
第25回
中堅保育士って?
井上さく子
22回、23回と新人保育士・園長先生のやりがいについてお話してきました。
それでは、中堅保育士の「悩み」と「やりがい」とはなんでしょうか?
新人に近く、しかし園全体を見る園長の考えもわかり、悩んだり、泣きそうになったりしたときに、誰もが身近に感じることができるのが中堅層かも知れません。
新人と経験豊かな職員の真ん中に存在し、両方からぎゅっと押されてサンドウィッチ状態に置かれているのが中堅職員。
または先輩と後輩のパイプ役。
新人に対しては、先輩として後輩育成の役割を担い、時には
「なぜ?」
「どうして?」
「自分で考えてみて!」 などなど、直球を投げて聞いていくことも。
心持ちがなかなか相手に通じないときのもがきや葛藤などをいだきながら、指導する立場になったばかりで空回りということもよく遭遇する光景です。
現場の職員間はいかがでしょう?
新人時代は初めてのことだらけでした。保育士になってなんとか3年の節目、中堅保育士になると、何かが見えてきたり、何かを見通せたり、何かを振り返ったり、そんな感じを掴めるようになってきました。
何よりも一つ先を見通せるようになると、次の課題がはっきりしてくること、それに向けて具体策を考えて実践に繋ぐことができるようになります。
すると、それまでは何かにつけて自信が持てずにいた自分でも、考えて決めたことは自信をもって一歩踏み出したくなることに繋がります。
例えば、週のリーダーとして週案の作成をし、日々の実践のリーダーシップをとることになります。そのときに、新人でも中堅でも同じように役割が回ってきます。
夏の遊びの内容を自分なりに、考えて子どもたちに提供したときのことです。
0歳児の水遊びのとき、タライに水を張りその中に道具を入れて浮かしてみせると、すぐに両手でバシャバシャやる子、少しでも水しぶきを浴びようものなら、びっくりして泣いて嫌がる子どもがいました。
そんなときに、泣いて嫌がる子どもを受け止めつつ、「嫌だったね!嫌なんだよね」と言葉を添えているときに、先輩に「週のリーダーは個別対応しないで、全体を観ることが大事なのよ!」と言われました。
役割こそありますが、その場で指導(?)されたときには、思わずムッとしてしまいました。
でも、表情には出さずにその場を乗り切りましたが、後ほどその心持ちを先輩に話す勇気を持てずにもんもんとしていました。
今でこそ、勇気発言できますが、不思議と指導目線で言われると素直に受け止められない自分がいました。当時は子どもを真ん中に据えて相談する視点を持ち合わせていなかったため、何日も抱え込むことがありました。
言葉に出せない辛さを他職種のナースに気づかれてしまい、どれだけ助けられたでしょう。
そのときは、受け止めてもらって解決できたかのように思いがちでしたが、指導してくれた先輩に正直な心持ちを伝えてない訳ですから、元に戻ってしまいます。
この板挟みの状況を如何に乗り越えればいいのでしょう? なんとも憂鬱な心持ちでした。
素直に相談すればいいものを中堅というプライドが邪魔をして、もがき葛藤したものです。
そんなときに、違うクラスの先輩が閉ざしている心の窓をノックしてくれました。
「困ってない? 悩んでいない?」
まるで、私の心持ち見透かしているかのように聞いてきました。
「実は......」
「そんなことで悩んでいたの?!」
「じゃあ、クラス会議で相談するといいよ」と背中を押してくれました。
同じ先輩でも受け止め方が違う、指導目線ではないことに気づかせてもらったときに、もっと早く相談すればよかったと安堵の心持ちを抱くほどでした。
また、てきぱきとした園長先生の元で中堅職員だったときのこと。
職員はそんな園長先生のことを別名瞬間湯沸かし器と言っていました。
なぜ?
報告内容や相談したいことがあって尋ねていくと、そのときの気分次第で反応が違うことがありました。大きな声で、相談内容を否定することがあると職員は萎縮して言えなくなってしまい、その不満を陰でぼやくことになります。
それはなんの解決策にも繋がりません。
むしろ、負の連鎖が広がっていくことになります。
どうやって乗り越えたらいいのでしょう?
保育の要である主任がパイプ役になっていきました。園長先生に直接相談する前に、主任を窓口にしていくことで、直接感情的な声を浴びずに済むようになりました。
次に連絡帳についてです。
後輩の連絡帳の書き方に違和感を覚えてきました。例えば、絵文字やハートマークを使った書き方に、疑問を覚え、直接言えずにいた悩みを園長先生に相談しました。
すると、「今の子たちは絵文字やハートマークでしか書けないということだから、求め過ぎてもいけないのかも?」と言う答えが返ってきたのです。
その答えに『何か違う?』と思っても、勇気発言ができない自分がいました。
今なら理由が言えます。連絡帳は保護者がずっと保管する公の文書であり私物化してはいけないものだということです。
子どもたちにとっては、大切な成長記録でもあるということを後輩たちにも分かってほしいと願わずにはいられません。
新人でもベテランでもない、真ん中にいる中堅職員。だからこそ上下関係に挟まれたり、揺らいだりしがちですが、こんなときにこそ、さく子語録から一言、
「どこに向かって生きていますか?」
「生きていきますか?」
過去の中堅職員だったさく子に、現在のさく子だったらエールを送ってあげられます。
誰のために?というよりも、中堅職員の私に求められていることは、
子どもの願いを叶えるために傍に寄り添い続けること
困ったときには、心の窓を全開にして子どもに聴くこと
実にシンプルな答えが見えてきます。
新人の役割も中堅の役割も経験豊かな役割も
全て、子どもたちが教えて、受け止めてくれると思えたら、どんなにか幸せなオーラを醸し出せるでしょう!
