第46回
水に触れる 水と遊ぶ 水と戯れる
井上 さく子
寒い時でも水を見たら、一目散に駆けていく子どもたち!
夏の水を見たら、心も体も踊り出します。
じっとなんてしていられません。
水道の栓を目指して走っていくと、その場所にあるはずの物がないことに気づく子どもたち。
「みずだして!」
「みずだせない!」
「おねがい、みずだして!」
子どもたちの心持ちをしっかり受け止めてもらえたら、その先に楽しいことが待っています。
ところがどうでしょう。
未だに、水道の栓を外していたり、ダンボールで水道の栓が見えないように塞いでいるところに遭遇します。
その瞬間に直感すること。
それは、子どもの力を信じて向き合う保育とは真逆の世界を示していること。
なぜ?!
それについて、「水は大切に使ってほしい」「水道代がもったいないから」
だから、子どもに任せっぱなしにはできないと言うのです。
皆さんはどんなふうに受け止めるのでしょうか?
大人がいかにもという理由を探して、拒絶することが子どもたちの育ちにどんな影響を与えるのかを真剣に考えたことがありますか?
言葉にこそ表現できないまでも、
「水と遊びたい!」
「水で遊びたい!」
「水が遊んでくれる!」
そんな心持ちを声なき声として呟いてくれていることに、 気づいてほしいと願わずにはいられません。
危険と背中合わせの世界でもありますが、何よりも本能として、子どもたちは
「水が大好き!」
全ての大人たちがそのことを丸ごと受け止められるかどうかで、夏の遊びが大幅に変わってくると言っても過言ではありません。
「水浸しになると洋服が汚れる」
「水浸しになるとその都度着替えが大変」
など、大人都合の理由を掲げ過ぎると結果的には、大人たちにコントロールされた消化不良の水遊びで終わってしまいがちです。
そこで何が育まれますか?
何も育まれません。
特に、1歳児の育ちの中で、様々な場所で様々な方法で水に出会わせてもらえた子どもたちは、実に見事に水と戯れて遊び込みます。
くる日もくる日も水と戯れて遊んでいるうちに、いつの間にか、自分から水道の栓から離れていきます。
水道の栓をひねったり、戻したり、開けたり、止めたり、満足するまで遊んだら、次に、周りにある道具を持ち込みその中にいっぱいになるまで水を入れてどこまでも運んでいきます。
運んでいく途中で、こぼれて空っぽになることもしばしば。
道具を使って水を運ぶこと、
道具が水を使って遊ばせてくれること、
などを遊びながら学んでいくのです。
大人たちは【ただ水を運んでいるだけじゃないの?】と表面的に捉えていませんか?
今何をしているの?
今何をしたいの?
と答えを引き出そうとしていませんか?
何をしているのか。
何をしたがっているのか。
「見ればわかるでしょう?」と言えたら子どもは幸せ。言えない不幸せの世界に子どもたちを追い込んでいませんか?
見えない心持ちを見抜き、必要なときに必要な分の手助けをしてくれたら、それでいい!それだけでいい!と願う子どもたちが、大人たちの目の前にたくさんいます。
大切なことは、「目の前の子どもたちに水遊びの体験を通して、何を育んでほしいのか」考えること。
大人たちが常に意識化を図っていくことだと思いませんか?
最近の保育現場では、室内外問わず水道が自動式になっているところが増えている傾向にあります。
便利性を優先しているのでしょうか?
両手を差し出したら、勝手に水が出ると言う遊び環境に、疑問を抱くのは私だけでしょうか?
水道の栓一つ取り上げただけでも、そこに関わる子どもたちの発達が観て取れるのです。
腕の力
手首の力
指先の力
頭を使う力
科学の目
などなど、子どもたちは何回も何十回も数えきれないほど体験をしたその先に、自己コントロールできるようになっていき、やがて自己達成感を味わうことができていきます。
ただ、「水が好き!」だけではなく感触、感覚機能などを自らの力で獲得していっていることに気づかされます。
形があるものは、やがて崩れたり壊れたりしますが、水は目に見えていても形がない、やがて消えてなくなる。
不思議感覚に子どもたちの心持ちを誘う。
だからこそ、大人都合で後始末が楽な水遊びに決めたりしないでほしいと願います。
水と道具と子どもたちと
道具を使って、水が運ばれていく先は?
