第57回
自然の恵みがあそびの世界に!
井上 さく子
「あっ!」
この声に誘われて、水溜まりの周りにしゃがみ込む子どもたち。
大きい子どもたちは、雨上がりの後の水溜まりとすぐに分かりますが、
0歳児や1歳児は、まだふしぎ発見の如くその周りを囲んでいきます。
ひとり、2人、3人、4人とあっという間に
水溜まりの周りを取り囲んでいました。
どうするのかな?
どうしたいのかな?
何が始まるのかな?
何から始めるのかな?
こんなふうに、見守ってくれる大人がどれだけいるのでしょう?
その傍で保育士のこんな言葉を耳にしてしまいました。
「見るだけよ!」
「ここでは遊ばないよ!」
なぜ、今この言葉を!?
幸いにも子どもたちには、届いていないのかも知れません。
聞く耳持たずとは、この瞬間を言うと思いませんか?
それどころか、子どもたちは覗き込む世界に
自分の顔を発見!
自分が動くと水溜まりに映る顔も動き、しゃがみ込むと動きが止まる。
何回も繰り返していました。
なんだか不思議だね!と言わんばかりに、友だちと顔を見合わせては
にっこりと笑い合っていました。
その光景が
『つながったね!』
『つながり合っているね!』
と心通わす対話のようにも映りました。
子どもたちの心持ちはいかに?
満足まんぞく大満足!
この時点で、誰も水溜まりに手も足も出していませんでした。
一気に水遊びに入らないこの心持ちこそが大切なプロセスだと思いませんか?
そう思いながら、寄り添っていました。
他の大人たちはどうでしょう?
「そろそろ、あっちで遊ぼうか?」と誘っていたのです。
同じそろそろでも、子どもたちのそろそろはそれとは違います。
鏡のように映る姿を楽しんだ後は、もちろん手でパチャパチャしたい!してみたい!
さあこれからというときに、あっちで遊ぼうか?はないでしょう!と。
その言葉に耳を疑ってしまいました。
案の定子どもたちは、正直です。
やだあ!
行かない!
行きたくない!
と大人たちを困らせます。
困らせていいんですよ、と
心の中でつぶやいていました。
子どもたちの心持ちを知らずして、どうして
大人の都合で動かしてしまうのでしょう?と
思っていたからです。
水遊びに限らず、保育現場の日常にこのようなことが縮図になっていませんか?
皆さんは、こんな情景に遭遇したらどんなふうに子どもたちの丸ごとを受け止めるのでしょうか?
大人の都合を優先してしまうと、どうしてもたたみ込みがちになるのかも知れませんが、そうだとしたら、それは誰のために?何のために?と疑ってしまう自分がここに居ます。
誰にも邪魔されないで子どもが不思議と向き合うことや
興味、関心を抱き限りなくこだわり続けたがっている世界に、何故に寄り添えないのでしょうか?と思ってしまいました。
「あっちに行こう!」と言われても動こうとしない子どもたちが次に始めたことです。
それは、想定内のことでした。
誰かが始めた両手でパチャパチャ!
遊びのスイッチが入ったら、ちょっとやそっとのことではそこから離れません。
まずはパチャパチャ感を存分に味わいながら、顔にかかる水しぶきにキャァキャアはしゃぐ子どもたちです。
これを待っていたとばかりに、面白がる子どもたちを観ながら、私も面白がっていました。
面白がりながら、観察していくのです。
私以外の大人は、
「あ〜あ?!」
「汚れちゃったね!」
「濡れちゃったね!」
「着替えなくっちゃね!」と
つい、嘆く言葉が......。
汚れたら洗えばいい。
濡れたら乾かせばいい。
濡れたら着替えればいいと。
子どもたちが言えたら幸せ!
言えないけど、周りの大人たちの目を気にせずにはしゃいでいます。
大切なこと、
大事なことは、
子どもたちが誰にも邪魔されることなく夢中になれることだと思いませんか?
不思議発見を十分に満たしてあげること
共感、共有してあげることこそが、寄り添う大人たちの役割だと思いませんか?
「また、水遊び?!」と疑って関わらずに、飽きるまでとことん満足させてもらえた子どもたちは、満足すると「あっちに行ってみよう!」と
言われなくても、自分から次の遊びを探しに出かけていくのです。
私たち大人は、幼子たちの遊びをどのように捉えているのでしょうか?
