第22回
保育士としてのやりがい 3歳児と新人
井上さく子
たくさんの保育現場に関わらせてもらっていると子どもたちの育ちはもちろんのこと、そこに寄り添う保育士たちの人間模様がリアルタイムに
浮き彫りにされてきます。
憧れと希望を抱いて就職できたのに、言葉にならない程に悩みを抱え込み、思わず涙が溢れでることも。
少しでも早く保育現場の景色を取り込もうとすればするほど、焦りからか空回りの連続に。
どうしたらいいの?
どうすればいいの?
葛藤しながら子どもたちの前に立つと
その心持ちを見抜いて、さらにいたずらがパワーアップする子どもたちです。
あせればあせるほど、悩みが大きくなってしまいます。
例えば
3歳児のエピソードを拾って、振り返ってみます。
これから、集会が始まるという前にみんなで紙芝居を見てから移動しようとしていました。
まじめに素直に椅子に座って、保育士に注目している子どもたちの傍らで、わざと立ち上がってみせる子どもがいます。
ひとりだったらできないことも、2人になると強くなり、3人になったら動きも派手になってその場を離れてがたがた椅子を揺らし動き回り大人の反応を試しています。
他の子どもたちに気をとられているため、3人の子どもたちまで目配りも気配りもできない状況でした。
他の子どもたちは
「やめて!」とも
「うるさい!」
「聞いて!」とも
言わず動じることもなく、じっと待ち続けていました。
あちらの子が落ち着くと、こちらの子が何もされていないのに突然「やめてー!」の叫び声。先生が子どもを落ち着かせようと頑張っているうちに時間がなくなってしまいました。本の読み聞かせもお話もできなくなり、名前を呼ばれた順番に一列に並んで、集会の場所に移動していきました。
何のための集まりだったのでしょう?
何も言わずに従っている様子から、これが日常的に行われているとしたら、さあ大変と思わずにはいられませんでした。
「やだもん!」
「いかないもん!」
「聞かないもん!」
と言っていいのです。
でも、今は何をするとき?
気づいてほしい。
気づかせてほしい。
しばらくして、立ってうろうろしていた子どもたち4人は、ちゃんと座っていた子たちが名前を呼ばれてお部屋に歩いていく中で、自分たちが名前を呼ばれていないことに気づき、自ら椅子に座ってその順番を待ちはじめました。
最後にやっと呼ばれたときには、何事もなかったように列に並び集会の会場へ移動していったのです。
なぜ、ここまで主張したいのか? したがるのか?
仕事に就いたばかりの新人保育士は振り返る余裕がありません。
大きな声を出す訳でもなく、注意する訳でもなく困っていました。
子どもたちは何回も先生の反応を試しています。
かまってほしい!
注目してほしい!
関わってほしい!
受け止めてほしい!
気づいてほしい!
分かってほしい!
立ち上がってしまった子どもたちは、さまざまなシグナルを発信しているようでした。
一場面だけを捉えて判断することはできないと思いますが、椅子に座ってほしいと言われる前に、子どもたちはどこで何をして遊んでいたのか? 全体の様子を把握しながら次の課題に向けて相談できたかしら?
子どもたちとどんなふうに関係性をつくっているのかしら? つくろうとしているのかしら?
さまざまな「なぜ?」が湧き出てきました。
大人の都合が優先され、納得できなければ子どもはよくこんなふうに
全身でNO!のシグナルを発信してきます。
でもそれだけではないと思いました。
弾けるというよりも暴れたくなる子どもたちのこれまでの育ちのプロセスで、たくさんの忘れ物(理解も納得もできないまま置き去りにされた心の問題)をさせていませんか? という問いです。
暴れているのは子どもたちですが、暴れさせているのは私たち大人の責任ではありませんか?