道具があって、水が連れていかれる先は?
道具によって、水が流されていく先は?
それは、子どもたちにだって想定外?!
だから、水遊びの世界は魅力的なのです。
水遊びの世界は広過ぎて、奥が深い!
この季節だからこそ、子どもたちの体験できる世界を、大人たちの感性を、研ぎ澄ましてデザインしていくこと。
それこそが、今求められているプロとしての役割だと信じています。
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私の勤務する小さな園は、今年の冬にやっと園庭に水道の蛇口を設置したそうです。
園庭で初めて水道の蛇口に触れた2歳児のこどもは、ひとつしかない蛇口に4〜5人が集まり、蛇口をひねり水が飛び出す嬉しさを笑顔で表していました。
しかし、「お水出し過ぎね」と大人が蛇口を閉めてしまうのです。タライに水を張り誘導。
でも、こどもは蛇口に行きいっばいまで捻って勢いよく流れる水を指ではじいて歓声をあげています。
蛇口を大人が管理するのは何故?と疑問を投げかけると、寒いから、もったいないから。
子どもの気持ちは?楽しい、面白い、不思議、気持ち良い、
大人と子どもの思いのズレを職員が感じ、今までしていた事は大人の都合だった事、子ども目線でなかった事を反省しました。
蛇口一つで職員がひとつになった事にも感動でした。
沢山の水に満足した子どもたちは、水を汲んだりこぼしたり、野菜の水かけをしたり、雨樋に水を流して楽しんだり、遊びにも変化が見られてきました。
さく子先生の水の話を職員にも見てもらい、共有します。
大人の世界に合わせた、意図的な遊びの世界(決められた遊び)の中で育っていくのは何なのかと、考えさせてもらいました。それは、「決められた中で、決められたことをする」ことに近づいてしまうのかもしれません。そうなってくると、【子どもも大人も】とっても、窮屈な世界になると思います。【水】という身体で感じる、身体の声を聴いて遊ぶ。このような経験は、大人になっても、【頭】だけで決められてことをしていく世界から、【身体】に聴いて、生活するというとっても大切な方向につながっていると思いました。
思い出してみれば子どもの頃は水が大好きでした!祖父の家の庭でひしゃくを持って何回も何回も水を運んだり、プッチンプリンのカップに水を入れて穴から水が流れるのを覗いたり……祖父や父は遊んでいる私にもったいないからやめなさいとは言わなかったなあ……と。
それなのになぜ大人になるともったいないと言いたくなるのか……過去、水道を塞いだことが確かにあります。
けれど、子どもと水との関わりをよーく見ていると、おもしろい発見がよくありますよね。いつからかだか止めずに見守ることもするようになりました。
子どもが積極的に関わろうとする姿を、機会を阻むのでなく見守って、一緒に楽しめる自分でありたいと思いました。
コロナでいろいろ制限もありますが、今年の夏が楽しくなりそうです!
