第44回
子どもといる家で働く保護者にエールを!
井上 さく子
毎日保育園に通っていた生活リズムから、一転して、家族が全員揃って暮らす日常になって戸惑う方も多いのではないでしょうか。混まない時間を見計らって、近所の森や公園、お買物で体を動かして体調を整えるにしても、在宅ワーク中はそうもいきません。先生たちともお友達とも会えなくて、子どもたちが寂しく思うこともあるかもしれません。
孫は、もうすぐ3歳になる男の子です。
年度変わりの3月には、その園の人事異動があります。
子どもたちの願いを全面的に受け止めつつ、必要なときにはガツンと叱ってくれる大好きな男性保育士の担任、朝に夕にいつでも顔を見せてくれる園長先生も3月で退職してしまいました。
新コロナ対策に伴い、できるだけ短時間保育で送迎できるようにジジ、ババたちはできる範囲内で関わってきました。
保育園の生活リズムと大幅には変わらないように心がけながら、孫とお付き合いをしていて、感じたことがあります。
家に孫がいるとき、朝になると自分から目覚め、目覚めてすぐに
「パン たべる!」と言います。
早々にトレーに用意すると、
「テレビ けしてください。」と言われてしまいました。
そうです。そうでした。
ながら族ではない食事の風景が、ここの家庭にはありました。
そのせいでしょうか?
離乳食が始まった頃から、食べることが好き!
もちろん、自分で食べられるようになると食べることが大好きになり、食べているときには集中して食べる習慣が身についています。
例えば、食べている時に取りやすいように食器を並べ変えようものなら
「じぶんで!」と逆に注意されることも......。
食べることに集中できると食べる時間も一定しています。
食べ終わると自分で遊び道具を選んで遊び始めます。
パズルや乗り物遊びなどでひとり遊びをしている間に、私は家事に専念。
洗濯して、掃除機をかけてなど、大人の仕事の段取りをして、さあ始めよう!と
そのときです。
「できな〜い!いっしょにやろう!いっしょにやって!」と呼ばれてしまいます。
呼ばれて(今このタイミング?)グッと我慢がまん......。すぐにその場所に寄り添いながら
今 何をしていたのか、何をしたいのか?を聞いて受け止めて部分的に手伝うと
「じぶんでできる!」と言われて、また大人の仕事に付きます。
そのときがポイントです。
本当は何かをしてほしいというわけではなく、ただ黙って側にいてほしい。それが子どもの心持ちなのです。
黙ってその場から離れると、またすぐに呼ばれることが想定されます。
「〇〇をしてから、またくるね!」
「〇〇が終わったらいっしょに遊ぼうね!」と
子どもに大人の都合を伝えることでお互いに安心して、遊ぶことができ、仕事に向かえるのです。
心持ちにゆとりを!
時間にゆとりを!
据えて関わり続けないとなかなか思うようにいかないのも現実です。
家庭や集団生活問わず、どんなふうに工夫をしていらっしゃいますか?
孫が遊びにそろそろ飽きてくる頃かな?と思った瞬間に、大人の仕事を見て手伝いたいと言ってきました。
「大丈夫!遊んで待ってて、すぐ終わらせちゃうね。」と答えようものなら怒って大変です。
せっかく手伝ってあげるという子どもの心持ちを阻害することになるからです。
こんなときに、皆さんだったらどんなふうに対応するのでしょう?
心持ちは???!と思っても
「よかったあ!手伝ってくれるの?ありがとう!」と言葉を添えながら、掃除機の持ち手を渡して掃除してもらいます。
最初はうまくコントロールできずに、あちこちぶつかってしまいますが、だんだんに慣れてくるといい感じに掃除機が孫を動かしてくれる風景になります。
そんな様子を笑いながら眺めているババがそこに居ます。
子どもたちの手伝いは遊び
子どもたちの世界は全て遊び
遊びながら生活のあり様を学び続けていることに、私たち大人が気づけるかどうかが問われていると思いませんか?
