第24回
子どもたちのネット依存
井上さく子
この夏 同窓会をきっかけに、私たちにとっては思いがけない長旅をしました。
遠野市にこれだけ長く滞在したのも何十年ぶりでしょうか?
故郷を離れて、初めての至福のひとときだった気がします。
実家や友人宅では、貴重な現代の子どもの風景に遭遇することができました。
しかし、それまで遠野の町を歩いていても、近所で外遊びをしている子どもを見る機会はありませんでした。
子どもがいない広場。それだけで、なんて寂しい風景なのでしょう。たくさんの子どもたちと同じ遠野で外を駆け回っていた自分の子ども時代と重ね合わせては愕然としている自分がいました。
ある岩手県でのケースです。保育園に通っている今5歳の男の子は、「ただいま!」と帰ってくると就寝までの大半をタブレットに夢中です。
こちらから話しかけても、ながら族の会話になってしまい、目を合わせることをしないまま、周りの大人たちと同じ場所にいます。いっけんお居間でみんなと仲良くしているよう。
でも寂しいかな、
心は通わず、対話は成立していません。
これではいけない。
なんとかしたい。
なんとかならないかしら?
同居をしている大人たちは共通の悩みを抱えていました。
そこへ、私たちがお邪魔したものですから
この機会を逃すわけにはいけないと心持ちが騒ぎ始めます。
一番に子育てやこれからのことで、もがき葛藤しているママの心持ちを引き出し、受け止めることから相談をしていきました。
ママは心のゆとりと、時間のゆとりがなく、心身ともに疲れて我が子を肯定的に受け止めることはできなくなっているのが現状でした。
子どもはそんなことはよそに、ママの帰りを心待ちにしています。
帰宅後ママがすぐに声をかけずに、2階に上がり着替えを優先するとそれだけで、ひっくり返って「ママがいい!」と怒ります。
やっと下に降りてきても自分からママに飛び込んでいく訳でもなく、ママからの言葉を怒りながら待ち続けていました。
見かねて、「ずうっとママを待ってたのね!」
と私がママに一言添えて初めて「ごめんごめん」と気づいてもらっていました。
祖父と祖母、大好きな叔父さんみんなに子育てされていますが、母親が一番であると、毎日こうしてシグナルを送り続けてきているとのこと。
じっくり向き合う時間の余裕がないと、どうしても子どもにタブレットを渡して、それを見ている間にママが何かせざるを得ないことも分かりました。
子どもが求めているものはタブレットでもゲームでもなく、ママだということの事実を提案して、家族会議をしました。その結果、タブレットは壊れたことにして、どんなにゲームがしたいと泣き叫んでも絶対に出さないことにしました。
その日の夜に、使えない状態になったタブレットをママから渡して、本人も何も動かないことを確かめ納得して入眠。
翌朝、私たちにもタブレットが壊れて使えなくなったことを教えてくれました。
その日に誰が提案した訳でも誰が決めた訳でもなく、大好きなニイニ(叔父さんのこと)が虫かごと虫取り網を買ってきてくれたのです。
それまでは、外遊びを知らないで過ごした子どもでしたが「叔父ちゃん虫取りに行こう」と自分から誘って出かけていくようになりました。
トンボやバッタ、カマキリなど自分で捕まえることも触ることもできないので、あそこに、ここに、あっちに、こっちにと大人に指示をしては喜んでいました。
それが連日続き、そのうち捕まえた虫たちを家族に見せた後に、「かわいそうだから返してあげよう!」とつぶやいたのです。
なんて優しい子なんだろう!
ちゃんと優しさが育まれていることを実感できて、嬉しくなりました。そのことを仕事帰りのママに話すと笑顔で受け止めてくれました。
外に出かけると自然事象に触れるだけではありません。
ご近所にお盆で帰省していた小4の双子のお姉さんがいました。水路に流れる水の中に入り、洋服がずぶ濡れになる程に水をかけたり、かけられたりしてはしゃいでいました。
そこへ遭遇した5歳の子も見ているだけではつまらない、と一緒になって水に入り、歓声をあげてビショビショに。
その様子を見ながら、「これこそが子ども時代の遊び」と頼もしくなりました。
夕暮れ時、少し肌寒くなったので着替えるためにここでさよならをしました。
虫取りや水遊びのこうした風景
みんなどこへ行ってしまったのでしょう?
子どもたちはどこへ行ってしまったのでしょう?
大人に「便利」なものは、子ども時代の「心の忘れ物」をさせる道具になっていること
子どもに「便利」なものは、「人と対話できない忘れ物」をさせるものになっていること
田舎暮らしの5歳の子どもの日常は、遠野市に限らず地方の緊急課題でもあります。
社会の縮図を観る思いがしました。
「叔父ちゃんも、おばちゃんも、ずうっとずっとうちに泊まって! また、虫取りに行こうよ!」
5歳の男の子の心持ちに確かな変化が。
子ども時代を面白がって!楽しんでね!