「あれもこれも体験させてあげたい!」と欲張り過ぎて、その結果、子どもたちが願っていないことに誘おうとしていませんか?
目の前の子どもたちが
何をしたがっているのか?
何を考えているのか?
何に迷っているのか?
何を嫌がっているのか?
見えない心持ちを見抜く力を磨いて欲しいと心から願います。
子どもの育ちから学ぶ視点を据えていきませんか?
机上の学びよりも何よりも、子どもたちの心持ちを洞察できるようになると、一番に子どもたちが教えてくれます。
私たちが教えてあげるようなことは何一つありません、と言っても過言じゃないほど。全ては目の前の子どもたちから学び続けていくことをぶれずに据えていきませんか?
子どもたちが願っていることは、実にシンプルなことです。
子どもたちを取り巻く世界を、
難しくしているのは
ややこしくしているのは
全て関わる大人たちだと思っています。
いかがでしょう?
子どもたちに、心から必要とされる大人になっていきませんか?
そのために、学び続けていきましょう!
コメント(6)
来年より早く梅雨に入り、大人はまた雨だね、今日何する?と憂鬱そう。雨を機会に部屋から出て長い廊下を開放してみました。はいはいや伝い歩きやトコトコ走ったり、ボールを持ってきて投げては追いかけたり、こども達が生き生きと遊ぶ姿が見られました。園庭で遊んでいた時に雨が降り出し、担任がこども達を入室させていたのですが、私は傘を持って園庭に出て行くと、こども達は何?と興味を持って傘に入ってきました。傘にあたる雨粒を見たり音を聞いたり雨が降り出した時の匂いを感じたり散歩をしました。雨の日だからこそできる、楽しめること、子どもの笑顔が見られることををたくさん出来たらいいなと思ってます。大人都合ではなくこども目線、心もちを感じて過ごしたいと思います。
わぁ、大きい水たまり!
子どもたち、どうするかな〜?!
と、ワクワクしてしまいます。
でも、やっぱり
ダメよ~靴が濡れちゃうよ〜
汚れちゃうから入らないよ〜
なんて大人の言葉が聞こえ…
私がすべきことは?
焦らず焦らず、とは思いながらも。
ん〜、悩みますね。
その時やりたいことは、明日には違ってくるかも。今やりたいこととことんとやる!
これが生きているってことですよね。
帰るのが遅くなったら、次の活動は?と聞かれちゃう。
汚れたら、保護者からのクレームが!などなど子どもの育ちを無視した反応が保育者の頭の中をグルグル回ってます。その気持ちもわかるけど。
子どもの気持ち、立場に立って考えられる保育士がいてほしい。そしてその人たちを支える園長は頑張って欲しい。とつくづく思います。
つい先日、公園の水たまりをじっとと覗きこんでいる子がいました。私も隣で何も言わずに一緒に覗いていたのですが、その子は私のことをチラチラ見ながら(私は心の中で入りたければ入っちゃえ!と思っていましたが)、意を決したように水溜まりの中に飛び込みました。その嬉しそうな顔!しばらく水溜まりの中で水しぶきをあげていました。
昔の自分なら止めていたな……と過去を振り返りつつ、子どものキラキラした表情がとても印象に残りました。
本当にどれだけ子どもたちの世界を邪魔していることか、どれだけ大人都合か、と思います。
水溜り一つでもこれだけ豊かな世界を見ているんですよね。
子どもたちを真ん中に据えて、一歩ずつ、仲間を増やしながら学んでいきます。
魔女様から学ばせていただきます。
これからもよろしくお願いします。
雨上がりの園庭にできた水たまりを子どもたちが遊び始める前に砂で水溜まりを埋めてしまう私。これからの展開が気になって。子どもたちが水たまりでいっぱいワクワクできそうと思うのだけれど。
さく子先生の声が聞こえます。遊びは子どもたちが決めるんですよ、と。大人都合であれこれと考えて先回りしていた自分に反省です。
今しかできない、今ある環境に子どもたちがどう考え行動するか、じっくり観察し、そして子どもたちに寄り添っていきたい。悩ましいことは、ありますが。