第76回
人形はぼく、わたしを映す鏡
井上 さく子
保育園、子ども園、幼稚園に通う子どもたちは、毎日、毎朝、どんな心持ちを抱いて登園してくるのでしょうか?
"登園するのがあたりまえ"
"登園してくるのがあたりまえ"
と、思っていないと信じています。
なぜ?
朝、目覚めてから園に到着するまでのプロセスで、さまざまな家族の人間模様が見え隠れしているからです。
必ずしも
「早く行きたい!」
「早く行こうよ!」
と、言える子どもたちばかりではないと思いませんか?
むしろ、子どもたちの集団生活を知らない大人たちは、"ブラックボックス"とまで言い切ってしまうことも。前向きに保育を担っている大人にとって、これほどショックな表現があるでしょうか?
大人たちの知らない世界で、あってはならない虐待を受けているとしたら、泣いて
「行きたくない!」
「ママがいい!」
「パパがいい!」
と言って、大事な時間が子どもたちによって崩れてしまうことを想定できるでしょう。
私たちはとかく、子どもたちを受け入れたところから、一人ひとりの集団生活がスタートしがちです。しかし、子どもたちにとってはそれぞれの家族の関係性も含めて、一日が始まっていることを意識して受け止めてくれていたとしたら、受け入れの方法も大きく変わってくるような気がするのは私だけでしょうか?
集団生活ありきではない。
一人ひとりの子どもたちにとって、家庭の延長線上にある安心して暮らせる、ぼく、私の居場所であることを願います。
世間に激震走るようなニュース!?
全ての園がそうとは限りませんが、子どもたちを取り巻く保育園、子ども園、幼稚園も含めて、劣悪な環境に置かれている幼子たちのことを思ったら、居ても立ってもいられない心境に駆られてしまいます。
改めて、自分に置き換えて振り返る機会にしていきませんか? 確かに、
「人手が足りない!」
「必要なものが買えない!」
「休みが取れない!」
「休憩がとれない!」
といった、厳しい現実の中で、精一杯努力をしながら目の前の子どもたちの伴奏者になったり、見えない分野でたくさんの子どもたちの育ちを支えてくださっていることを誰よりも知っています。
ないないだらけ、あれもこれもできないことだらけ、そんな世界で子どもたちは、
いつ、どこで、誰から
生きる力を蓄えていけるのでしょうか?
待ったなしの環境で暮らす子どもたちは、ないないだらけとぼやき、嘆く大人たちの先を見て大きくなりたがっていることに気づきを取ることができるでしょうか? 思わず、子どもたちの心持ちを代弁したくなります。
大変な状況下に置かれていても、たくさんの愛情を注いでもらっている子どもたちは、確実に自己肯定感を育んでいることに気づかされたエピソードに触れていきます。
大田区某保育園から――
子どもたちの遊びの世界から少し離れた場所で、マルチパーツと手づくりの椅子を使って、立ったり、座ったりしている一歳児の子どもたち。
大人が関わらなくても子どもたちの世界を醸し出しています。
2、3人の子どもたちが隣りのままごとコーナーへ移動した瞬間を捉えて、その場所に足を運び、周りにある道具を見渡し仕掛けて見ました。
一番に、3体の人形たちがお布団に寝かされている風景が視界に入ってきました。
子どもたちも起きて遊んでいる時間帯に、この子たちも同じように起こしてあげよう! という思いからです。
さっきまで、子どもたちが座っていた椅子に一人ずつ座らせて、マルチパーツにはお布団を干してるかのように掛けてみました。
その後、その場から離れたところに移動して、誰がこの仕掛けに気づいてくれるかしら? と、ワクワクしながら観察をしていました。
なんとさっきまで、ここで遊んでいたお嬢さまがすぐに気づき、人形の頭にホースを伸ばしてシャワーをしてあげたのです。
それに気がついたもう一人のお嬢さまも、すぐそばにあるシャンプーの容器を取り出して、隣の人形の頭にシャンプーをかけて、両手でゴシゴシ洗うまねをしていました。
そこへ、おぼっちゃまが仲間入りします。そのときに、初めて大人も一緒にその場に寄り添ってくれました。
おぼっちゃまは、自分の頭をシャンプーしてほしい!と大人に伝えてました。
そのつぶやきを拾って、シャンプーの再現遊びが始まりました。
いい感じで楽しんでいるなかで、おとなのことばがシャワーになっていませんか? そんな空気が漂ってきました。願わくば、子どもたちが夢中になって遊んでいるときは、子どもたちのつぶやきを拾って繋ぐ役に徹してほしいと思わずにはいられませんでした。
伴奏者になってくださった方は、そのことを想定内として観察をしてくださったので、振り返りのところで課題を洗い出していただけたらと思っています。
人形を相手にシャンプーごっこをする幼子たちにエピソードから、皆さまはどんな気づきを抱けましたでしょうか?
