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第64回
赤ちゃんの下地づくりに触れて
井上 さく子
おとうちゃんもおかあちゃんもおにいちゃんも
みんなみないない!
お仕事しごと、保育園へと出かけた後の静かな
お部屋で孫と2人。
さあ!これからどうする?
そんな余計な心配はいらないよとばかりに、
孫の自由な時間が動き出します。
ぼくだけの時間が流れています。
お兄ちゃんが続きで取って置いた棚の上のおもちゃを
なんとか手にしようと、ソファの上に登っていきました。
つま先立ちして、片手を伸ばして、もうちょっともう少しのところまで手が伸びています。
どうするのかな?
すぐに諦めずに、
ソファの端の方に足をかけ直して斜めに手を伸ばしています。
ちょっとバランスを崩したら、ドデン!と落ちそうな姿勢で、
それでも何とか触りたい!
手にしたい!そんな心持ちが後ろ姿に表れています。
何回試してもやっぱり無理?!
そこで初めて振り向いて
取れない、触れない、できないとばかりに
眼差しが助けを求めていました。
それだけではありません。
あっ!?おっ!?と言う声を発して、
できないよと訴えているかのようです。
声を発した瞬間に、
取れないね!
触れないね!の言葉を添えて、
あなたの心持ち分かっていますよ。
見ていますよ。
感じていますよ。
のエールを送り続けていました。
簡単にはあきらめません。
さらに場所を移動して、
片足は宙に浮かせて
片足だけで身を乗り出し、
なんとか触ることができたのです。
思わずできたね!と
言葉を添えるとにっこりと
笑って答えてくれたのです。
共感してくれる大人が傍に寄り添っていることで、
安心の心持ちをさらに支える結果になったのかしらと
素直に受け止めることができました。
だからと言って、手放しでどうぞとできない訳があります。
ただいま!と帰ってくるお兄ちゃんは、
誰か使った?
だれか動かしたでしょう?と
気づいてしまうのです。
誰も触っていませんよ!と弟をフォローする言い方をすると、
だってここじゃなくて、こっちに動いてるじゃないか!?
誰が動かしたの!?とプチイラッとしながら、聞いてきます。
下の孫は触れることで満足すると、ソファから降りて別の場所に探検しに移動します。
テーブルの上に置いてある
お兄ちゃんのマリオの乗り物を動かして遊び始めます。
動かすたびに、タイヤから音が出ることに気づくとその音を確かめながら前後左右に動かしています。
車を動かしながら、自分も動き、力加減を調整している感じが見て取れます。
途中から動くたびに、音が出るたびに
あっ!?おっ!?と声を発して、
見てた!?とばかりに私の方へ振り向きます。
動いたね!
音が出たね!と
ことばを添えると何回でも車を動かして遊んでいました。
静まり返っている環境で、
孫の声とおもちゃの音しか耳に入ってきません。
遊んであげなくても、抱っこしなくても、自分の力加減を10カ月にしてコントロールできていることに正直な心持ち、驚きました。
改めて、大切なことを洗い出すきっかけになりました。
ぼくのそばに居てくれるだけでいい!
ぼくのそばで観てくれるだけでいい!
ぼくの声を受け止めてくれるだけでいい!
幼子たちの本当の安心の糧とは?
あなたを信じて受け止めていますよ!
心からその心持ちを抱き、
寄り添い続けることだと気づかされています。
ずっと立って遊び、立って移動しながら、
遊んでいると疲れを感じてか、テーブルから片手を離し、
腰を下ろして座りながら、もう片方の手を離すと言う行為を
繰り返しの体験で獲得している様子までも伝わってきました。
とてもシンプルなエピソードを介して、
集団保育のあり様と対比してみませんか?
個人だから集団だからではないと思いませんか?
一人ひとりの育ちに確かな眼差しを注いでいったら、こんなふうに丁寧な関係性が育まれていくことをどんなふうに受け止めるのでしょう?
まだ、赤ちゃんだから
まだ、小さくて何もできないから
まだまだ、大人がやってあげなかったら
何もできないのよ!
みなさんはそんなふうに捉えていないと信じています。
いかがでしょう?
孫と2人だけの世界は、
物語の連続の中に身を置ける至福のひとときです。
一方では、新生児から今日に至るまでの発達を
洗い出すきっかけになっています。
孫のおかげで学び直すきっかけをいただきながら、子育て、保育、教育の世界でこれでいい!と断言できることはひとつとしてない!
むしろ、これでいいのかな?
問い続けていくプロセスこそが
大切な営みであることを教えられて今ここに!
皆さまはどんなふうに、気づきを取っていただいたのでしょうか?
