第23回
保育園園長としてのやりがい~本当にほんとに偉いのは?
井上さく子
「保育現場は園長の舵取り何如によって決まる」と現役時代も、園長退職後現場に関わらせていただいている今も、痛感しています。
特に、現役を離れて客観的に保育に関わっていると園長職に昇格して急に対応が変わる方がいます。
どんなふうに?
指導目線が強くなると職員一人ひとりの仕事力を引き出し受け止めると言うよりも、園長の価値感に合わせようとする傾向があります。
自分の現役園長時代を振り返ると
「園長は園運営の舵取り役」と据えて、職員の力を信じ借りて、クラス運営をまかせていました。
全体保護者会で「園長、主任は全てのクラスの担任です。」と言い切ったときから、心持ちが大きく変わったことを思い出しています。
園長や主任はクラス担任から昇格してなるので、通常担当クラスを持っていません。
時間をかけて、クラス担当ではない園長の役割も模索しました。保育のプロフェッショナルとして、全ての職員と相談をして、引き出し受け止めて、「答えは出さない」ことの大事さに気づき始めてから、仕事に向かう姿勢が変わってきました。
その後は例えば、
保育現場を意識的に周り、一番に子どもたちが安心して生活し遊んでいるか?
又は職員一人ひとりが心地よく保育ができているか? などの視点を据えて状況把握をすることに力を入れて取り組んできたように思います。
常に具体的な子どものエピソードを真ん中に据えて保育士たちと相談していくこと、してきたことが、園長としてブレない視点でした。
こんなエピソードがありました。
毎年、希望を出してもらった後に、全ての職員とヒヤリングをしていきます。
そんな中で、一緒に組みたくないと人がいると言う声が上がってきました。それも1人ではなく数人から、相談をうけてときには、さすがに愕然としてしまいました。子ども達の間で小さな事故が起こっても、全部自分は関係ないという態度を取り続けるというのです。
でもその声を受け止めながらこちらからも相談を仕掛けていきました。
どんなふうに?
あなたが逆の立場だったら、どんな心持ちいだきますか? 人を阻害することは簡単ですが、それこそ人権侵害になりませんか?
気の合う人同士だけでクラス編成ができるのでしたら何も悩みません。
今一度、振り返ってほしい旨をその人と組むのは嫌だと言ってきた何人かの職員に伝えました。
その結果、誰とでも一緒にやっていきますと言ってくれたのです。
相手の嫌な面だけ見ようとすると良さが分からなくなってしまいます。
どんな人にも良いことが秘められていると思いませんか?良いこと探しをしていくうちに、今までの自分の見方、受け止め方が変わってくると信じて向き合ってほしい。そんな願いを擦り合わせていきました。
何よりも嫌だと言われていた本人が、クラス担任を持つことによって、生き生きしている姿が見てとれました。
得意分野は環境整備でした。
保護者の方々からも褒められるほど、接遇コーナーの棚を素敵にデザインしてくれるのが、彼女の役割になっていくうちに、周りからも認められるようになっていったのです。
集大成を迎え、送別会の席では、笑顔で挨拶をするほどになっていました。職員の方が、そんな彼女にさまざまな涙を流していたことが印象的でした。集大成をこの園で迎えられて本当によかったと言われて、みんなで涙したことを鮮明に振り返ることができます。
子どもの育ちの援助を語る前に、職員集団のあり方が問われてきます。その時に、園長としてどう舵取りをするのか、いかに決断するのかが問われます。
迷ったときには、目の前の子どもに聞くことから始めよう! それと同時に、園長も職員一人ひとりに、とことん向き合い相談していくこと。答えは職員が自分で出せるように、導いていくことが大切だと思っています。
毎日がドラマの連続で、何もないことはありません。終わりのないページを綴り続けていく役割をいただける幸せをずうっとずっと感じてきました。今でも変わりません。
一人ひとりが育ちたがっていること
日々成長を遂げている幼子たちと対話できる醍醐味を職員といっしょに味わえる幸せ感は、保育の世界でしか経験できません。
「大変!」と思ってしまったら限りなくその世界をさまようことになりませんか?
幼子たちはそんな大人から生きる力をもらえますか?
それよりも
今日はどんなドラマが生まれるかしら?
期待をもって、子どもたちから学んでいきませんか?
