第32回
子どもたちは水が大好き なぜかしら?
井上 さく子
2歳の女の子たちが、雨が降っていると
「あめ!」「あめ!」と両手を差し出してつかもうとしています。
雨と分かっていても、敢えてそばにいる大人に「あめ? あめなの?」
「そう雨だね! 雨って言うんですよ」
どちらかと言うと大人にとっては、降らない方がいい雨の世界でも、子どもたちにとっては目に見えて触れる感覚や感触が不思議だったり、面白がったりする格好の教材になっていきます。
水道の水も雨も
川に流れる水も
海の水も
雨上がりの水たまりも
水道の水が飛び散って
たまった水たまりも
みんなみんな水の世界であることを
具体的な体験をしながら、本物の遊びの世界に出会わせてもらえます。
ところがどうでしょう?
子どもたちが濡れると後始末が大変、風邪を引いてしまうかも、親御さんが嫌がるかも、などなどが頭をめぐり、及び腰になってしまったりしませんか。
暑い日は
水に触れたい
水と戯れたい
水で遊びたい
水と遊びたい
子ども心は本能で動き、遊びたくなります。
そのときに、子どもたちは心持ちと体の丸ごとを十分に受け止めてもらっているでしょうか?
大人たちは受け止めようとしているのでしょうか?
子どもたちは、なぜこんなにも水を好きになれるのかしら?
そんなふうに立ち止まって考えていますか?
理屈抜きに
面白い
気持ちがいい
楽しい
ずうっとやっていたい
などの心持ちが全開に動き始めると、身体も解放されて、何回も何回でも
繰り返し水に遊ぶことができるのです。
それは水に限らず、砂場遊びや他の遊びにも共通して言えると思いませんか?
子どもたちが自ら、あの場所であの道具を使ってこんなふうに遊んでみたいと言うイメージが湧き出ると、一目散に駆けていき興味や関心のある世界で没頭できるようになっていきます。
この瞬間を止めずに寄り添っていくと何をしようとしているのか、手に取るように映ってきます。
もしかして
もしかしなくても
本当は水遊びではなく、違う活動を予定していたのに......と。
仮に予定してあったとしても、それは大人の願いとして据えつつ、子どもたちが日々やりたがっていることに寄り添い、気づける確かな目を持てるようになると、子どもの願いが先であること、内容によってはそこに大人の願いを擦り合わせながら保育をつなぐことができたら、お互いに心地よい時間になると言うことでもあります。
いかがでしょう?
夏の季節は子どもたちにとっては
水に触れ合うことができる大好きな季節になります。
しかしどこかで水の恐怖を感じたり、水を介して嫌な思いや経験をしたことがある子どもは、水遊びに消極的になってしまったり、不安な心持ちを抱き、尻込みしたりすることもあります。
みなさんが知っての通り、水は楽しいことばかりではありません。
時と場合によっては、危険と背中合わせのことも想定内にしながら取り入れてほしいと心から願います。
ひと夏の体験が、子どもたち一人ひとりの豊かな心持ちと健康な身体を育んでくれると信じて向き合っていきませんか?
水に触れながら、どんな体験をし、どんな子どもになってほしいのか?
大人たちが目的意識を高めていくことも大切な視点だと思いませんか?
コメント(2)
5月で一歳になった孫が、庭に敷き詰められている石をバケツに入れてはこぼしを繰り返し、こぼす度にゲラゲラ笑っている映像がお嫁さんから送られてきました。五感を使い、おもしろいと夢中で楽しんでいるのが伝わってきました。そのうちに水の存在にも気付き遊びほうけるのではないかと楽しみにしています。大人が必要以上のおせっかいをせず、孫の水へのかかわりを密かに楽しみたいと思います
今日は久しぶりの雨で、子どもは大喜びでした。
雨が傘に打ちつける音や、自分が歩いたときにバシャバシャなる音が面白くて、とても笑顔で帰宅しました。
さく子先生のこのブログを拝読しているからこそ、そんな子どもの様子や興味に気づけるようになってきたのだと思います。
子どもの興味関心に気づき、寄り添いたいです。