さんざん働いた?後は、今度は掃除機の片付けを手伝いたいと言ってきました。素直にお願いすることにしたのです。
ボタンを押すとコードが一瞬にして目の前から消えます。
もしかしたら、初めての体験かも知れません。
それもまた、第2弾の遊びに変わっていきました。
伸ばすだけ伸ばして、遠くまで移動しては小走りにボタンを押しに戻ってきます。
スルスル ストーン!
この動きとスピードと音とリズムにはまったら
もうやめられない孫。
こんな「シンプルな日常生活の中で、たくさんのいたずらをさせてもらえるかどうか」で
その先が大きく変わると思いませんか?
変わると信じています。
お互いのペースを維持しながら、関わる心地よさを孫を介して改めて実感できたエピソードでした。
こんなふうにゆったりとした暮らしこそ、子どもたちが願っている環境だと思いませんか?
集団生活では、同じようなことができないまでも、時間割で子どもたちを動かす保育ではなく、今まで以上に日常生活でいたずらも試せるような工夫をしていただけたらと願わずにはいられません。
保育園は休園していますが、父親はテレワークで自宅の一室を仕事部屋にしています。すると孫は「トントントン!あけてもいいですか?」とノックします。
「今は仕事中、ダメですよ!」と父親に断われて半べそかいて母親のもとへ戻ってきます。
『パパ、居るのになんでお話ししてくれないの?!』
でも何回も何回も繰り返し説明され経験していくうちに、休憩時間になると出てきてくれること、受け止めてもらえること、遊び相手になってくれることなどが、体験を通じて読み取れるようになっていく様子に日々の成長を実感しています。
外に出るときは、子ども用のマスクに違和感を覚えながらも、スムーズに着用できるようになってきました。
「コロナって、なあに?マスクってなぜつけるの?」
事あるごとに、
最近の孫のことばが「えー?なんでー?」です。
なんでも「なぜ?」を不思議がり、「なぜ?」をおもしろがり、
相手の反応を試し試されながら、
「なぜ?」を紐解いていきます。
こんなときに大人たちはどんなふうに、言葉を添えるのでしょうか?
大人にとっても子どもたちにとっても、自宅待機、自粛は必ずしもいいことばかりではありません。家族揃っての時間の過ごし方は、さまざまな物語で綴られています。
自宅待機しながら、たくさんの方々から
「子育てにストレスを感じて疲れる!」という相談を受けてきました。
疲れるのは大人たちだけでしょうか?
周りの大人が不安な心持ちを抱きながら、子どもと向き合うことで、その何倍をもストレスを抱え込んでいるのは、子どもたちだと思いませんか?
ピンチをチャンスにしていくために、子どもたちのつぶやきに耳を澄ますゆとりをもってみませんか?
それは、誰にでもできること
それは、シンプルなこと
それは、とても大切なこと
それは、しあわせな家族にしてくれること
その先に平安な日常生活が送れる日がくることを信じて!
コメント(5)
娘が母の日ということで、カーネーションのアレンジメントとお手紙を届けてくれました。忘れていたのでとてもうれしかったです。
「毎日こども園に行っているばあば一番危ないから、体に気をつけてね!」
と、娘や孫から励まされながら通勤しております。孫とゆっくり遊べないことが、ちょっぴりさみしいです。
ほとんどのご家庭に登園自粛をお願いしているので、静かなこども園です。父や母、祖父母から聞いた第二次世界大戦の時のことを想像したら、私たちは、食べるものもあり、ゆっくり眠れ、まだまだ幸せだと思います。孫と遊べないなんて贅沢な望みですね。
先ほども、自粛してくださっている3歳児のおばあちゃまから「トイレトレーニング」についてのお問い合わせがありました。頑張っているおばあちゃまと、逃げ回っている園児の姿が目に浮かびました。
担任の先生は一生懸命「外へ連れ出して……」とか「紙おむつをかくして……」と説明していましたが、いつも通り登園出来ていたら、お友達の姿を見たりして、無理せずにとれたのになあ、と思いながらいました。
ステイホームの先には、きっと平穏な生活が戻ってくるはずです。元気な皆さんにお会いできる日が一日でも早く来ることを心から祈っております。
