
第3回
言葉のもどかしさと葛藤の中で
園庭の端に赤い屋根の小屋がある。その回りにテーブル1台と青と赤の牛乳ケースが積み上げられている。
無造作に重なりあっているケースを足場に登ったり降りたりしていた。そのときにつとむくんが大きな声で仲間を呼ぶ。その声に気がついたゆりちゃんが、
「どうしたの?」と聞いてから、ケースを移動していた。
やっとの思いでつとむくんの足場ができてその場をしのげた。
でもつとむくんの乱暴な口調と大きな声に怖がる空気も漂う。
この遊びに着目して、限りなく寄り添う。
赤い屋根をまたいで座ったり降りたり、3~4人で関わっている様子は掴めても何をイメージして遊んでいるか定かではない。
突然目の前で2人の男の子がケンカを始めた。
ごっこ遊びが白熱し、小屋が火事になると思ったらしい。「小屋の窓に広げてさしている傘をたたんで傘立てに入れて!」と、つとむくんが何回も強く命令する。
すぐに答えずに「何でだよう!」と抵抗する男の子。
激しくぶつかり合った先で、つとむくんは、思いっきり友だちを叩いて泣かせてしまった。
かなり感情的になっていて、叩かれた子どもは泣きながらなおも
「だからなんでかを言ってよ!」
と訴え続ける。
2人のぶつかり合いこそが「大火事」になっているよう。
激しいぶつかり合いの場面に、『担任が居合わせていたらどんなふうに関わり援助するのだろう?』と思いながら見守る。
つとむくんは感情的になりすぎて自分でもどうしていいのか途方にくれている感が伝わってきた。
その言葉はさらに激しくなり、とうとう「小学校に行ったらボコボコにしてやる! 覚えてろよ!」
泣いている友だちはさらに傷つく。そこへ待ってましたとばかりに担任がきて、泣いている子どもにその訳を聞いていた。
つとむくんも呼ばれていきさつを聞かれていた。
お互いに叩いたことも叩かれたことも言わず、火事と傘について話していた。
納得はしないままに、食事の前の片づけが始まる。
それでも子どもたちは、次の活動に向かっていく。
激しいぶつかり合いの中で、とことん「なぜ?」を知りたがり、「なぜ?」に答えようとする5歳児の世界。
大人が介入しない世界で必死に「何とかしよう!」「何とかしたい!」と、もがくプロセスに大切な育ちの芽があるということに気づかされた。
皆さんだったら、この状況をどのように受け止めて援助するのでしょう?
とことんぶつかり合った先の答えは子どもたちが出せるように導くことこそ、プロの役割だと思いませんか?
つとむくんの育てられている環境もみてみると、父親のしつけが厳しく、受験をひかえていること、やがてお兄さんになることなど、家族の風景がここにある。
『もがき葛藤し、自己コントロールができなくなることもあっていいのよ』と受け止める器を大きくできますか?
そんなふうに問われているエピソードでもあります。
集団生活の中で、仲間と共に育ち合う体験こそが、生きる力の土台づくりになっていくと信じています。
個の育ちがこのような激しい葛藤も含めて、受け止められて保障されて初めて、集団生活が成り立つことの「本物」が成り立つと思いませんか?
それを一緒につかんでいきませんか?
コメント(5)
年長の時って、言葉も達者になってはきますが、まだ、自分の思いは旨く伝えることができません。自分が遥か昔年長組のとき、友だち同士の喧嘩に仲間が何人かで集まり、互いの話を聞いてそれぞれが意見を言い合い、解決しようとしていたことを思い出しました。結果は覚えていませんが、やり取りは皆一人前のような口を利く子どもたちの様子が瞼に焼き付いています。大人は居ない空間でとことん解決に向かって気持ちはひとつになっていました。もし、あの場に先生が来ていたらどうしたかな?止めたり、こうしたらいいのよ。とすぐ解決しない先生でいてほしいと、願うのでした。
つとむくんのような、感情のコントロールが難しいお子さんは、どの園にも一人、二人、いるような気がします。
私たちはその子が抱えているものを、それごと受け止めて保育していかなければならないので、背景に色々あったとしても、そのままで大丈夫!という気持ちでいなければと思っています。
思ってはいるものの、日々の関わりの中では「どうしたらいいのだろうか…」と暴力的な関わりや言動に大人の心まで揺さぶられてしまいます。
そんな時には、大人もモヤモヤを吐き出してスッキリして、また子どもと向き合えるように みんなでサポートしていけたらと思っています。
的確なアドバイスは出来ずとも、大人にだって「見てるよ、信じてるよ、大丈夫だよ」って視線は必要なんじゃないかな?と思うのです。
大人はジャッジしない。
子どもたちの力を信じて任せてみる。
大人も葛藤しながら、試しています(^^)
お正月が終わり明日から仕事
子どもたちの顔を見るのが楽しみです。
我が園の5歳児にも、自分の感情を友達にぶつけ、手や足が出る子がいます。この子どもはどんな心持ちなんだろう、こんな表現をするのはなぜなんだろうといつも思ってしまいます。子どもたちの背負っているもの、私たちの目には見えないもののたくさんあるのでしょうね。でもやっぱり5歳だから言葉で思いを伝え自分達で解決できるようになってほしいと思ってしまいます。大事なことは、さく子先生がいつもおっしゃってる、こどもを信じ待つことであると思います。
「子どもも職員も信じて待つ」一年の始めに心に刻みます
この時期保護者会を迎え、一年の振り返りを保護者のかたと一緒に確認していますが、それと同じくらいに3歳の声を聞いたクラスからは、言葉のやり取りで悩む保育士が多いと感じています。保護者のかたは、どこで覚えたのかしら?とどの保護者のかたも言いますね。情報時代どこでもあるのですが、保育士は、子どもの気持ちを受け入れながら、日々頑張っているなぁと思うと同時に、保育園皆で頑張って行こうと思うエピソードでした。
つとむくんはきっといい子だと思います。ゆりちゃんも。
待っててあげられるおとなでいたい。つとむくんに教えてあげよう!