ということです。
振り返りの研修で幼児職員が一堂に会します。
その場で新人保育士はいっぱいいっぱいで言葉がでませんでした。あせり、困惑、いろんな想いがいっぱいで、目から涙がこぼれます。隣の先輩に「大丈夫!」と肩を抱かれて涙を拭いていました。
その瞬間に
「みんな新人時代があって今なんですよ!
だから大丈夫! 何でも話していい、何を聞いてもいいですよ!」
と言葉を添えると、心持ちを仕切り直して、トツトツと話し始めました。
子どもたちをまとめられなかったこと、うまくいかなかったこと、自分をふがいなく思うこともあるかもしれません。でも、何度も何度もそんな経験を積み重ねたあと、ふっと子どもたちがどうして欲しかったか、わかることがあります。
その小さな嬉しさが重なって、保育士としてのやりがいになったりもします。
『泣けて良かったね!』と思うと同時に、こんなふうに支えてくれる先輩たちがいるんだということをみんなで共有できた貴重な研修になりました。
子どもたちは仲間の中で育ち合います。
その前に保育士たちも新人の悩みも自分の悩みとして受け止めながら、悩みを課題に置き換えて育ち合ってほしいと願わずにはいられません。
職員集団の育ち合いが、子どもたちの育ちに影響を及ぼすことを教えてくれた学びの場でした。
子どもに聞くこと
子どもから学ぶこと
プロとしての役割がここに着目して初めて見えてきます。
コメント(10)
私にも新人時代があった、と振り返る時間になりました。毎日子どもたちと遊びほうけ楽しんでいました。また、先輩の保育を見て真似をしながら、近い自分の保母像を描いていました。
今は、環境が変わり求められる事が多く、大人も子どもも単純に楽しんでいられないと感じます。若い職員を支えることも子どもと関わる時と同じであると今回学ばせてもらいました。
子どもも職員もまるごとそのままのあなたで良いね、と言える園を目指したいです
新人の頃の、いっぱいいっぱい感を思い出しました。先輩みたいにできない焦りや、一人前にできず迷惑をかけている負い目を感じて、苦しい時期。あの頃はいっぱいいっぱいで、子どもたちのことをちゃんと見られていなかったと振り返り反省。あの頃担任させてもらった子どもたちには申し訳ない気持ちにさえなります。
でも、子どもたちや先輩に気付かせてもらいながら、ちょっとずつ保育者にさせてもらってきたんだなぁと思うと、ありがとうという気持ちです。
今の新人さんたちは、本当に優秀で、私が新人だったときにはこんなにしっかりしていなかったなぁと思います。
でも、やっぱり同じように子どもたちや先輩から学んでいる姿をみて、わからないことを何でも聞ける環境で良かったなぁと思います。私は聞けないことも沢山あったので(^^;
何でも相談できる環境、支え合える職員集団。私も仲間に育てて貰っています。 保育が楽しいと思えるって、大事ですね。
そうですよね。子どもたちが、日々、表現していることは、いまの子どもにとって必要な表現なんだなあ、と改めて思いました。それを、大人の流れや価値観ではめ込んでしまうと、子どもたちは、大切な経験をせず、体だけ大人になってしまうんだなあ、という印象をもちました。
職員集団の育ち合い、とても大切なことだと思います。一人一人の子どもの心の声をしっかり受け止めながら。。。
昔は子どもをまとめられる保育士ができる保育士と言われる空気がありました。私も新人の頃、随分悩みましたが、いつしか子どもをまとめる為のスキルをあげてきた気もします。勿論、一人一人の気持ちを大切に保育をしてきましたが、集団としてまとめる時にせっかくの子どものシグナルを見逃してなかったか、先生のコラムを読んで思い返しています。
保育で課題がある時に子ども視点で考えると迷うことなく方向性が見えてきます。そのためには職員の共通認識が大切ですが、誰かがしっかり発信していかなければ、職員集団は変わらないですよね。そしてそんな職場であれば、新人職員も子どもの姿は自分の問題ではなく、今寄り添うべき子どもの姿として、園全体で考えていけますね。保育は一保育士、一クラスの取り組みではなく、園全体で支えて行うことで経験年数に関係なく保育力につながるとあらためて感じることができました。ありがとうございました。
