第41回
心の忘れ物と影をなぞる4歳児
井上 さく子
公開保育研修にお邪魔したときのことです。
3月学年が変わる節目に向かっている時期に、室内で男の子同士が何やら寝転んでいるところに遭遇しました。
「くろちゃん赤ちゃんになって、僕はママになるから!」
「うん、いいよ!」
と言いながら、ごっこ遊びをしていました。
思わず、心残りがないように、「心の忘れ物」を取りにきているのね!とつぶやく私がいました。むしろ、今からでも遅くないですよ!と心の中でエールを送っていました。
ところが、どうでしょう?
人によっては、「もう年長なのに、みんなと一緒に遊べないの?」
「それは、年少の遊びだと思うんだけど?」などと、ごっこ遊びをやめさせようとしてしまう保護者や先生もいます。
子どもが「やってみたかったこと」をして、満足して次へ移ろうというその心持ちに気づこうとしないどころか、気づけない人が?!
その言葉を浴びる子どもたちは、どれだけ傷ついているかなど知る術もありません。
一例ではありますが、例えばこんなふうに年長児クラスのみならず、
大人が良かれと思ってやっていること
やってきたこと
言ってきたこと
言わせてきたことによって
たくさんの「心の忘れ物」をさせていることに気づきを取り、真摯に振り返ってほしいと願わずにはいられません。
子どもたちの一場面を捉えて、自己判断するのではなく、その前後にある育ちまでも想定内にしながら一つの物語を観ようとすると、その先の物語を子どもたちが教えてくれます。
例えば、こんなふうに。
晴天の日に、2歳児と4歳児が異年齢で散歩に出かけました。
樹齢何十年?と桜の木に聞きたくなる大木が
朝陽を浴びて大きな影をうつし出していました。
子どもたちが慣れたこの環境に駆け出していきそれぞれに遊び始めている景色を見計らって、私は木の棒を手に、その桜の影を線でなぞっていきました。子どもたちに気づかれないように仕掛け始めたのです。ところが、2、3人の4歳児の女の子たちが、
「何してるの?」
「何かしらね?」
「あっ!分かったあ! 影を描いてるんでしょう?」
「そうかしら?」
それに気づいた子どもたちは、同じように棒を探しに行って影に添って線を引き始めたのです。しめしめと思いながら、一緒に描き続けているうちに、いつのまにかその場から離れていきました。それを2歳の女の子も遠くで見ていたのです。そばにきて、「その木ほしい!」と言われて「どうぞ」と渡しました。
その後、違う2歳児の女の子がやってきて私と並んで、しゃがんで地面にお絵描きをしていたのです。
突然、「私を描いて!」と言われてひらめいたこと。それは、
「両手を広げて立ってくれますか?」
「うん、いいよ!」
その子の影をなぞって......
「できました!」と言葉を添えると
「ホントだあ!」とその絵を見て歓声をあげてくれました。その後です。
「手がない!?」と気づいたのです。
上着の中に手が隠れていたので影に映らず、手のない自分に気づいて自分で両手を描き足してくれました。
その後、一枚のイチョウの葉っぱをその手に添えて、
「見てみて!私の手に葉っぱを持たせてあげたの」
と、とても嬉しいそうに教えてくれたのです。
みなさんは2歳児の女の子のこの振る舞いと言葉から、どんな気づきや育ちを読み取るのでしょう?
私だけではない、そばに寄り添って同じ風景を共有できた主任も同じ心持ちを抱いてくれていたのではないでしょうか。
後で物語を共有したときに、その物語を介して想いが擦り合わさったのです。
それは、こういうことです。
地面に表現された等身大の自分の影に気づき、「なんか変?!なんか足りない!」。
「そうだ!両手を描こう!」
描くだけではつまらない。
「身近にある落ち葉を持たせてあげよう!」
この女の子の感性が豊かに育まれていることを実感できたのです
大人の仕掛けがなかったら、生まれない物語。
観察力を研ぎ澄ますことで、目の前の子どもたちの物語をタイムリーに知ることができると思いませんか?
3月は全てのクラスの子どもたちが、学年が上がったりと大切な節目を迎えます。
もっと小さい時に、やりたかったけどできなくて心残りなままのこと、「心の忘れ物」をさせていたとしたら、その時点からでも遅くありません。
子どもたち一人ひとりの育ちをしっかりと受け止めながら、もっともっと上の学年の子のまねをするよう追いたてるのではなく、満足して次のステージに移行できるようにしてほしいと願わずにいられません。
さく子先生と直接お話ができる「さく子ゼミ」 の2020年度開催が決定致しました!!
詳細は下記、【詳細・お申込み】のURLからご確認ください。
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全国の保育現場の環境改善に奔走する井上さく子先生が、
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是非ご参加ください。
■第1回開催日時 2020年5月25日(月)18時45分~21時00分
■会場 JR新宿ミライナタワー 25階マイナビルーム(JR新宿駅直結)
■詳細・お申込み https://01hoiku-event-mynavi. peatix.com/
コメント(9)
『心の忘れもの』...