新型コロナウイルスの存在は、私たちの生活を一変してしまいました。我が園でも苦しい生活の家庭の方もいっぱいいます。その中での登園自粛ですから、子ども達も保護者もいろいろな不満やイライラが募るのは仕方がないと考えていました。考えて、保護者の気持ちに寄り添ったつもりで、辛い気持ちやイライラする心持ちを聞きながら、『そんなことも誰にもあるわよ…』なんて、慰めののような言葉をかけて、その保護者や子どもたちの心持ちになっていたことを恥ずかしく思いました。
思っていただけでは、いけないのです。さく子先生のように、今、子どもが望んでいることを考えたり、家庭の仕事を手伝いとして強要するのではなく、遊びの一つとして、いろいろな発見や大人の生活の方法を真似していくことが、生活の伝承なんですよね。それが将来の大人になった時の大切な生活に繋がることなのに…。じつは、それが本来の『ままごと』であるんでしたよね。
昔は、そんな事を考えなくても楽しい遊びとして伝承ができていました。でも今は、その手伝いをじゃまとして、さっさと大人がしてしまう毎日が続いていたと思います。
そのことは、現代の忙しい生活の中では仕方がないとも保育士はあきらめて、せめて保育所では…と『ままごとごっこ』と称して、世間一般のままごと遊びに精を出していたように思います。でも、それは子どもが真似をするというのではなく、何となくテレビや保育所生活の中で身につけたものにすぎません。これは、本来の子どもの発見や楽しみという点からは、ほど遠いものであったと思います。
本当は違うんですよね。自分のお家で、覚えた様々な生活の工夫を楽しみながら、真似をする事こそが伝承なのに、私もうんと勘違いをしていたことをさく子のコラムを見ながら、反省をしてしまいました。
手伝いを手間とせず、子どもたちが真似をすることをこんなことを発見した!と心で大人が楽しむことが、実は何よりのお互いの癒しかも知れません。
その事を、保護者の皆様に伝える事こそが、私たちの大事な使命だと感じました。苦しいことは、間違いない。でも、今でこそ感じることができることがある!というメッセージをさく子先生のコラムの存在と共に保護者の皆さんに伝えていこうと思います。
保育所で、テレビの存在がなく食べていることが当たり前の私が、朝食と夕食はしっかりとテレビにお世話になっていたことを、さく子先生のお孫さんに教えてもらいました(笑)
保護者へのお便りにもいつも、テレビのない食卓をを推奨していた自分が恥ずかしいです。
先が見えない不安を煽るのではなく、今できること、楽しめる事、楽しんで見つめる喜びを伝えていきたいです!それが、保護者の心の癒しとなれば、幸いです。
さく子先生、ありがとうございました。次回も楽しみにしております。そして、お会いできる日をワクワクしながら、待ちたいと思います。
家の中での日常を楽しむお孫さんの心持ちとばーばの関わりをほんわか楽しませてもらいました。
掃除機のエピソードは大人にとっては煩わしかったり何気ない事なのに、本当に楽しむお孫さんの姿と見守る大人の微笑む姿が目に浮かびました。
見方を変えれば、何気ない事を楽しめる事が幸せなんですね。ゆとり、豊かさ、今出来ることを楽しみます。
コロナ自粛、大人も子どももみんなが疲れ果ててきています。日常の当たり前の事は本当はとてもありがたいことだったことに気づかされます。当たり前のことが当たり前にできるようになったら感謝しながら日々を重ねていきたいと思います。病院関係の仕事で、毎日園に通ってくる子が6人います。少ないから寂しそうな姿もありますが少ないからこそ楽しめる生活を心がけています。
子どもの頃、お隣の小母さんは庭で洗濯板を使っていました。
裏木戸から隣の庭に出入りし、風で飛んでいく泡を見る毎日。フワフワ飛んだはずの泡が戻って、小母さんのお尻に付いた時の可笑しさは忘れない。
園に馴染めず中退した緘黙児なのに、お手伝いもしないのに、ただ側に居させてくれた小母さん。遊んでくれた訳ではないけど、自宅より過ごしやすい時間でした。
今からでも、そんな大人になりたい。