人形は子どもたちの鏡だと思いませんか?
人形を通して、自分たちがやってもらっているように再現遊びをしながら、生きる力に繋ごうとしていると思いませんか?
とてもシンプルなエピソードではありますが、こうしたエピソードの中に、一人ひとりの育ちの違いを感じていただけたら、それこそが本物の学びになると信じています。
いかがでしょう?
隣りのクラスは2歳児です。
園庭でひと遊びをした後の室内遊びです。
子どもたちが自己選択できる環境構成がデザインされているため、誰一人として棒立ちしていませんでした。
ここでは、全体を捉えながら、ままごとの遊びを遠目に観察していました。
大人があそひを魅せてくれたり、子どもたちのつぶやきを拾いながら対話が続いている風景は、遠くから観ていても楽しさが伝わってきました。
2歳児の子どもたちは、ままごとのコーナーだけでは足りず、すぐ横のテーブルと椅子を使って遊んでいました。
その瞬間を捉えて、空きスペースのコーナーに仕掛けてみました。
1歳児と同様、人形たちを起こしてベンチに座らせて見ました。
誰もいない丸テーブルのところへ、ひとりのおぼっちゃまがトコトコやってきて、お茶碗に黄色いチェーンリングを入れて、スプーンで食べるまねをしていました。
道具やスプーンをとても丁寧に扱っている様子から、愛情を注いでもらっているおぼっちゃまだと感じることができました。
仕掛けから時間差がありましたが、ベンチに座っている人形に気づき、そのときも大切に扱っているしぐさが読み取れました。
人形を隣りに寝かせて、さっきまで自分が食べていたものを人形にも食べさせていたのです。
人形の抱き方、手の添え方から察して、おぼっちゃまの下に赤ちゃんがいるのかしら? そんな気づきから伴奏者の担任にうかがったところ「そうなんです」と教えてもらいました。
弟や妹が生まれても安定した母子関係が育まれていると、こうしてママがやっていることを人形を介して再現遊びができている育ちを知って、幸せな心持ちを抱きました。
その後、おんぶ紐を持ってきて、担任に差し出しました。
「前ですか?」
「後ですか?」
と聞いてあげると、「後ろ」と言って、そのように手伝ってもらっていたエピソードです。
皆さまには、この場の風景がどんなふうに映るのでしょうか?
共通のテーマとして、人形の存在を取り上げさせていただきました。
特に、2歳児クラスでは人形に名前をつけてみませんか?
子どもたち一人ひとりに名前があるように、人形にも子どもたちと相談して名前をつけてあげることで丁寧な扱いになると思いませんか?
どこの保育現場にも、当たり前のようにある人形やぬいぐみを介して、私たちは子どもたちにどんな体験をしてほしいと願っているのか? 何を育んでほしいと願うのか?
集団の暮らしでも、周りの大人たちの立ち振る舞いは、大きくなりたがっている子どもたちのモデルになっていることも含めて、振り返る機会にしていただけたらと願います。
ぜんぶ子どもたちが教えてくれていることからの学びは、明日の保育に繋がっていくものと信じています。
身近にある道具や素材の全ての洗い出していくことで、本当に必要な物が用意され、提供してもらうことで確かな集大成の節目に向かっていけると思いませんか?