梅雨のうっとおしい天候が続きますが、子ども達はそんなことへっちゃら!今日は雨の日散歩を楽しんでいます。雨合羽と長靴で、園庭を走りまわっています。
水道の蛇口の件、とても耳の痛いお話でした。まず、そのことに疑問を持たずに、見過ごしていた自分自身が不甲斐なく思います。気づかせていただいた今がチャンスととらえ、職員で話し合いを持ちたいと思います。そして、子どもが何をやりたがっているのか、子どもの目線に合わせて、改善していきます。
自園ではコロナのおかげで、お教室も縮小でき、行事も子どもと職員だけで行うことにしました。まずは夏祭り。5歳児さんが企画運営し、4歳児もお手伝いし、2・3歳児がお客さんになって楽しみます。2日間設定し、4・5歳児もお店屋さんとお客さんを経験します。
見せることを意識しないで済むから、リハーサルに時間をかけることなく、子どもたちの考えを生かすことができそうです。
生まれてすぐの赤ちゃんでも、水(お風呂)に触れるとピクッとしますね。それがだんだん水の感触を覚えていくうちに、慣れていきます。
蛇口、私が子どもの頃は、まだ自動式はそれほど多くなかった気がします。なるほど、確かに蛇口の捻り方で、水がチョロチョロ出たり、ジャーっと出たり、その様を楽しんで、遊んでいたような記憶があります。
手をかざせば、いつも同じタイミングで、同じ量の水が出る……なんだかとてもつまらない気がしてきました。
制限をかけているつもりはありませんでしたが、無意識のうちにそのようにしているかも!とはっとなりました。
息子の通ってる園でもお水遊びが始まり、昨日はいいお天気の中楽しく遊べたようです。服も下着も見事に泥まみれで、あっぱれでした笑
「今日ドロロロ(ドロドロ)になって遊んだよ!」と
嬉しそうに教えてくれました。
そんな風に自由にさせてくれる今の園に感謝です。
昨日水遊びをしました。ある男3歳児の男の子がペットボトル2本には、一本は赤の色水を入れ、もう一本は緑の色水をいれ、「みてー、スイカだよ」と目を輝かせて見せにきました。私は最初、どう意味か考えてしまいました。
園庭の水道は蛇口が取り外し式です。はじめの頃はこどもが自分で使うことなどできない状態でした。その場でも子ども自身が自由に使うことの大切さを伝えてきました。今は、どの年齢も上手に扱っています。本当に何もかも、すこしづつなのだと思いました。二歳クラスの子でもバケツやじょうろに水を汲み、満杯になると言われないのに、ちゃんと蛇口を閉める。大きい子達の姿を見て真似ているし、担任たちもあれこれ言わずに見守っているので、水遊びは快適です。思い切り泥んこ遊びも楽しめる環境はいいな。と思います。こどもの笑顔で全てのことから救われる気がします。
今年はプール遊びが中止となり、どのような水遊びを子どもたちに経験させることができるか、先日職員会議で意見交換をしました。
まずは、うちの園での水遊びの捉え方を各自がどのように思っているのか意見を出し合いました。この捉えを共有することができなければ、子どもたちが存分に水遊びを楽しむことができないと感じ、答えを出すのではなく一人一人の考えを知ることを大事にしました。
狭い園庭での水遊びや泥遊びなどは、自分のクラスの子どものことだけを知っていればよいわけではありません。短い時間での意見交換でしたが、先生たちがとてもいい表情で話し合っている姿を見て、「あ~、今年はプールはないけれども、水遊びを通してどんな経験をさせたいかイメージがついたようだな」と思い、安心しました。
今回の井上先生の記事を読んだ時に、会議の中で伝えた私の言葉では足りなかったことが書かれていたので、先生たちにぜひ紹介しようと思いました。
新型コロナウイルス感染拡大防止のためにさまざまな制限がある中でどんな工夫をすれば楽しく、深い経験ができるか、試行錯誤の日々は続きますが、ポジティブ思考で乗り切りたいと思います!
目の前の子どもたちの姿に合わせて先生たちが保育を楽しみながら向き合っていけるように「子どもたちの願いと保育者の願い」を叶えられるように頑張ろうと連載を読ませていただき気合いが入りました。
ちょうど今、雨が強くなってきました。
そういえば水道から出るお水も、空から降ってくる雨も同じものだと気がつきました。
水道のお水も、そこで作られている訳ではなく、雨や山の自然の循環の中の通り道の1つで、子どもと環境との出会いの場なのかもしれない、と思いました。
手のひらに収まる水滴と、自分の上から身体を覆う雨。
蛇口でコントロールできるものと、人にはどうしようもないもの。
さく子先生のおっしゃる「不思議感覚」「水遊びの奥深さ」ということなんだと思いました。
子どもの世界が拡がるチャンスを奪わないように、と改めて思いました。
