第53回
心の育ちは仲間と共に
井上 さく子
ある地方の公開保育研修に、お邪魔したときのエピソードです。
東京から冬晴れの日、あずさに乗って、たどり着いた先の保育園
到着したのが寒い朝の9:30頃でした。
事務所に案内していただいた先に、ベットが2台並んでいました。
何気なく目が止まり、よく見るとそれぞれのベッドに男児が横になって寝ていました。
思わずそばに居合わせた園長先生に、そうっと聞いてしまいました。
「具合が悪いんですか?」と。
登園の足並みが揃っている時間帯に、2人も寝ているとは、それ以外に想像がつきません。園長先生が答える間もなく、玄関先にマイクロバスが入って来たのです。
「おはようございます!」
「ただ今帰ってきました!」
男性の大きな声に振り向きながら、おはようの挨拶の後に「ただいま?!」
聞きなれないフレーズです。
バスの外側にスイミングスクール名が入っていて、そこでスイミングスクールのバスであることを知りました。
公立の保育園でスイミングスクールを受け入れていることを知って驚き、園長先生に答えていただく前に、2人の男児がなぜベットで寝ているかをそばにいた保育士が話してくれました。
「仮眠をしないとプールの疲れが取れないので
お昼ご飯になるまで、寝かせてあげているんです」と。
今入ってきたバスはその2人が通っているスイミングスクールのもので、いったん止めなおしてから挨拶して立ち去った男性はそこのコーチだったようです。
いかにも?
素直に落とし込めずに、またもや伺ってしまいました。
「スイミングスクールは、園の方針ですか?」
すると2人の子どもたちの保護者の強い要望を受けて、そうせざるを得なかったと言うことでした。
なるほど......。でも、ちょっと違う、何かが違うと思わずにはいられませんでした。
みなさんはどんなふうに受け止めます?
他にも、早朝からこんなふうに習い事を取り入れているところがあるのでしょうか?
みなさんのところでは、いかがでしょう?
集団生活に入る前に、疲れを背負って登園することをどんなふうに受け止めるのでしょう?
子どもの満足?
それとも大人の満足?
一眠りした後は、普通に起きてクラスに戻っていく2人。
クラスの活動が終わり、食事時間から合流していく2人を他の友だちはとてもクールに受け止めているようにも映りました。
特に、年長児クラスの遊びが終わったところへ普通に入っていくと、
「◯◯さんはいつも遅くくるんだよね、だから、僕たちとは遊べないんだよね?」
「いたってさ、僕たちが遊んでいるときは、◯◯さんは寝てるからね」
「いいんじゃないの?」
受け止めているようでいて、会話のやり取りはシビアでした。
そのやり取りを耳にしていたのは、私だけだったということもありますが、皆さんが同じ立ち位置に寄り添っていたとしたら、子どもたちのこうした関係性をどのように受け止めていくのでしょう?
言っている子ども
言われている子ども
仲間関係
両方の心持ち、痛いほど伝わってきませんか?
肯定的に受け止めるとしたら、大人の知らない日常の世界で、このような物語は多かれ少なかれたくさんあるような気がします。
お互いに、本当は◯◯さんと遊びたいのに、
この時間はいつもいない......とか、
遊ぼうと思ってもいないからね......とか。
どちらの心持ちも知って、聴いて、感じたら
私だったらどうするかしら?
皆さんでしたら、どのようなまなざしを添えるのでしょう?
もがき葛藤する子どもの世界。
確かに、生きる力のエネルギーになっていくことも事実です。
時と場合によっては、なんでもかんでも大人が介入するのではなく、子どもたちの世界でぶつかり合い、刺激し合いながら、仲間関係を構築し、その中で乗り越えていく力を育む経験も大切だと思います。
だからと言って全面的に任せっぱなしではなく、このようなことが子どもの世界で起こっていると、大人たちが間接的に把握していくことを願わずにはいられません。
こうしたあつれきに、傍に寄り添う大人たちの観察力を研ぎ澄ましてほしいと願います。
子ども世界にある様々な物語
内容によっては、友だちの悩みもぼく、わたしの悩みとして受け止め、相談できる環境を提案していくことによって、仲間意識も肯定的に育まれていくと思いませんか?
仲間関係の中で、様々な体験を重ねながらグループワークをしていくことで、思いやりや優しさやいたわりの心持ちがすくっと育まれていくと信じています。
親御さんの願いを一旦は受け止めつつも
何よりも大切なこと
『目の前の子どもの心持ちいかに?』
を察して受け止めていくことを第一に据えて
応援できる大人でありたい。
みんなで遊びを始めるときにいられず、仮眠しなかったら集団生活に入れない環境に置かれるよりも、仲間といっしょに豊かな体験を共有し合いながら、もがき葛藤していくプロセスにこそ、確かな育ちが約束されていくと思いませんか?
今回はスイミングスクールの物語に触れてきました。
成長してきた子ども自ら何かを「やってみたい!」と言ったとき、
その願いが、簡単に叶えられないこともある
その願いは、一人で頑張ってもできないこともある
その願いが、失敗することもある
その願いで、間違えてしまうこともある
そんなときには、仲間の手助けが必要ですが、「仲間」としての一体感がない子同士が協力するのは難しいものです。
一つひとつを仲間と共に乗り越えられた先に、失敗や間違いを恐れない豊かな心持ちを育む世界が待っていることを知って、感じてほしいと願います。
就学を前に、仲間の誰をも疎外しない。
みんな大切な存在であることを体験できる世界を本気でデザインしていくとき、
それが今です。
いかがでしょう?
