第19回
1歳児の双子の孫、入園と慣らし保育
井上さく子
この4月から大人の願いが叶って、2人の孫が保育園に通い始めました。
宝くじ並みの入園
入れた子どもと入れない子どもがいる中で、手放しで喜べない心持ちを抱いています。
入れなかった子どもたちは、どうしているのかしら?
親御さんの葛藤はいかばかりでしょう?
合否によってその先の世界が大幅に変わることを思ったら、心持ちが揺らぎます。
入園式以来、保育園の送迎は慣れるまで私の役割になりました。
現役時代はお預かりする側にいた立ち位置から
お願いする側になると、様々なことに気づかされます。
入園当初は新しい環境に無理なく慣れてもらうように、「慣れ保育」または「慣らし保育」と言う期間があります。
基本的には一定期間の中で、子どもの育ちに合わせて保育時間を伸ばしていき、平常保育に繋がるようにしていると思います。
皆さまの園ではいかがでしょう?
孫たちがお世話になっている保育園は、慣らし保育と称しています。
それを受けて実に素朴に、慣れることと慣らすことの違いを感じて、違和感を覚えました。
子ども主体の視点から言っても、子ども自ら慣れていく環境を調整するのがプロの役割?
慣らしてあげますではなく、子どもたち自ら慣れてくれるように、受け止めて促していく視点を据えていくと、子どもとの関わり方も大きく変わると思っています。
園の都合が優先されて
『今日のお迎えは何時にお願いします。』
『今日も何時までにお願いします。』
と、何日も時間の延長が無く、同じ時間を指定され、いつ平常保育になるかわからないまま長い時間が経つと、勤めている親御さんは不安になってしまうかもしれません。
できるだけ短期間で慣れ保育から平常保育に移行してほしいと切に願うところだと思います。
双子たちを約束の時間通りにお迎えにいく中で、泣かずに過ごす時間が増えてくるとほっとします。
大人が心配する以上に、新たな環境での不安や困難さを抱えながら、自ら乗り越えようとする力を育んでいるようにも映ります。
お迎え時に膝をついて両手を広げて待っていると、満面の笑みで飛び込んできます。もう一人も時間差で同じ行為を求めてきます。思いっきりギュッとするこの瞬間は至福のひとときです。
「お家に帰ろうね!」と言葉を添えると、「うんうん」らしき声を出して喜びます。
2人の孫と大きな荷物と一緒に、『さて?どうやって階段を降りていこうか?』と一瞬考えているときに、「一人抱っこしますよ!」と担任の先生や園長先生やフリーの大人に助けてもらうことがあります。
こうしたさり気ない心配りに、とても救われます。
保育園の門を一歩出て、2人の言葉にならない喃語や指さしに癒されながら、ベビーカーを押していると、空き地に咲いているたんぽぽの花を見つけて教えてくれました。
立ち止まって、一輪ずつ持たせてあげると初めての花をしっかりと手にして持ち帰ることができました。早速、花びんに生けてテーブルに置くと、それに気づいて喃語と指さしで教えてくれるのです。
偶然にも翌日の朝のTVでたんぽぽの花を目にした一人が振り向いて指さします。
「たんぽぽだね!」と言葉を添えると嬉しそうに笑います。
こうして本物に触れながら、具体的な体験をし、日々成長していくことを目の当たりにすると、保育にかかわる皆さんのおかげと感謝の心持ち抱いています。
日常の何気ない心通わす対話こそが、豊かな感性を育むことをもう一度、孫たちに学んでいます。
喃語に耳を澄まし、指さしの先にあるものに気づける大人になりませんか?
子どもたちはいつでも、どこでもシグナルを発信しています。
コメント(2)
身近な自然に触れ、映像を見て経験を本物にしていく、どんなに小さくても、こどもの目線の先にあるものや手に触れているもの、そこから感じているものを私も感じ取って、保育を楽しみたいと思いました。
園側の者として、大事にすることを明確に保育を進めていきたいと感じました
私もお迎えに行って、子どもが駆け寄ってきたのをギュッとするときに幸せと安堵を感じます。
恥ずかしながら、私自身言葉を添えるということがあまりできていませんでしたが、先生の本やブログを拝読して最近少しずつ添えられるようになってきました。子どもの気持ちや興味に寄り添いたい、と思ってはいたものの、育児本など見てもあまりピンときておらず、どういうタイミングでどうしたらよいのかモヤモヤしていました。
でも先生のお話からこんなふうにすればいいのかなと思えるようになり、霧が晴れたような気持ちになってきました。
先生方からしたら基本的なことなのかもしれませんが、そんなエピソードの中から家庭でも子どもを中心にするヒントをいただいています。
長文になってしまい失礼しました。