戸惑う新人保育士の様子目に浮かびます。おろおろする先生、それを試す子ども、言われた通りに待つ子どもたち。
毎年見かける光景ですね。
わからないことはわからないと聞ける人は、成長していけるかな?と思います。
アドバイスを素直に聞けるかどうかで、先輩との関係も良くなるかな?そして子どもたちに相談するのもほんとに大切です。子どもはちゃんと向き合ってくれます。がんばれー
読んでいく間に、目の前の課題と重なってきました。
「やだ」と言ったり、友だちが嫌がることをしたり、様々なサインを出す子どもたち。
そのひとつひとつに悩やむクラスの状況を把握しつつも、視野が狭くなってしまってどうにもできない自分が居ます。
自分の仲間のもやもやも、子どもの思いも受け止め方きれず、大人の願いばかりな気がしています。
すばらしい問題提起の文章をありがとうございます。
特に印象に残ったのは、「弾けるというよりも暴れたくなる子どもたちのこれまでの育ちのプロセスで、たくさんの忘れ物(理解も納得もできないまま置き去りにされた心の問題)をさせていませんか? という問いです」という部分です。
大人の都合で子どもたちを動かしていると、子どもたちの「NO」のシグナルに対して、ともすると私たちは鈍感になり、「大変な子ども」というレッテルを貼って子どもの育ちのせいにしてしまうことがあります。
保育の質、そして保育園の質を高めることは簡単なことではありません。しかし一番大事なのは、「困った」「大変」と思う子どもの行為や活動の中にも、その子なりの思いがあることを保育者が気づこうとすることです。「子どもの気持ちに寄り添い続ける」という価値観を大切にするだけで、保育は変わります。
子どもは、気持ちを聞いてくれる大人に出会うと「安心」します。行動の自由度が広がると「満足」します。「安心」や「満足」した生活が「落ち着き」を生み出します。「今は○○するときでしょ!」と大人の都合だけで子どもを動かしている保育からは、「落ち着き」は生まれません。
さく子先生の文章を読んでそんなことを感じました。保育の軸になる部分をブレないように、職員と共有していかなくてはならないと改めて思いました。
中学生の部活動のコーチをしています。さくこ先生のお話しに出てくるような、年齢の過程を過ごしてきた生徒たちにも同じように個性があり、できるだけ個々の性格や特徴を活かしながらスポーツを楽しんで欲しいと常日頃思っています。毎年、新入生を迎えると今回のお話しのような新米先生のような気持ちになります。お互いに緊張もしますが、一人ひとりの名前や顔を覚えること、どんな子なのかなと、一人ひとり練習の相手をすることなどで、その子の性格や特徴を感じられるように、そういう時間をとても大切にしています。
言葉にできないことばをわかるのは大変かもしれません。でも分かりたいと苦労する過程やその他の色々なプロセスも、分かった時の喜びに繋がるのではと思っています。時間はかかることもあると思いますが、小さな喜びを大切にしながら、新米先生たちにも頑張って欲しいです。そして僕自身も頑張りたいと思います。
やはり皆さん大変な思いをされながら、子どもたちをみてくださっているのですね。
私は保護者という立場ですが、毎日たくさんの子どもたちがいる中で、子どもをみてもらっていてとてもありがたいです。
またどうしたら子どもたちにとって良いのか考えてくださったり、子どものことで一緒に笑ったり、喜んでいただけたりするのが、本当に嬉しいです。
よく職場の働くお父さんお母さんと話すのですが、保育園の先生たちは本当にすごいよね、ありがたいよね!とよく話しています。
私たち保護者もその感謝の気持ちをもっと頻繁に伝えたいなと思います。