第62回
子どもたちの心持ち 今やりたい!
井上 さく子
広告のチラシを手にする3歳児。
大人がそのチラシを使って、クルクル丸め始めると
「ぼくもやりたい!」と言って丸めようとします。
目と心持ちは大人の手先を見ながら、やっているつもりでも思うように巻けないことを知って感じたときに
「せんせいできない!」
「やって」と巻くことをやめてしまい
手を離したばかりに、元の形に戻ってしまいました。
その瞬間に
「もうーいや!」と言ってチラシを投げてしまい、「手伝ってくれなかったから壊れたじゃないか?!」
またもや怒る3歳児。
皆さんは、このあるがままの子どもの心持ちをどんなふうに受け止めるのでしょうか?
やりたいと思ってやってみたけど、そう簡単にはできないことを知って感じたときの心持ちを理解してあげられるかどうか?
イラッとしているなあと心持ちを捉えるタイミングを逃さずにいられたら、ここまで怒らせなくても済んだと思いませんか?
例えば
こんなときに
そんなときに
ちょっと待っててね!
ほら よく見てごらん?
こうやってやってごらん?
手に力を入れて!
指にもっと力を入れてごらん?
など、よくありがちな言葉を投げていませんか?
その一つひとつの力があったら、くふうができたら、悩まずに済み怒ることもなく、もちろん途中で投げ出すこともないと思いませんか?
大切なことは、最初にできない!と訴えられたときに
大人が手を休めて、子どもの心持ち丸ごとを受け止めてあげること
次に、どうやったらできるかな?
いっしょに考えよう!
いっしょにやってみようか?と
寄り添ってもらえることで、ほっとして心持ちを
立て直すことができると思いませんか?
どうしても大人が見本をみせたり、見本をたくさん作ったりしがちです。
子どもたちは
自分でつくることをやめて、作ってもらった棒で
遊びたい!と楽な方を選択してしまいます。
大人もいとも簡単にその棒を手放してしまいます。
手にした子どもたちは、
「やったあ!」と飛び上がって喜び、剣に見立てて戦いごっこを始めていきます。
周りの様子を把握するどころか、剣を手にしたらヒーローになりきって振る舞い、
逆に「痛かったあ!」
「こっちにこないで!」と友だちに言われて、素直に引く訳がありません。むしろ、「誰よりも強いんだぞ!」と
ますます剣の振り方が派手になっていきました。
そこで初めて、大人の助けを求める子どもたちと剣を振りかざす子どもとの相談が始まります。
みんなが困っているから、危なくないところでやろう?
素直に「ハイ!」と言えるでしょうか?
当然のことながら、「ここでやりたい!」
そうですよね。
誰もいないところで振り回しても、ちっとも面白くないことを誰よりも知っているのは子どもたちだと思いませんか?
こんなふうに、棒たるものを手にしたら戦いごっこが始まることを大人たちは、悩んでいます。
困っています。
どうしたらやめさせることができるのでしょうか?
どうしたら、分かってもらえるのでしょうか?と
度々、相談を受けることがあります。
皆さんはどんなふうに、受け止めるのでしょうか?
他にも、こんなエピソードがあります。
散歩先で、木の枝を見つけたら、すぐにひらめくこと
それは同じように剣に見立てて、戦いごっこです。
そばでその様子を見た大人は、走って行って
木の枝はそうやって遊んでいいの?
約束したよね?!と
たたみ込んでいました。
その前に、相談することがありませんか?
傍で思ってしまいました。
剣に見立てて遊びたい!ダメって言われても
今やりたい!の子どもたちの心持ちを如何に受け止めるのでしょうか?
子どもといっしょに、その周りの状況を見渡して
ぶつからないように遊べるように導いてあげられたら
安心して存分に力を発揮できると思いませんか?
ここでやりたい心持ちにストップをかけてしまったら
木の枝が折れるどころか、その子どもの心持ちまでも折れてしまいますよ!と思いました。
具体的な体験をくぐらせながら、危険を察したり、加減をすること、コントロールをすることの大切さを学んで本物の力、生きる力を貯えていくことに気づいて欲しいと願わずにはいられませんでした。
それは
後の振り返りの時間に、エピソードとして提案することになりました。
チラシでつくる棒も
木の枝の棒も危険だからとたたみ込んでしまうのは、大人の都合だと思いませんか?
子どもたちの言い分
危ない!
約束は?と言うんだったら、
最初からこのチラシを出して欲しくない。
危ないと言うなら、散歩に行かなくっていい。
こんなふうに、ぼく、私の心持ちを言えたら幸せ!と思っていると思いませんか?
大人たちはいつでも、どこでも子どものまなざしに映る風景をいっしょに観ながら、
子どもたちが
感じていること
思っていること
やりたがっていること
おもしろがっていること
不思議がっていること
困り感も含めて観察力を研ぎ澄ましていきませんか?
危ない!や約束が先にありきを全面に振りかざす保育は、子どもを守らずして自分を守る保育になっていませんか?
子どもたちの願いは実にシンプルです。
そのシンプルな願いを大人の都合でややこしくしてほしくない!それも子どもたちの願いです。
ここに集う皆さんには、決してそんなことがないと信じています。
いかがでしょう?
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コメント(10)
危ない!や約束したよね!
