第40回
保育園の外部講師
井上 さく子
最近の保育現場で、増えてきていること。
それは、体育遊び、運動遊びのために、外部講師を招いて取り組んでいる園に遭遇することです。自園でできる保育士がいない技能が必要なものはわかりますが、保育士の時間を節約するため・何かやっているという特別感をアピールするだけと思われるケースもあります。
一瞬、『それはなぜ?』と立ち止まってしまう自分がいます。
それだけではありません。
課題保育と称して、外部講師と一緒に、算数や文字を勉強する活動が延々と続く保育所も。
これは必要ですか? また、プロにイベント授業をしてもらうとしても、それを学んで自分たちでできるようにするのが本当ではありませんか?
保育士のプロ意識は?
担任の役割は?
大人と子どもたちの信頼関係は
どのように育まれていくのでしょう?
その度に、『なぜかしら?』と振り返ってしまう自分がいます。
教育に力を入れるようにと言われて、小学校の準備期間の如く、次から次へと課題に取り組まざるを得ない子どもたちの心持ちはいかに?と思ってしまいます。
NO!と言える権利があるのに、言えない心持ちをプロとして、保育士として、人として
どこまで真剣に受け止めているのでしょう?
教育とは?
教えられて学ぶことではなく、全ての子どもたちが日常の暮らしの中に散りばめられている様々な環境の中で、自ら取り込んで学ぶ体験こそ本物の教育だと思いませんか?
保育園はただの小学校の準備期間ではないことを、発信し続けていても、現場の先生方はそれらの課題を洗い出す機会も時間もない中に置かれています。
仮に、そのことに気づき、提案したとしても園の方針と言われて諦めてしまう風景までも......。
それは、誰の願いを叶えるためなのでしょう?
心持ちが痛みます。
そんな中で、私立園の活動のエピソードをのぞいてみましょう!
ソーラン節の曲に合わせて、元気な掛け声が耳に飛び込んできました。
ホールからです。
さっそく、子どもたち全員の顔が見える場所から、その様子を見学させてもらいました。
袢纏を身につけて、潔よく舞う子どもたち。
「ソーラン!ソーラン!」の声が、ホール中にこだまします。
こんなに夢中に、声を合わせて、舞う子どもたちの姿に思わず感動の涙が......
あっという間に、最後のフレーズになってしまいました。最後に決めるポーズで、拍手を送ると、なんと
「もう一回最初からやりたい!」という子どもたちの言葉が耳に。
その結果、もう一度最初から観せてくれたのです。その前は、乗り気ではなかった男の子も自分からその気になって舞う姿にも感動!
言葉では表現し切れないパワーが漲ってきます。
その後の綱取り合戦が、またまた見事な物語でした。
2つのグループに分かれて、作戦会議!
ゲームが始まる前に、主任が仕掛けたのです。
なにを?
綱を並べて置いてある間に、体育用の赤いマットと青いマットを置いていきました。
子どもたちにとっては、想定外のことです。
いよいよ、合図を受けてゲームが開始。
結果、一つのグループは綱を5本
もう一つのグループは、綱2本とマットを2枚
ゴールに運びました。
その結果を出すために、担任は子どもたちに相談します。
綱以外にマットが入ったことで、「勝敗を決めるのにどうしたらいい?」と。
綱を5本運べた子どもたちは、自分たちに勝利あり!と思い込んでいたところでした。
そこへ相談かけられると、どちらのグループも真剣です。
綱は軽いこと
数だけでいくと5点
マットは大きくて重い
それなのに1点と数えるのはおかしい!
などなど、
子どもたちの意見が飛び交います。
それを受けて、グループ同士でバレないように作戦会議をしてほしいと提案をすると、2つのグループは離れた場所でまあるくなって、時には大きな声で話す子どもも。
作戦会議だから、バレないようにと小声になって相談をしていました。
その結果、マットは大きくて重いので、2点に
綱は1点のカウントに決定!
それを受けて、その後の勝負で同点の引き分けになると言うドラマが。
年長の力を信じて、相談の機会をつくり、自分たちで考えて、ルールを決められる仲間集団に著しい成長を遂げていると実感できる光景でした。
内面に秘めている力をいかに引き出し、受け止めていくのか?
