯定感が育まれていると思いませんか?
日常の生活や遊びの中で、自分が大人にかけてもらった言葉をそのまま再現しているかのように映ったからです。
健ちゃんの『泣き』に、ここまで肯定的に言葉を使えるみきちゃんの心の育ち、優しさにさらに魅せられる風景がありました。
テーブルに並べてあるままごとの具材の中から
ケーキだけをお皿にのせて、少し離れた丸テーブルに置いた後に
可愛い声で
それも1人で
周りには、誰もいません。
「たんたんたんたん誕生日♪
おかあさんの
おかあさんの
誕生日!」
とお母さんの誕生日を
祝って歌っていたのです。
「おかあさん お誕生日おめでとう!」
思わずウルっとしてしまいました。
こうして遊びながらも、お母さんを思い出しながら素敵な物語を紡いでいる、みきちゃんの心持ちに触れて、大切に育てられているお嬢さまだと実感できました。
まだまだこの年齢だと途中で
お父さんやお母さんを思い出したら
人恋しくなり
パパがいいー!
ママがいいー!
と泣きたくなって当たり前なのに。
生活や遊びの中で、こうして
自立しようとしていること
自立させるのではないこと
自ら自立したがっていることを
しっかりと見極めて、受け止めていくこと
そのことが、私たち大人にも求められていることだと思いませんか?
みきちゃんは20年後、どんな大人になるのでしょう。
コメント(4)
暖かいエピソードにほっこりです
みきちゃん、周りの大人の関わりが素敵です
子どもに怒ってばかりいる地域のお母さんに、さく子先生の¨だいしょうぶ¨の本を勧めると、一週間後「子どもが泣いてもいいんですね、気持ちにゆとりができました」とすっきりした笑顔でした。大人も子どもも頑張らず、ありのままを受け止めてもらえたら、子育ても楽しくなりますね
とても素敵なエピソードですね。
私自身、保育園などで子どもたちの関わりから気付かされることがあります。
「自己肯定感」は、自分に1番欠けていて困っているところなので、子育てするうえで1番大切にしたいと思っています。試行錯誤しながら、さく子先生の著書やブログをヒントに、子どもの自己肯定感を育んでいきたいです。
泣きに寄り添えるみきちゃんの20年後が楽しみですね。日々その子と接する保育園の職員の方の声かけを実際に聞いてみたいです。
20年以上前の我が家のリビングにも、夫婦で何日もかけて完成させたダンボールのおうちがありました。あうちの横半分切ってサイドテーブルを置き。娘は自分のおうち!という意識が強くそこでよく野菜や果物のおもちゃを切ってそのおうちの中で友達に振舞っていました。今でも娘の似顔絵入りのドアだけは残しています。20年後の娘は…少々気強め!の料理上手です(^^)り
出勤途中で、エピソード読みました、子どもの細やかな姿。心持ちが伝わります。時間がゆったり流れていますねー!癒されます。今日も子ども達とたくさん関わろうと思います。