第39回
子どもは風の子!
井上 さく子
遠い昔は、普通に飛び交っていた言葉を懐かしく振り返っています。
最近その言葉自体はあまり聞かなくなりましたが、 21世紀に誕生した幼子たちもみんな、寒さ知らずで
雨の日も
風の日も
雪の日も
なおも外に出ようとする様子を目の当たりにします。
そんな子どもたちの弾ける様子に触れて、子どもはいつの時代も変わらないことを教えられています。
大人たちは咳をすると
「風邪をひくから中に入りなさい!」
鼻水が出ると
「寒いから中に入りなさい!」
「手が冷たいよー!」と、もみじのような手を見せられて
「ほらっ、だから言ったでしょう!」
大人の言葉のシャワーを浴びる子どもたちは、どんなふうに答えるのでしょう?
「はーい!」
「分かったあ!」
「今すぐ戻りまーす!」
こんなふうに、素直に戻るのでしょうか?
戻るどころか、大人の願いとは裏腹に
さらに、自分たちの世界に留まろうとしませんか?
真冬のある日、裸足で外遊びをするKちゃんのエピソードです。
靴下履いて、靴履いて一瞬のうちに外に飛び出す4歳児のKちゃん。
ただ今、竹馬に夢中のKちゃんは来る日も来る日も竹馬にチャレンジしていました。
さっき履いたばかりの靴も靴下も剥ぎ取るように脱ぎ裸足になっていました。
足の指先が時間が経つにつれ、赤くなっていました。
「寒いさむい!」と言いながら
「冷たいつめたい!」と言いながら
裸足のままで竹馬に乗って楽しんでいるのです。
もっとも保育士もただ放置するわけではなく、時々寒くないか確認しにいきます。
Kちゃんは裸足ですが、服は長袖長ズボンです。
一日中裸足で遊んでいると、お迎えの時にKちゃんのお母さんがその様子を見て、
「靴下や靴を脱がないで遊んで欲しい!」と言いました。
Kちゃんは、もちろん、ハイ!とは言いません。
でもお母さんは、Kちゃんが発熱して保育園から呼び出しがかかっても、駆けつけられないと言うのです。
皆さんでしたら、お母さんの心持ちをどう受け止めるのでしょうか?
Kちゃんの担任も私も共通した視点で対応します。それは?
私と子どもとお母さんの真ん中にKちゃんを据えて、相談することです。
ですから、担任も一番にKちゃんに聞きます。
Kちゃんは、裸足で遊んだ方が面白いと言うのです。
その旨を、お母さんにお伝えしても納得できずに、園長の私に再度相談してきました。
一旦は、お母さんの心持ちを受け止めて、担任と同じ答えになってもKちゃんに相談してみます。
誰が相談してもKちゃんの答えは一つ。
一つどころか、「だいじょうぶ! 熱なんか出さないからだいじょうぶ!」と言うのです。
『ここまで、本気で訴えるこの心持ちを代弁しなくてどうするの?』と言われている錯覚を起こしました。
運動していれば暑いですし、子どもは寒くなってきたら自分で感じ、自分で靴下を履きたくなって履くことが必要です。
ブレずに据えて、その言葉をお母さんにお伝えすると
「そこまで思っているのでしたら、分かりました!」と受け止めてくれたのです。
【心も体も元気な子ども】
園目標で掲げているめざす子ども像そのものをKちゃんが見事に教えてくれたエピソードでした。
「子どもの力を信じて向き合う」とは、全ての大人に通じる合言葉だと思いませんか?
保育のみならず、子育てや教育に於いても共通に当てはまることだと思いませんか?
生きる力は信じる、信じてもらう関係性の中でしか育まれないと言っても過言ではありません。
大人の都合で、子どもの願いをコントロールするほど、理不尽な行為はありません。
♪子ども風の子
じじ ばば 火のこ ♪♪
のわらべ歌遊びを思い出しています。
こんな時代だからこそ、子どもの育ちを
わらべ歌を口ずさみながら、温かく見守ってほしいと心から願わずには入られません。
皆さまは、目の前の大きくなりたがっている子どもたちと、どんなふうに寄り添っているのでしょうか?
コメント(10)
竹馬を思う存分やるKちゃんの思いに心を寄せ、代弁する園長先生の温かい思いが伝わってきました。幸せですね。やんちゃになってきた孫の思いを大事にしていく大人でいたいと思いました。
私の小さいころもそうでした。母親や祖父母に叱られるのが、なんとなく分かっていましたが、友人と日が暮れるまで外遊びをしていたのを思い出しました。男の子なので、川遊び、基地あそびなど、けがなどの心配の必要な遊びばかりしていた気がします。現在の先生方や親御さんの中には、けがをさせない、病気をさせない、喧嘩をさせないのように、させない、しないが当たり前になっているように感じます。子供たちの中にも、大人と同様に子供社会が存在すると僕は思っているので、その中でおこるアクシデントは、あっても良いのではと考えます。大人はその時、どう対処すべきかを考える、分かる余裕も必要だと思います。
まだ子供もいない、独身の身の私が言える立場ではありませんが、子供たちの発想の自由、ひらめきの自由を許容できる環境がもっと必要ではと思います。
そうですね。頭、優先で身体に聴くことを忘れてしまいますよね。保護者の方の心配は分かります。でも、子どもにとって、「お母さんが、先生が私の気持ちを認めてくれた」という経験は、その後の子どもにとって、大きな経験になり、引き継がれていくでしょうね。お母さんにとっても、あとから振り替えると、きっといい思い出になるでしょうね。
さく子先生、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします!