コメント(13)
一年の集大成の3学期が始まりました
こども園 保育園では、にぎやかな声が響き渡っていることでしょう
幼稚園や小学校では、まだかな
同じ日本でありながら、、、
地方では
さく子先生が提唱されている
21世紀型保育が定着されるどころか
昭和型の従来通りの保育に
疑問さえいだかれていないことを感じます
残念❗️
子どもたちのつぶやきを拾いながら対話が続くような環境作り
周りの大人たちの立ち振る舞いは、大きくなりたがっている子どもたちのモデルだという気づき
子どもたち一人ひとりに名前があるように、人形にも子どもたちと相談して名前をつけてあげるような丁寧な扱いをする感性
子どもたちの声に耳を傾ける心がけ
一つ一つは決して難しいことではありませんが
周りの大人の人間力にかかってます
子どもたちがよりよく成長できる環境が整うことを願っています
大人先行型のたたみかける言葉のシャワーを子どもに浴びせてしまっているのでは?保育を振り返る良い機会をいただきました。子どものつぶやきを見逃さず,気づきに共感できる大人でありたいものです。大人の立ち振る舞いが子どもたちのモデルになっていることを肝に銘じ、園全体で課題を洗い出していきたいと思います。さく子先生の連載からいつもたくさんの学びをいただいています。ありがとうございます。
保育士の虐待ニュースを耳すると心が痛くなります。その度に物的環境以上に人的環境が重要だとも感じます。保育士は観察力を鍛え、感性を磨き続けることが大切ですね。子どもを真ん中にして大人の見えない手繋ぎの中で,子どもたちが安心して過ごすことができるように取り組んでいきたいと思います。
切なくなる事件は、決して他人事ではなく自分に置き換えて考えることが大事だな、と思います。
大変な現場は、きれいごとだけではすまないとは思いますが、大人も子どもも1日過ごしていて楽しいところにしていかなくては。どうしたらそういう場所になるか、出きることを考えることが大事ですね。
明日また、この続きをしよう、と大人も子どもも楽しみに出きる遊びをどうやったら守っていけるのか。
こうあらねばならない、と言う保育現場は、大人も子どもも窮屈でつまらなくなっているのだろうなーと歯がゆく思います。
もうすぐ2歳になる孫は、この頃キッチンが大好きで、料理をしていると味見を求め、食べると「おいしい」とえがおになります。
そして、ままごと遊びが大好き。お釜やフライパンにチェーンリングを入れてかき混ぜ、お皿に盛り付けて、お人形(はなちゃん)に食べさせます。「ふーふー」と冷ますふりや「おいしい」と自分も口をもぐもぐする真似をして最後にお人形の口をタオルで拭きます。自分がしているようにお人形にもする姿がみられるようになりました。そんな姿を見ていると、丁寧に、大事に、ゆったりと関わりたいと思ってしまいます。。コロナだから、大変だからと言い訳せず、今日のこの時を大切にしていきたいと思います。
一人ひとりの子どもたちにとって園は、家庭の延長線上にある安心して暮らせる場所である事が大切ですよね。
園で過ごす中で、子どもたちが自ら自己表現ができる場所で、時には、お友だちと気持ちがすれ違ってしまっていざこざになることもあったりなど、生活や遊びをしていく中で何かを学んだり出来る場にしていきたいです。
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家族で過ごしている時の過ごし方から遊びに繋がる事良くありますよね。最近だと、家で歌を歌う事が多いとお母さんに聞いていたので、私も子どもと一緒に歌い始めると、聞いていた他のお友だちも歌い始めました。そこから「だんすおどりたい!」という声から曲に合わせて体を動かしてダンス遊びに変わってきて、次はお父さんとお母さんに見せたいというように変わってきました。
私が子どもの声、呟きを傾聴して聞いていき、互いに相談し合いながら会話をする事で、子どもたちが自ら遊びを生み出していました。
私の仕事は、子どもたちが遊びや生活をより良くしていけるように、仲介役になりながら、子どもたちが安心して過ごせる場を作れるように取り組んでいきます!
もうすぐ私にとって初めての孫が4月から保育園の0才児クラスに通い出します。4月生まれなので、入園後すぐに一才になりますがテレビで恐ろしいニュースを知って以来、どうぞ私の勤務園のように子どもの可愛い姿・変化を職員みんなで共有出来る園でありますように!と祈るばかりです。
確かに保育の仕事は大変かもしれません。でも子どもをしっかりと見守る為に、効率化を図る事の出来る部分はあるのではないでしょうか?忙しい忙しいに酔いしれないで、何故忙しいのだろうとみんなで見直す姿勢を保育業界全体で持つ事もあってもいいのでは?と思います。
我園でも虐待のニュースに激震が走りました。
私達の保育は絶対にあんなことはあり得ないと、自信をもって今まで通りの保育をしていけばいいんだと確認があったり、保育士一人ひとりに態度や言葉遣いなどのセルフチェックシートが配られ驚いたり恐ろしかったり責任の重さを感じました。