田舎育ちの私はありとあらゆる水遊びを当たり前に体験しながら育ちました。我が園の若い保育者達は、室内の水道に行かせないように部屋に棚や柵で仕切りを作ります。どんな子ども時代だったのでしょう。1歳児クラスの子ども達は隙があれば水道めがけて集まります。すると「そこは遊ぶ所じゃないの!」とまた柵の奥に連れ戻されます。最近は噛みつきが多くなり「この子は訳もなく噛むんです」と担任は真剣な顔で言ってきます。更に、厳しく叱った方が良いのでしょうかと相談されます。噛んだのは子どもですが噛ませたのは保育者であることを伝え原因を振り返えさせます。保育者の管理の下で拘束的保育していることに気づき、棚など取り払い最高の笑顔の子ども達とあの水道で全身水浸しになって遊び呆ける日が近いことを楽しみに。
水に何かしらの憧れを持つのは何だろう?…とふっと考えることがあります。自分がお母さんのお腹の中で、水に浮いていたことを覚えているからでしょうか…。
子どもたちは、手に流れる水の行方を追い、その流れを掴むように手を動かせ、掴めない不思議さを体に感じさせているように見えます。探究心豊かな子どもがいつの頃から不思議なものから、ただの水に変わるのでしょうか…。そして、水はただ飲むだけ、お風呂やシャワーを使う時にに必要なだけ…になった時には、あの探究心はどこかに消え去っているのでしょうか。
水も空気も無ければ生きていけないはずなのに、ある事さえ忘れてしまうのです。あまりにも身近にありすぎて。でも、この大切な物は、その感覚をその性質を、色を形を知ろうとするのが、この子どもの時代だと思うのです。この時代にその感覚を知っている、知っていないは大人になった時に、たとえその感覚を一時的に忘れていたとしても、ふっとした瞬間に、その感覚が戻り、子どもたちに伝えていける人になるような気がするのです。私の園でも、水道の蛇口の前から離れない子どもの姿があります。一生懸命水を捕まえようと小さい指を動かせて掴もうとしています。その様子を見て、『お水、面白いね。なかなか掴めないね』としばらく様子をみている保育士。『早く手を洗って!お水は、もうおしまい!』と保育士。どちらが子どもの感覚を育てるかということは分かっているのに、ついつい仕事の流れを優先してしまう現実があったりして、悩ましい事です。
でも、この感覚を大切にする工夫をしていくことが、保育士の腕の見せ所でもあると思っています。
水…水…本当に不思議です。そして、生きていく事に必要なはずなのに、命を奪う危険な一面もあるということが、これまた知っていかなければならないことです。
大人になって、水の中に潜ったことはありますか?水泳をしている方はあるかも知れませんが、大人になると海やプールに行っても中々顔をつけて泳ぐ機会は減ります。でも、水の中に顔をつけて目を開けてみた世界は、別の世界が広がります。そして、何より素敵な事は、音です。まるで映画の音声を聞いているような、遠くで響く不思議な音です。水の中でしか聞こえない不思議な世界…。こんな不思議な世界を感じられる子どもの時代を、これからも大切にしたいと切に思っています。
コロナウイルスは、私たちに大きな課題を残しました。そして、私たちの普段の生活の大切さや身の回りにある当たり前がどれ程大切かということを知らされたような気がします。身の回りの当たり前に探究心を持てるような子どもの時代を過ごせるように、大切に過ごしていきたいです。
昨年度の秋のことです。0歳児Aちゃんが水道の前に立っていました。トコトコた歩いてきたBくんと目が合いました。Aちゃんは「ん!」と言って水道を指差しました。「これ?」と言うように水道の蛇口に手をかけたBくん、ぎゅっと力をいれた瞬間、「ギャッ!」とふたりは驚きの表情。そして、すぐギャハギャハギャハギャハと笑い声が響きました。ジャージャーシャワーの水がかかりながら大笑いのふたり。ふたりとも、その頃はまだ言葉がほとんどでていなかったのですが、水を介して楽しさを共有していました。秋風が吹くなか、あらあら…と着替えにいきましたが、二人ともいい笑顔。暑い季節だったらもっとダイナミックにやれたのにねえ…と思いました。
翌日また園庭でであった二人。すぐに連れだって水道へ。そして、また前日と同じことを繰り返し大笑い。言葉はなくとも水の楽しみで(いたずら感も含め)こんなに共感しあえてスゴい‼️と二人がますますかわいく感じられました。
さて、夏が来ました。思い切り遊んでほしいです。
水が大好きな子どもたち、大規模な園では出しっぱなしにすると秩序なく延々と水が流れます。子どもに水の大切さを教えるには、ルールも必要かなと思いますが、どのようにお考えでしょうか。水は限りある資源、ただで出てくるわけではない……プールの水を畑に再利用する園もあるようで、どれが正解なのか悩みます。