初めて投稿させていただきます。
子どもたちの自ら欲している体験から得るものの大きさは計り知れないと思っています。それを保証するだけではなく、大人の都合や価値観を無意識に押し付けている保護者やその周りにいらっしゃる大人たちに、どう気づいていただくか・理解していただけるようなかかわりができるかが、保育教諭として難しくもあり大切なことですよね?
マイナス気温でも、ズボンをべちゃべちゃにしながら笑顔で遊び続けていた未満児の姿は、無邪気に真剣に生きている姿ですよね。その子を見ながら、子どもたちの育ちを保ち、とことん子どもを信じて共に生きる!ということを、たくさんの保護者と共有し続けたい…と願います。
子どもとの信頼性、保護者との信頼性。が大切ですね。
こどもの気持ちをどこまで理解して、反対するものたちに伝えて理解してもらうか❗️
どうしても保身に走ってしまいがち。
なにが大切なのか、よく考えるいい事例です。
温かい部屋のこたつで本を読む。換気のために少し開けた窓の隙間から冷たい外気がたまらなく心地よい。子どもの頃、掘りごたつに首まで潜り込んだ顔に時折窓の隙間から粉雪が顔にかかり最高に心地よかった風景を思い出す。新雪に寝転んで形を楽しんだり、ソリ遊びをしたりウサギの足跡を夢中で追いかけたり。あの頃の子ども達は少し温まるとすぐに外に飛び出し、濡れた体から汗の湯気を出して日が暮れるまで遊びほうけたものでした。それでも殆ど風邪等ひかなかったから凄い。それと同じことはできない時代ですが、大事にし過ぎて大事な力を摘んでしまっていることを改めて振り返りました。
井上先生、2020年のスタートに、心に響くお話をどうもありがとうございます!
「ここまで本気で訴える心持ちを代弁しなくてどうする?」子どもを真ん中にして話し合う、一瞬一瞬を本気で生きる子どもたちは、体をはってメッセージを送ってくれているのだなと改めて感じます。そして、この「心持ち」を受け止め、親御さんにしっかり伝えられる先生方の清々しい覚悟にもまた感動しています。
「生きる力は信じる、信じてもらう関係性の中でしか育まれない」大切なメッセージを今年の柱におかせていただきます!
大きくなりたがっている子どもたちに大切なことは?…風邪だってひかない方がいい、怪我だってしない方がいい、でもそこなのでしょうか?裸足でやった方が力が入るんだよ!自分で感じて気づいてチャレンジして叶えていく…そこには教えられるよりも遥かに大きい物を自分自身で掴んでいく子どもの姿があるんですよね。子どもをどれだけ信じてあげられるか…『子どもを真ん中に』自分達の保育を改めて振り返る機会を、さくこ先生から頂いたように思います。子どもの今を捉えたり、保護者の思いを受けとめたりできる柔らかさと、子どもの心持ちを代弁できる強さをもてる
保育者でありたいと思いました。
心と体も健康である子はウキウキ弾んでいる子だと思います
でも大人の都合で、一方的に子どもを動かしてしまったら、子どもの心をズキズキと傷つけ...そして心を閉ざしてしまうことになりかねない
子どもが心を弾ませ、面白がっていることを~
子どもの育ちを~
子どもを真ん中に置いて健全に保障していく、そんな大人との関わり、大切にしたいですよね
さく子先生と出会えたことで、心を開いて共感し、認めてくださった保護者にも感謝を忘れずにありたい!と感じました
私は感じる心を!愛を大切に、子どもに寄り添った保育をしたいと思います
私が働いている園でも、つい先日、雨上がりの水たまりに裸足になって入る2歳児の子、それを見て次々に真似する子がいました。寒いからやめようと誘う保育者もいましたが、私の目には子どものキラキラした目や生き生きとした姿が映し出されすぐにやめさせる事ができませんでした。
もちろん子どもたちの健康を願っての思いも大事ですが、子どもたち自身の遊びを生み出す喜びや楽しさを受け止めていけたらいいなぁと思いました。
さくこせんせいの「目の前の大きくなりたがっている子どもたちと、どんなふうに寄り添っているのでしょうか?」「生きる力は信じる、信じてもらう関係性の中でしか育まれないと言っても過言ではありません。」「大人の都合で、子どもの願いをコントロールするほど、理不尽な行為はありません。」
子どもたちを信じる事。一緒に考える事相談をしていく事の大切さを改めて感じました。