とたたみ込んでいた私がいます。
安全安心の名の下に、一番大切にすべきことから外れていました。子どもを大事にするといいながら、、、反省です
子どもが、感じていることや、思っていることやりたがっていること、おもしろがっていること
不思議がっていることに目を向けて感度をとり観察力を研ぎ澄ます必要がありました。
さあ、明日からは心新たに、子どものシンプルな願いに耳を傾けていきます。
分かります!
「できない!」と放り投げる姿、棒を持ったら戦いごっこの始まり。子どもたちの次の姿が目にうかぶようです。
子どもたちの「やりたい!」の気持ちはいつも溢れてますものね。
そして、この状況どうしたらいいんだろう…と、いう私が見えます。
困っている時、悩んでいる時はいつも子ども達と相談します。すると子ども達が答えをくれました。子ども達の気持ちをみんなで聞いて考えることがさく子先生のいう子どもの願いに繋がるのかな~と思います。
子どもって、長い棒を持つと戦いを始めるのでしょうか?我が家の3孫もそうです。その途端に「危ないでしょ。振り回さないで」とママの声が響きます。聞こえているのに無視して振り回している姿に、私は2人目の孫を抱いて、テーブルの方に避難です。1人で振り回しているので、少し振り回せばまた、大好きなブロック遊びやハサミで紙を切るあそびに戻るからです。
広告が丸められるようになったり、セロテープが使える嬉しさを、表現している孫の心持ちを
やんわりと、ママに伝えています。危ないでしょの声が聞かれなくなる日はもうすぐでしょうか。
さく子先生のエピソードよくある場面ですね、以前の私なら、たたみ込んでいたなって思います。
いまは、子どもの心持ちを考えてすぐにたたみ込まないようにしています。秋の公園が、楽しい子どもたち、木の棒片手に色々蜘蛛の巣いじりや、焚火ごっこ、楽しい遊びの始まり、時に、棒が手に当たって痛かったーと泣いたり、少しハラハラしつつも見てあげれる自分でいたいと思ってみまもりながら過ごしています
まだまだ、声がうまくかけられない、昭和な部分を持っている世代の私ですが、子どもの気持ちに寄り添えるような保育者でありたいなと改めて思っています。
「危ない!や約束が先にありきを全面に振りかざす保育」まだまだありますね。「怪我をさせない保育」ばかりに意識がいってしまうと、大人も子どもも楽しくないだろうなぁと思います。園長に怪我をさせるなと言われてしまうと、先生たちは禁止や命令の保育になってしまい、それが正しい保育だと思って、子どもの気持ちには寄り添えないようになってしまうんじゃないかなぁと思いました。
保育の振り返りをしています。
安心安全を優先し、「お約束」をたくさん作ってしまっていないかと反省します。
これって大人の都合だな思います。お約束を作る前に、自分自身の保育を見つめ直さなければならないなと考えさせられました。
「子どもたちをよく観て、よく聴いているかな?」と観察力を研ぎ澄ませるって大切ですね!
職員間で共有して、取り組んでいきたいです。
同じ場面あるあるです。子どもの要求に寄り添い?次々と広告のチラシで剣を作っている場面に遭遇しました。おままごとや、お絵かき、絵本を読んでいる子もいる中で、作ってもらえていいな~私も欲しい‼となり「次は私の作って」と保育者の周りの群がる子ども達、床には折れた剣が捨てられ、戦いごっこを見守る余裕もない保育現場日唖然。お絵描きでも同じ場面に遭遇します。上手にキャラクターを描ける保育者の周りに子どもたちが集まり「次は私に書いて‼」と順番待ち。驚くのは、昨日書いてあげられなかったからと家で描いてきて翌日配ってしまっていたことです。ここに育つものは何?。折り紙の手裏剣や指輪。ここでも「今度は私の作って!」と順番をめぐって喧嘩が始まることも。この園の子ども達に何を育てたいのか、遊びこむとはどういうことなのか、根本から考え改善していかなければならないと痛感しました。課題が山積しすぎて…と言っている場合ではなく一つ一つを丁寧に考え合うことから始めたいと思います。
何でもやってみたいという意欲満々の子どもに、怪我をして欲しくないという思いから静止したり、大人の都合で約束事を決めたりしていた自分の保育を振り返って反省しました。
さく子先生の言葉の様に、子ども達がやりたがっていること、面白がっていることは何だろう?と観察力を研ぎ澄まし、子どものシンプルな願いに耳を傾けていきたいと思います!
気持ち受け止めて、でも、状況を伝えて相談してみる。どうやったら正しく楽しく遊べるか、子どものほうがよく考えて前向きに動けますね。
相談されるのって信頼関係とか、子供心にも頼りにされているっていう満足感、達成感があるような。
小さな子でも得意そうな表情になるのが楽しくなりますね
日常の中で、このような場面に出会うたび、子ども達から試されているような気持ちになります。目の前にいる子ども達のやりたい気持ちを上から目線で握り潰してはならないと思いつつ、何回伝えたらいいの?っと心にふと湧き出る思いもあったりして‥
それでも、いつも思うのは、子ども達と正直に素直に向き合いたいという思いです。子どもはすごいです。大人が白黒つけなくても、まわりの状況を理解した途端 どうしたらと考える力を持っているんですよね
ふと気づくと、密かに子ども達にこうして欲しい、こうなって欲しいと答えを1つしか出せない自分自身が一番考える力がない事に気付きます。