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コメント(9)
まだ赤ちゃんとか小さいんだからではなく、自分の持てる力や頭をいっぱい使っている未満児は、見ているだけで、心で応援したくなります。
大人のまなざしがあるので、探索し関心を深めていくことができるんですね。
大人のあたたかいまなざしが、子どもの活動を後押しするんですね。我が家の孫もはいはいから伝い歩きができるようになり、冷蔵庫、仏壇、食器戸棚、どこでも開けて中の物を取り出しています。まわりの大人が温かい眼差しで、育てていけたらなぁと感じました。
今この瞬間の小さな成長が、まるで目の前で感じ取れたようにとてもほっこりしました。
自分の力でやれることも増えていくけども、やはり周りの人の影響で感情など育まれていくのがよく分かります。
大人になって、こういうふとしたことで新たに気づくことも多いです。
この人が見ててくれるから大丈夫。きっと心を受け止めてくれるから大丈夫。そういう安心感の結びつきがあるからこそ、子ども達は身の回りのものに心を動かし、目をキラキラさせながら挑戦しようという気持ちになれるのだなと思いました。
子どもの力を信じること、そして子ども達一人ひとりの心持ちをしっかりと見つめることを常に胸に刻みながら保育したいと思いました。
遠回りでも、子ども達自身でやり遂げることに本当の学びと成長があるのですね。
「これが欲しいのね」と、取ってあげるのではなくて、自分の手でつかみとった時の満足感が子どもの自信に繋がって、一歩一歩成長していくのでしょうね。
危ないなー大丈夫かなーと、ドキドキしながらも、頑張れ!できる!と信じて見守る力が大切なことと改めて思いました。先生のお孫さんを通して保育の一コマを思い出し、想像することがとても楽しかったです。ありがとうございました。
お孫さんとのひとときの中に、保育、教育、療育すべての分野につながる本来の子どもの姿を見出し、こうして言葉にしてくださり本当にありがとうございます。なにげない行動、当たり前に見過ごしてしまいそうなしぐさ、声、ここにどれだけ心を傾けられるか、子どもの傍らにいるということの深さを感じました。ありがとうございます。
子どもがする事には全て意味がある、そういうふうに信じる気持ちや眼差しは、イコール保育士自身が自分を信じられているか?なのかもしれないな、と考える日々。さく子先生のような心持ちで保育を行っていけるよう、学びながら努めていきます。
人間の偉大さを赤ちゃんから学ぶことができるのだな。と思いました。自分の周りにいる大好きな人の真似をして近づこうとする努力とか、出来たことの喜びとか。
小さいときは、家族。そこから自分の周りの他人、友人との関わりに広がっていく。そんな環境の中で自分というものが出来上がってくるのですね。
どの子も、自分を好きになって色んなことをもっと体験して成長していきますように。
よく事務室や他のクラスに用事があるきに、必ず誰かしら子どもを連れて歩く保育者がいます。一人でもいない方が残る先生のためと思うのでしょう。ベテラン保育者にその傾向が強くあります。私は、その子の表情を見ます。ここに来たかった?部屋で遊んでいた方が楽しいよね。0歳の子は表情も無く、保育者の都合で慌ただしく連れまわされているようにしか映りません。「園長先生におはようは‼」と促されますが、急にフラれる私は、ごめんね、ほんとは自由にさせてほしいよね‼と詫びながらも子どもに罪が無いので赤ちゃんとの応答に切り替えます。バイバイを促されて帰る二人の後ろ姿に微笑ましさより悲しさが…。さく子先生のエピソードから、遊べない子どもを作っているのは、保育園だと感じました。明日は、そんな姿を見逃さず保育者に相談していきたいと思います。一人ひとりの育ちに確かな眼差しを注いでいける大人たちでありたいと思いました。
さく子先生の文章を見て、そうだった!といつも思い返す事があります。思い返すまで、気がつかないという自分に恥ずかしさを感じながら、でも思い返して、気がついて、伝え合うことの大切さを感じながら、読ませていただいています。
自分が子どもの頃の記憶の中に、両親や周りの大人に大切にされたい反面、干渉されたくないという強い気持ちがあった事を思い出します。それは、秘密基地という形で、大人の目が届かない自然の中の場所に、自分達の世界を作り、いろいろな物を作成して、つもりの遊びを心ゆくまで、内緒を楽しんだ事が強く思い出として残っています。
そして、この経験は、自分の心身を成長させている事は間違いないと思っています。当然、これは私が記憶に残る幼児の時ですが、それよりもっともっと小さい乳児であったとしても、大人に甘えてやってもらいたい時、大人に見守られながら自分でやりたい時、大人に干渉されないで自分でやりたい時が必ずあるはずです。
なのに、大人になった自分は、子どもができないからとか、望んでもいないのに、先々やってしまったりとか、気づかないうちに体が勝手に動き、子どもの思いに反する行動をしてしまっているなんていうことを、思い返しで気づくなんて、なんと恥ずかしい限りです。
でも、先生が言われている『シンプルなエピソードどを介して集団のあり様と対比してみませんか?』は、全くその通りで、そのエピソードにこそ、自分の思い込みを解きほぐすヒントがあるように思います。話す、思い返す、考える、感じる、シンプルだけどとても大切な事が含まれていますね。是非、実行したいと思います。ありがとうございました。