コメント(7)
気になる職員は、自分が作り出しているんだなと反省しました。園長の役割は子どもだけでなく職員も大きく包み込むことだと、改めて振り返ることができました。
胸が痛みました。痛んだということは、心当たりがあるということです。自分ではそうではないとどこかで言い訳をして、強い職員を心の中で外している自分自身に自分の弱さを感じました。強い職員は、強いのではなく、そうしていかなければ、生きれこられなかったということを受けとめ、保育の現場がどうであったか……。ということを、もう一度考え直すことで、自分がすべき行動が見えてきます。全てが、自分が作り出してきた世界!ならば、住みやすい世界にしなければ、子どもが伸び伸び自由に選ぶことなどできませんね。さく子先生、いつも気づかせていただきまして、ありがとうございます。これからの姿を見ていて下さい。
さく子さんがされたように、「その人の得意なところを観る」というのは、非常に重要だと思いました。一般的な価値観で、「何ができる」「何ができない」ではなく、「その人の得意なところを観る」ことで、「本当にその人も生かされ、周りも生かされる」と感じました。
良い面をみつける、とても大切なことですよね。
先生のブログで改めて気をつけようと思いました。
相手の良い面をみつけると相手に敬意を払えて、
相手も自分もいい状態になれる気がしています。
私の場合、いやだなぁと思うときは自分のいやなところに似ていたり、自分の状態が良くないときに思いがちなので、「いやだな」という思う感情を抱いたとき、「今の自分はどうなのか」と自分自身に問いたいと思います。
さく子先生、いつもすばらしい問題提起をありがとうございます。読ませていただき、本当に考えさせられます。
園長は、目指すべき場所を職員に示し、職員が自らそこに向かっていけるように導いていかなくてはなりません。しかし、その目標が抽象的だと(例えば「主体的に活動する子ども」など)、具体的にどのような保育を実践していくべきなのかが職員にとってわかりにくくなってしまいます。
このため日々の保育の実践や保育の環境、年間の計画や月案計画、日誌などを通して、園長や主任は「保育が子どもを主体とした望ましい方向に実践されているのか」を確認し、話し合うことが必要です。
その際に大切になるのが、職員の気持ちを受け止め、そこに根気強く向き合う園長の姿勢です。保育に正解はありませんが、園長が信念をもって保育を進める覚悟が大切です。「迷ったときには、目の前の子どもに聞くことから始めよう! それと同時に、園長も職員一人ひとりに、とことん向き合い相談していくこと。答えは職員が自分で出せるように、導いていくことが大切だと思っています。」まさにさく子先生の言う通りです。
私は園長として十分ではありませんが、さく子先生の文章を読んで改めて初心に帰る思いです。大切な視点が、そこかしこにちりばめられていて、何度も拝読させていただきました。そして勇気ももらいました。いつもありがとうございます。
開園して1年6ヶ月が過ぎようとしています。新人6名と経験保育士3名とパート4名で大変なスタートでしたが、いつも心にさく子先生の『保育者が偉いわけではない』を心に何とか軌道に乗りつつあると思っています。しかし、上から見ると、施設長はもっと厳しくあれ!叱れない上司であるなかれ!と指導を受けます。私は、叱って育てる指導法に疑問を持ちます。子どもも保育者も認められることで確かな自信になり、次への意欲となって自ら行動できる力に繋がっていくと信じています。叱らない私は、保育者になめられているように写ると言われました。でも、10人10色の手綱からは確かな成長が伝わってきます。今回のエッセイに励まされました。やはり私は、疑うよりも人を信じ、叱るよりも認める施設長で貫き通したいと思います。
昨日は環境部会で、貴重なお話をお伺いでき、誠にありがとうございました。
人間関係が良ければ園に来るのが楽しくなるし、悪ければ来たくなくなります。とても大事なことです。
昔、薬師寺の僧侶に水の法話を聞いたことがあります。お話は、水は、色もなければ、味もなく、臭いもなければ、形もない。丸い器に入れれば丸くなり、四角い器に入れれば四角になる。
その水を飲んで、牛は乳をつくり、蛇は毒をつくる。
というものでした。
人間関係にしても様々な出来事にしても、本来は、無色透明な水のようなものなのかもしれません。そこから乳も作れるし、毒も作れるのが人なんだろうと思います。