さく子先生のお話にもあるように、どんな時も子どもを真ん中におくということを常に考えればおのずと答えは出るのだと、そこをブレずに保育していかねばと思っています。
でもお話を聴く以前は、正直保育士の一人ひとりの顔が違うように保育の仕方も考え方も色々だからと、隣で子どもを強い口調で叱る保育士を見ても、違和感を感じながら見て見ないふりをしてしまう自分がそこにいました。
子どもには偉そうな事をいいながら、強い保育士には何も言えない自分がとても嫌で、結局辞めた事もありました。
今でも毎日子どもを真ん中に据えているかと自分自身に問いかけながら、もがく自分がいます
それでも子どもを真ん中にすえた毎日の事例を含めた話し合いは、とても楽しいことに気づきました
人形のお話はちょうどリアルタイムで話題に出たばかりでした。布団干しを仕掛けるさく子先生が思わず浮かび、「あっやってみたい!」とすぐに思いました。また、身近にある道具素材の洗い出しなど、沢山ヒントをいただきました。早速行っていきたいと思います
子どもはもちろん大人も家庭の延長線上にある安心して暮らせる心地よい居場所、考えるだけでワクワクします
「子どもたちを受け入れたところから一人ひとりの集団生活がスタートしがち」のお話にハッとさせられました。確かにその時点から始まっていると思いがちですが、子どもにとっては、朝目が覚めたところから一日は始まっていて、保育園に受け入れられるまで家族との関わりなどで色んな感情の体験をしているのですよね。良いことばかりでないかもしれません。そう思うと受け入れ時には、その子の表情をしっかりと見つめ、どんな朝を過ごして来たのかを想像力を働かせて、その子に寄り添った対応をすることがとても大事で、安心に繋がることなのだろうと思いました。受け入れ時の対応で、子どもの心の状態が左右する大切な一瞬だとつくづく感じました。受け入れの大切さを教えて頂きましてどうも有り難うございました。
さく子先生、気づきのエピソードありがとうございます。子どもの姿をイメージしながら読ませていただいています!さく子先生のコラムを読むたびに、
今、この時は二度とない大切な瞬間。
私たちは子どもを真ん中に置いてみているかしら?
子どもに大人の願いを込めて仕掛けをしているかな?
さく子先生のように子どものしぐさから子どもの背景、気持ち、育ちを感じとれるくらい感性を研ぎ澄ましているかな?
言葉のシャワーを浴びせてないかな?
子どものつぶやきをどのくらい拾えている?
子どものエピソードを語っているかな?
・・・と、自問自答。
日々の保育を一度立ち止まって見直す。確認する。自分に置き換えて振り返る機会にさせていただいています!!
さく子先生の仕掛け、素敵な魔法だなあと感心しました。私にも魔法がかけられたみたいに、私も早朝保育で真似してみました。登園してきた1歳の子が早速テーブルに朝食を運び、次に登園してきた2歳の子がミニカーのゴミ収集車でゴミを集めにとおうちごっこが始まり、朝からゆったりと温かな空間が子どもたちによって作り出されました。仕掛けの面白さ、保育者の願いの働きかけ方について改めて考える機会となりました。
さく子先生、お久しぶりです(^^)
昨年末から、保育業界はこれまでにないような注目のされ方で、保育に向けられる世間の目に厳しさを感じることもありましたが、一方では応援の声を頂くことや、保育の仕事にもっと目を向けて国として良くしていくべきだといった声もたくさん聞かれました。ありがたいです。
いまは、保育現場から少し離れて寂しい気持ちもありますが、自治体として公立私立問わずに保育について考えられる機会をつくっていくこともできるようになりました。この機会に、より良い保育について多くの保育者のみなさんと考えあっていけたらいいなと思っています。その時はまた、さく子先生の力をお借りしたいなぁ(^^)
私は幼稚園児だったときの記憶はあまりないですが、一番残っているのは先生が優しかったということで、小学生のときも学校が嫌だった時期があり、そこでも担任の先生が向き合ってくれたことを思い出します。
1人の先生が多くの子を見て、子供たちだけの世界、そこにどれだけ接するか。
子供達も今までの家族だけの環境から、友達同士や色んな情報を得て成長する、この時期の影響は後に深く残ることを実感します。
今先生方のお気持ちを察すると本当に大変なお仕事だと感じます。
大きなことを語れる自分ではないですが、漠然とでも自分が感じた優しさの気持ちが少しでも受け継がれるようになってほしいと願っています。
何度も、何度も読み返しています。人形をしかけていく、さく子先生の姿とそこに気づいて向かっていく、子どもさんの姿を思い浮かべて、温かい気持ちになっています。どれだけ、子ども達を真ん中にして考えるとは?私たちは子どもを真ん中に据えられているのか?…園内でも、事ある毎に確認しています。大人都合になっていないか?
良かれと思っていることが、果たして子どもの為なのか?…自問自答は続きます。改めて、丁寧に、エピソードを添えて、園の職員みんなで大切にしていくべきことを確認していきたいです。子ども達の姿を面白い、楽しいと思いながら、これから、次に向かっていく保育を目指して!