寄り添う大人たちの力が問われた時間でもありました。
年長最後の運動会に向けて、子どもたちは一つひとつの取り組みに、真剣に望んでいました。
やらせ感は全くなく、自分たちの、仲間たちと一緒に取り組んでいるこのプロセスにこそ、大きな意味があると思っています。
このエピソードにこそ
本物の教育が散りばめられていると思いませんか?
コメント(10)
お嫁さんのお友達が子どもを入園させる園を決める条件は、体操教室、プール指導、英語と習い事をしてくれる園だと言っていました。
子どもはどんな思いなんでしょう。
小学校の先生が、保育園で間違った跳び箱の跳び方を教えるので、授業で正しく教えるのに苦労していると言っていました。
みんな良かれと思っていることが、子どもの思いとずれている事をわかってほしいと思ってしまいます。
ぐったり疲れるまで遊びほうける、自分たちで考えて遊びを進めていく乳幼児時代を過ごしてほしいと思っています。
さく子先生の言葉、、胸にささりました。
「誰のための活動なのか、、。」本当にその通りです。自園におきかえて考えていました。
私たち保育者が外部の方ありきの保育になるのではなく、同じ活動に参加するにしても保育者がしっかり自分の保育に生かしていく姿勢を忘れない事。
当たり前だけど大事な事ですね。
そして、一番大事なのは目の前にいる子どもたち自らいきいきと学べるそんな場所、時間をつくれるようにしていきたい。そう感じます。
そして、、私自身も毎日楽しんで保育したい!そう感じました!
次回も楽しみに学ばせていただきます!
さく子先生、ありがとうございました
のんのんさん | 2020年2月 4日 22:40
外部講師、私は保育士のときは、例えにもならないけれど、内部講師かな?って、勘ぐる自分をフフって含み笑いしてしまいました。
楽器演奏、劇、オペレッタ、遊戯。ダンスなどなど、発表会も運動会も子どもたちと奮闘したな、講師でも先生でもなく、子どもたちに、何しようかと、絵本やレコードや、ビデオテープを見ながら、家族や保育園仲間にみせたいね。年長さんは意気込みが違う。シンバル、大太鼓、木琴、鉄琴と、オーケストラ版の、楽器に、挑戦していた。
衣装は手作り、子どもたちも一緒に作る。
子どものアイディアに、気づかされ
みんなが、力を合わせる、励ます。頑張るって、私は子どもたちから、やり遂げる感動を何度ももらいました。
今、傍らにいる子どもを信じ、経験させたいと想い、選ぶ楽しさ、想像する楽しみを何度も何度も経験した。
一緒に過ごす。時間の中で、 発表会や参観日、子どもたちと共に、見てもらうための何かではなく、日頃の生活の中で、ねぇねぇ、みてみて、聞いてよぉの感動をつたえたいな。
誰でもない、子ども自身が他人に認めてもらったと言う自信が、次のステップにつなかると、さく子先生の言葉から、感じました。
保育士は、魔法みたいにアイディアがあり、その源本は、子どもの無限の想像する力、向き合って、気づき、築けるのは保育士自身だと。
連載拝読させていただきました。
とても興味深い内容でした。
さく子先生のおっしゃる通りだと共感致しました。
現実は、保護者へのアピールで、外部講師を入れているところは多いですね。
株式会社運営の認可園は、ほとんどが外部講師を投入しています。
どうしても、保育士がお客さん的になってしまうので、あくまでもきっかけ作りや保育士の学びのヒントなんだと伝えても、現場の保育士に浸透していくのはなかなか難しいですね。
ただ、二、三年すると、自分達が主になって行っていけるように、日にちを減らしたり、外部講師を入れなくなったりと、少しずつ変わってきている法人もあります。
最初は外部講師導入に飛び付いた法人も少しずつ弊害に気づいて来ているのだと思います。
あくまでも、保育士が主体的に子どもたちに大切なことを伝えていける環境を模索していきたいですね。