試してみませんか?
コメント(9)
試すことができる中堅保育士が大多数である事を願っています!
うなずきながら読ませて頂きました。井上先生にもそんな時代があったのかと思うと親近感が益々上がります。
私自身保育園に勤めた15年間、たまたまかもしれませんが園内のチームワークに助けられながら子どもたちと向き合って来たのだなと改めて思います。
今、児童相談所の一時保護所に新人として研修させてもらう中では、指導してくださる先輩方がたまたま素敵な方々と出会い、自分自身のいたらないところはさらけ出しつつ、楽しみながら子どもたちと向き合っています。
保育園でも保護所でも自分の家でも、子どもも大人も否定的な言葉より肯定的な言葉の方が良い関係が築けて、相手に響きやすいかと感じます。
私もそうだったと振り返りました。
中堅ぐらいになってくると、保育の楽しさが分かってくるのですが、その責任や先輩からの助言で悩むことがありました。
どの立場の保育士さんも、目指す所は子どもであると思えばなんと心が軽くなるでしょう。
大切なこと、また1つ学びました。
答えはシンプルなんですよね。今は、「どうしたの?」と色んな人に助け舟を出してもらうことが多いので、出す側になれたらいいなと思います。
環境に慣れてしまったり、今起こったことのインパクトが大きいと、ついついそちらに目や思考が行ってしまい最初の気持ちを忘れてしまいがちですが、原点回帰して自分はどうしたいのか、どんな心持ちなのか振り返りたいと思いました。
自分の保育者人生を振り返りながら、読ませて頂きました。新人も中堅もそしてベテランになっても、悩むことばかり、だけど、悩み苦しみ考えることから生まれる確かな力!そして、経験したからこそのアドバイス、悩んだだけ力になりますね!若い人達に伝えて行きたい、大丈夫だよ!と
さく子先生、いつもステキな問題提起をありがとうございます。
中堅職員になると、園での一年の生活もだいたい理解できてきて、行事の係等も経験し、新人の頃よりはゆとりをもって子どもを見ることができるようになります。 しかし一方で今まで以上に「自分の頭で考えで保育を創造する」という側面が強くなってくる気がします。「自分はどこを目指しているのか、子どもの願いをどうやって実現してくのか、そのためには誰とどんなふうな協力体制が必要で、自分はどうリードしていくのか」、そんなことを悶々と悩みながら保育をしていくのが目に浮かびます。
保育経験を重ねたからといって、保育の悩みが解消されるわけではありません。もちろん中堅になると保育の具体的な場面での対応は上達しますが、それとは正反対に悩みはむしろ増大し深くなってきます。他のメンバーとの協力や連携も自分が動いてつくっていかなくてはなりません。物事の進め方や手順が共有されているか、クラスの雰囲気はのびのびしているか、子どもの見方を肯定的にとらえているか等々、周囲から求められ期待されるものも多くなります。
さく子先生の「どこに向かって生きていますか?」という問いは、「何を大切にして生きていきますか?」と同じ意味だと思います。「一人ひとりの子どもの可能性を引き出すために、私たちが大切にしなくてはならないことは何でしょうか?」そんな問いかけを自問自答しながら保育をしていく段階に、一歩足を踏み入れたのが中堅保育士だと思います。だから私は保育の深みに入り込んだ仲間として、「悩みを傾聴・共有し、励まし合い、支え合い、協力し合い、乗り越える」ことができる良質な関係づくりを園内で構築しなくてはいけないと考えています。
「どこに向かって生きていますか?」「何を大切にして生きていきますか?」子どもたちのためにまた同じ仲間として働く職員のために、この問いかけは必須です。今回もありがとうございました。
新人だった頃、中堅だった頃、ベテランと言われる頃の自分を振り返ると、後悔と反省ばかりです。戻れるなら戻ってやり直したい!とも…
だからこそ今、悩みや葛藤を抱えている仲間に気づいて声をかけあえる職場だろうか…と、改めて見つめ直す機会を与えていただいた気がします。
後輩が、「自分が新人の頃保育のことも園長の扱い方も?教えてもらった事が、今の私に繋がっている。」と言ってくれたとき、余りそう言うことは意識しないで目の前の人のためにあれこれ動いていたのかな?と自身を振り返ってみました。
中堅に限らないかもしれませんが、過去と現在と未来を繋いでいく役割が中堅なのかもしれません。良かったことも悪かったことも伝えていく、気付かせて行く。このような関係が公立でも私立でもあればいいのに。と思うこの頃です。
新人の時に、「もう私たちは3年目なんだから、職員会議でも意見をしっかり言えるようにならなければならない」と先輩同士の会話を聞いて、何となく3年目という節目を意識していたことを思い出しました。
何もわからずに先輩たちについていくのが精一杯だった新人時代から、少しずつ様々なことが見えてくる中堅時代は、モヤモヤすることも多かった。そんな時に「どこに向かって生きていますか」は、魔法の言葉だと思います。
冒頭の思い出から、新人の頃は中堅の先輩が身近なモデルであり、目標だったことに気づきました。保育の現場では、新人、中堅、ベテラン、園長と思いが繋がれているんですね。