祈る思いで、故郷を後にしました。
コメント(9)
我が家も同じような状況になってしまっています。
子どもからのシグナルに気づきつつも、火や
包丁を使うとき、朝の間に合わなさそうなときなど色んな場面でついつい見せてしまっています。子どもも動画ではなく、抱っこなどふれあいを望んでいるのになと、なんとも言えない気持ちになります。
今回のブログで、もっと子どもに向き合えるよう、仕事のやり方・向き合い方を変えなければと改めて感じました。
スマホやタブレット、PCなども時代の変化の中で子どもも使えるコンテンツが増え、触れる機会も多くなりました。テレビが普及された時もゲーム機が普及された時もどの時代でも同じ問題が起きていて、便利さ故に子育てをそういった機器に丸投げしてしまうことがありますね。子どもは新しさや面白さに惹かれてそういった機器に食いつきますが、一番大切なものは何か?がこのコラムで気付かされますね。
時代の流れもありそういった機器が全て悪ではありませんが、便利なものも使い方次第でプラスにもマイナスにもなることも理解し、子育てを丸投げするのではなく、生活をより豊かにするためのツールとして使い方には注意して上手く使って行ければと思います。
私の勤めている園でも同じような事があります。子どもの口からはゲームやYouTubeの事が話されます。古い人間の私が、ゲーム機あるの?と聞いたら、iPad!と怒られてしまうくらいです。
せめて園にいる間は実体験を積み重ね豊かな心を育んでほしいと思います。
出産後お嫁さんに、さく子先生の本を読んでみる?と渡すと携帯をいじりながら、テレビを見ながらの育児を反省し、子どもと目を合わせて語りかけるようになりました。
子どもたちが与えられるのではなく、自ら心を動かしつかんでいく体験をいっぱい保証していきたいです
便利なものも使い方によっては、不便になるものですね。
ゲームを作っている会社の人は自分の子どもにはゲームをさせないという話を聞いたことがあります。
それだけ、便利、楽しいと思うものも子どもにとってはマイナスなものなのだな、と感じたことがありました。
使い方もあるのでしょうが。
益々ネット社会が便利になってくる世の中、大人は意識して向き合っていかないといけないですね。対話するということの必要性、最近特に感じます。
大人に便利なものは「心の忘れ物」こどもに便利なものは「対話のできない忘れ物」··とても心に残る言葉です。
どうして人はゲームに夢中になるのでしょう。そう言う自分も若い頃、夢中になった時期がありました(笑)。
ゲームは少しずつレベルアップしていき、きっと克服感や達成感を感じる心地よさがあるのでしょうね。人として成長していく、レベルを上げていく楽しさを感じる能力を特に五感の研ぎ澄まされた幼児期に本当は人を求めているのにゲームで満足させているとしたら、本当に勿体ないことです。そしてその代償が大人になった時の無機質な心を育んでいたとしたら、その重要性に大人は気づくべきですね。
しかし、忙しい保護者は日々生活を営むのが精一杯で、そんな先のことなんて考える余裕はないのもよくわかります。
保護者に寄り添いながらも幼児期の大切さを伝えつつ、自然や人との対話を通して、五感を使ったこどもの心が動く体験を保育の中心に捉えていかなければならないことをあらためて感じました。豊かな幼児期をめざして、新たに頑張りたいと思います。エピソードのすぐに虫籠と虫取り網を買ってきた叔父さま、素敵ですね。
ありがとうございました。
子ども時代に体験する事は、キラキラ輝いていて、一生の宝物!井上先生の訪問で、みんなが大切なことに気付けて良かったー!人は人の中で育つのですよね。両親、祖父母、叔父とこんなにもたくさんの大人の中で育つ子は幸せ
さく子先生も故郷に帰って、貴重な思い出がまた一つ増えましたね。さく子先生自身が楽しんできた様子が読んでてこちらに伝わってきます。今回も問題提起をしていただき感謝します。
さて今や田舎でもタブレットをもって、ゲームをするのが当たり前の時代になりました。「壊れて使えなくなった」というアイデアはすばらしいです。
本来子どもは、自分の五感を存分に駆使して、風を感じたり水の冷たさを感じたり、他の生き物に気持ちをよせたりにおいをかいだりと、まさに外の自然の環境から日々刺激を受けながら成長していくものだと思います。それと同時に愛情深いあたたかな大人たちに囲まれて(お母さんだけでは育ちません)育っていく存在でもあります。自然環境と家庭環境、子どもが育つそんな原初的な風景を見た思いがしました。
ただ今日タブレットやゲームを持たない家庭は、まずないのではないでしょうか。実際に核家族が多いことを考えると、タブレットなしで母親一人で家事と子育てをこなしていくのは非常に難しいようです。だとしたら、せめて保育園に通ってくる親にできること、それは屋内でも子どもが夢中になって遊べる遊具を紹介することだと考えています。私事ですが、自分の家では「カプラ」や積み木、コマやベイブレード、ビー玉、パズル、プラモデル、すごろくや人生ゲーム、カードゲームなど、屋内でできる遊びをたくさん用意し、自分も一緒に楽しみました。ゲーム以上に五感を使った楽しい遊びがあれば、子どもは夢中になって遊ぶ気がします。
誰かと関わらずに、タブレットだけで過ごすのだとしたら、さく子先生ではありませんが、人としての大切な忘れ物をしちゃいそうで、すごく寒々しい気持ちになってしまいます。そんなふうにならないために、私たちができることを微力ながら考え、実践していこうと思いました。
便利なものがない時代を知っている世代として、自分自身の日常を見直そうと思いました。いつもハッと我に返らせてくれるような投稿をありがとうございます。
IT時代を生き抜く21世紀の子どもたち。ロボットがあたり前に存在する時代に突入しているからこそ、それを操作する人には心の豊かさが求められます。タブレットを覚えた子どもからそれを取り上げることは不可能と思われますが、大人が一緒になって遊び、遊ぶ楽しさを伝え、共感することで心の豊かさを持った子どもに変わることができるのですね。諦めないことの大切さを実感しました。