心を閉ざして、大人に寄り添い生きていく子どもは、[忘れものを取り返したい思い]を抱えて大人になっていくと思います
気づける、そしてさく子先生のようにさりげないけど素敵な関わり、きっかけを作れる保育者でありたいと思います
一瞬一瞬を大切に...
さく子先生、いつも大切なことを気付かせてくださり、ありがとうございます
そうですね。[何を育みたいか]という視点が大切だなあと感じました。[何かできること]が大切という一定の価値観や教育から外れ、[その子らしく輝く]ことを育むことが大切だと思います。そうすると、エピソードは、[その子らしく]を育む絶好の機会のように感じました。
2歳のお子さんの豊かな感性、年長児の忘れ物のエピソードから、その年齢の保育、大人の関わりがとても大切であることをあらためて教えていただきました。
幼児の教育に力を入れているこども園の中で、やはり、0歳からの育ちの大切さを感じています。
来月入園してくる子ども達との出会いを前に、忘れ物をしない保育、子ども主体の保育を心がけたいです。
さく子先生、いつも素敵なエピソードをありがとうございます。「心の忘れ物」なんてあたたかい響きでしょう。
近くにいる大人がそっと「心の忘れ物を取り戻す時間」を見守ってあげられることがどれほどの安心感を生むかと思いめぐらしています。
毎日、忙しく、次へ次へと急がせてしまいがちな家庭においても、さく子先生のまなざしが生かされたら・・・きっとお母さんたちも幸せを噛みしめられるだろうと思います。
日々の何気ないひとこと、動きの中に、子どもたちのほとばしる完成や心模様が見えてくることに気づかされます。
さく子先生の影の仕掛けなんて素敵なんだろうなーと思いました。
子供の豊かな感性を育てたい、、と思いながら自然と向き合いながら10年以上経つ私ですが、全然学びが足りないんだなあと思う私です。
子供たちは日々の慌ただしさにたくさん忘れ物があるんだろうなあと感じながら、保育していますが、そう言う私も、いろんな忘れ物をしてしまっているのかもしれません。
小さい頃から思いの一つ一つを大切に受け止めてもらうことが、何より大事なんだと改めて心に留めています。
明日からも今めのまえにいる子どもと真摯に向き合いたいなと思います。いつもありがとうございます。
さく子先生、先生の素敵なお話を聞いたり見たりするたびに、人は同じ物を見てもどうしてこうも感性が違うのだろう…と思ってしまいます。先生のように、その場に起きた事に直ぐにアンテナが働き、子どもの感性に寄り添えることが出来る人、その同じ場所にいたとしても何も感じない人、この差は一体どこから来るのでしょうか?今まで生きてきた経験ですか?でも、そんな事を言っていたら子どもの感性を心の声を聞くことは出来ませんね。人の感性や感覚とは不思議なものです。例えば人が温度を感じる時、ずっと厳しい環境が続くと少しの暖かさも暖かく感じますし、反対にずっと暖かな環境にいますと少しの寒さも厳しく感じます。実はどちらも同じ温度であっても見る(感じる)方向が違えば同じと感じなくなるのは不思議なことです。つまり、同じ物事であっても見る(感じる)方向が変われば色々な考えや意見か生まれて当たり前。そしてその色々な意見に耳を傾けることが大切だということを子どものいる場面でも、大人がいる場面でも同じと思って、保育を進めていかなければなりませんね。
どんな人の思いや考えを飲み込んで柔軟な感性に満ち溢れたさく子先生のようには十分出来ないかもしれませんが、感じよう、楽しもうと思う気持ちだけは、忘れずに持ち続けたいと思いました。さく子先生、また感じさせていただきました。ありがとうございました。
その子その子それぞれ。
急がず慌てず、忘れ物を取りに行ける環境へ。
保育者が同じ高さの視線で見守り微笑みかけられる余裕。子どもの想像力・創造力を掻き立てるような仕掛け。
いつもいつも、さく子さんの大きさに感動してます。
子どもの感性の豊かさに寄り添えず、早く、ちゃんと、きっちりを求めることが多い人が、若いのに❗️と思います。それが嫌でここに来たのでは?と思いますが、最初に出会った園とか環境での経験を取り除くのは大変なのかもしれません。本人の素質もあるのかもしれませんが。
多分本人は意識ないのかも。子どもの感性を守って行くことにさりげなく全力投球中です。
まだまだ木の棒は危険と即判断され取り上げられてしまいがちです。木の棒ばかりではなく、あらゆる場面で保育者の判断で決められてしまうことが多いと思います。子どもの力を信じて面白がる姿にホッとしました。既成の遊具で遊ぶことばかりが遊びではなく、むしろ身の回りのあらゆる物に興味・関心を持ち、見立て遊びを沢山楽しむ経験こそが大切であることを教わります。色々悩むことの多い毎日ですが、こんな時さく子先生なら?と思いながら一緒に楽しんでいきたいと思います。