時代のニーズに応え、生き残るための経営戦略となってきている現状に将来への危機感を感じます。大学入試制度もようやく一歩踏み出せるかと期待感がありましたが、詰め込み式の学びにとどまりました。保育園が変わろうとしても小中高大学が変わらなければ結局乳幼児教育も詰め込み式、マニュアル的教育が保護者に安心感を持たせ競争率の高い保育園になっています。何かが違うと思っても選ばれない保育園でば経営困難に陥ります。外部講師に任せる保育は保育士を単なる子守的存在に低下させていく危機意識を持ち、足重に小学校、中学校にいって現状を学ばなければならないと感じました。文字にしても、体育的活動にしても、その芽生えは乳幼児期の遊び全てから育ちます。その大切な時期に関わる私たちは、子ども達の純粋な興味関心に適切に自信をもって寄り添えるよう基礎的なところから学びなおす必要があると感じました。
私が以前勤めていた園も『正課』といって外部講師を招いての『英語』『体操』※指導がありました(※敢えて指導という言葉をつかわせていただきます)
1クラス30名程の子ども達に与えられる時間は15~25分
体を動かすことを~、英語に触れることを楽しむ...と言うには程遠く、我慢して待つ!という訓練の時間だったように思います
それでも、その『正課』があることで、保護者からクレームがあがったことはありません
子ども達にとっては、夢中になっていた遊びを中断され、嫌な気持ちのまま忍耐強く待つ時間になっているにも関わらず...です
大人の思いで一方的に仕込まなくても、『遊び=学び』であるということ、そもそもの意味を理解し、現場で実践している保育者が、自身の言葉で保護者に伝えていく必要性をひしひしと感じます
さく子先生の、エピソードよませていただき、真っ先に浮かんだのは、自園や、自分の保育についてでした。
うちの園も、近年は外部の教室も増え、保護者も、そう言う形を望まれることもあり、たくさんの教室があります。
いつのまにか、そこに深く考えることなく子供たちと参加している自分もありました。本来の子供の育ちとは、エピソードの姿そのものですね……生き生きとした子供たちの姿、今どのくらい自分の保育にあるのだろうか?私たち大人がもっと深く考えながら、支えていくものだと思います。いつの間にかかけ離れたものへ進んでしまっていた自分があり、苦しくなって読んでいました。
これからどうあるべきなのか考えていきたいと思いますし、職場でも話し合えていけたらと思います。
できるようになりたい!こうやりたい!こうしたい!…こんな思いをもつ前に、これをやらなくてはならない!という状況をつくってしまうなんて
そんな子どもの姿を思い浮かべただけでも苦しくなってしまいます。子どもの今を捉えてあげること、こんな自分になりたい!と思っている姿に気づいた時の保育者のドキドキ、わくわく…さぁ、どう見守っていこうかな、ちょっとしかけてみようかな…それが保育だと思います。その姿にどう寄り添って、求められた時に手を差しのべられるか…そして、そんな子どもの姿をどう保護者に伝えられるか。外部の講師を招いて、これをやりました。あれが出来ました。と言っていれば保護者にも分かりやすく、保育する側も違う意味での安心と確実さを得られるのかもしれません。でも、子どもの中に育っている力の強さ大きさは、あそびの中で得られるものや仲間との活動の中で得られるものとは比べものにならないと思います。もっともっと、自分達の保育に自信をもって価値付け意義付けして、保護者に発信していかなくてはならないんだと思います。
自園でも、私自身にも足りないところです。さくこ先生からエールを頂いたと思って、みんなで考えていきます。さくこ先生、ありがとうございます!
さく子さん、お久しぶりです。
ソーランからの綱&マット引き合戦への仕掛け、それを見つけた時の子どもたちの好奇心いっぱいの眼差しが目に浮かびます。
自分たちで決め事をしていざゲーム。
なんだかこちらまでワクワクしちゃいます。
外部講師に関しては、それを喜んでいる保護者が多数いる事も悲しい現実ですね。
年長さんたちの思考、チームワーク、素晴らしく頼もしい姿を想像しています。ここに至るまでの先生方の日々の積み重ねもまた想像しています。
ひとりひとりが考え、思いを感じ合い、意見を出し合う…保育現場でここまでに自己の力を引き出されて育った子どもたちが、小学校の教育の中でどのように自分の力を発揮していくのか、ここで育った力を抑え込まれてしまうことなく、ぐんぐん発揮してほしいと願います。