コメント(8)
親が子を思う気持ちと、子ども同士の世界、園の方針や在り方等の中で、一番大切にしなければいけない、お子様がもがき葛藤している様子がひしひしと感じられました。
我が園では通常の保育に支障がある、今回のスイミングのような依頼はありません。
しかし、コロナ禍もあり、園の方針で、行事を大幅に削減し、保護者の参加もお一人に制限する等々、保護者様からは苦情もあります。保護者の思いや願いとのギャップで心が揺らぐ場合もありますが、常に子どもを真ん中に据えて、子どものために最善を尽くしたいと思います。
親は子どものためと言うけれど、それは自分のためではないかと思うこともあります。自分もそう育ってきたのかもしれませんが。
子どもを守るという人もいるけど、本当は自分を守っている。ということもあります。
正しいと思うことが口に出せない事もあり、あなたがそれでいいならそうすれば。とやけ気味になることもあったり。価値観の違うことにぶつかると心が痛みます。
誰がなんと言おうともこうなのだ。と強い信念は、何でも大事ですね。
何を守るのか、私たちは。
衝撃的なエピソードで息もつかず読ませてもらいました。?????何故?がいっぱいでした。
大人の都合と子どもの育ちを秤にかけたらどちらが重いのでしょうか?
一歳と二歳の孫がいます。母親達は、バレエが良いかピアノも習わせたい、サッカーかな?空手も良いよね、などと話しています。
さく子先生のエピソードを読んでもらい何を大事にしたら良いのかを感じて欲しいと思いました。
子どもが朝から疲れているというのは、自然な状態ではないと感じました。本来大人も、朝から疲れているというのは自然な状態ではないのかもしれません。では、なぜそのようなことが生じるか。今回のお話では、スイミングスクールに通っていることのようです。スイミングスクールに通うことの良い悪いというのは置いておいて、何か意図的にしていることには無理が生じてくると感じます。朝の時間にスイミングスクールに通うことも、意図的に行っているためか、子どもに無理が生じていると感じました。子どもの自然な状態とは何か?
?と考えると、子どもたちの中でさまざまなことを一緒に経験していくことだと感じます。自然な状態には意図がない為、無理が生じず、一人ひとりに子どもがもっている特性が生かされていくのではないかと感じます。保育者はそのような子どもの姿を見極め、環境を自然とデザインしていくことが大切な気がします。意図的なことは目に見えやすく、成果が得られた気がします。そのため、そこを求めやすいですが、そこには本来の自然な姿を生かす道からはずれてしまうような気がしました。
朝からの習い事のご家庭はありませんが、担任が何度お願いしても毎朝公園でひと遊びし10時頃登園して来る3歳男児母子がいます。言われて2・3日早く来ましたが、今朝も大きな声で「今公園で遊んで来たんだよね‼園長先生に話してあげて‼」とこのスタイルを貫くお母様。日々の積み重ねから少しずつ皆から離れてきている姿が気になり、公園の様子を聞きながらもお母さんに相談しました。大人でも遅刻は気まずいもの。大切なお子さんを一日園に預ける保護者様が我が子にできることは生活リズムを整えて園に送り出してくださること。小学校、その先を見据えた子どもの基本的な脳のリズムを作るのも崩すのも子どもでは無く親であることを伝えました。保護者の価値観を尊重したいが私物化していないか、子どもの輝く笑顔があるならまだしも、私達には物言えない子どもの人権を守る役割があると感ずるこの頃です。
過去に受け持っていた、2人のお子さんの事を思い出しながら読ませていただきました。
1人は、週の半分が午睡前に早退し、英語・公文・ピアノ・バレエを習っていました。
もう1人は、月の半分の日にちを違う保育ルーム(英会話のみで過ごす無認可園)に通っていました。
どちらのお子さんも、友だちと充分に遊べず、何度も何度も保護者の方とお話する機会をもっていました。
保護者の方の願いが強すぎると、子どもの気持ちが置き去りにされてしまうと心から思いました。
ただ、強制はできないので、繰り返し話し合うしかないのかなと思います。
子どもたちにとって、何故今のこの時の経験が大切なのか、タイムリーに、丁寧に、根気よく話すことが大切なのではないかと思います。
私たちの子どもの頃は草野球が当たり前でしたが、今は小学生から野球チームに。中学校の部活も子どもの頃からクラブチームに入っていないとなかなか活躍しにくい現実もあります。子ども時代に何かに特化したトレーニングよりいろんなスポーツや遊びで体を動かしていた方が後で力が伸びるケースが多いと聞いたこともあります。子ども時代はその子その子の持っている力の畑を耕している時。友達と楽しみながらそれぞれに得意分野を伸ばしていく…今すぐ結果が出るわけではないだけになかなか分かってもらうのは難しいですね。でも、それを信じて伝える気持ちは持ち続けたいです。草野球していた子たちの顔はすごく生き生きしていたことがなつかしいです。あの顔が大事だと思い返されました。
私は1歳、4歳の女の子の母です。今まさに姉の習い事を始めようと思っていました。子どもの気持ちを大事に、大人の都合になっていないか?ともう一度私自身、娘にも確認して楽しくできたらと思います。保育園での子ども達の姿、年長クラスでの仲間と育まれる時間こそ大切にしたいと感じます。