第79回
子どもにとっての散歩とは?
井上 さく子
2歳になったばかりの孫を、保育園まで送ることに。
自宅からトボトボ歩いて行くと大通りの交差点にぶつかります。走ってくる車を見つけると、その都度「ブーブ!」と言ってつないでいる手をギュッと引っ張り、壁側に身体をくっつけて止まりました。ついこの間まで、ベビーカーや自転車で移動することがあっても、私にとっては、こうして手をつないで歩くことが初めての経験でもありました。
それが、一度となく、二度三度車が通るたびに瞬時に避けて止まり、片側に身体を傾けるのです。
2歳にして車が来たら止まる、壁側に避けると言う行為に驚きながら、一方では保育園の散歩で、いつもこうして子どもたちが守ってもらっていることに気づかされました。
見方を変えてみると、車が通るたびに、「ブーブ!」と言っては避けている様子から、逆に安心して歩くと言うよりも散歩の往復がこのような状況下だとしたら、これを本当に散歩というのかしら? と、孫の育ちに触れて感じて、改めて保育園や子ども園、小規模園も含めて、当たり前に実施している散歩の意義を洗い出していく必要があることを痛感しました。
1歳児の散歩は、特に、歩行の完成をめざして探索遊びが盛んにできる環境であってほしいと願うのは、私だけでしょうか?
敢えて危険と背中合わせの散歩コースを選択しないで、子どもたちが安心して自由に動ける場所の洗い出しができたら、これほどうれしいことはないと思いませんか?
時間や場所に拘束されずに、散歩に必要な時間はゆったりと、たっぷりと、用意してほしいと願わずにはいられません。
行きつ、戻りつ、寄り道、道草、座り込み、ジグザグに歩きながら、自分の身体と向き合い試しながら力加減を知る。しゃがみ込んで草むしり、石ころ遊びなど、外に出るとこんなにたくさんの宝物があることに気づき、飽きるまで夢中になれる体験を!
大人にとっては困りごとでも、子どもたちにとっては最も魅力的な世界だと思いませんか?
ある園の散歩先でのエピソードです。
散歩先で見つけた石ころや草花など、片手に握って持ち帰ろうとする子どもがいました。
このような子どもたちの心持ちをどう受け止めるのでしょうか?
なんと!?
「汚いから置いてきなさい!」
「お花はかわいそうだから持って帰らないよ!」
同じようなことが、幼児クラスの子どもたちでもあります。木の棒を剣に見立てて遊んでいると理由も聞かずに、
「持ち帰るのはやめて!」
「怪我をしたらどうするの?」
年齢を問わず、子どもたちに相談することなく大人の願いが先行してしまうと子どもたちの心持ちはいかに?
(せっかく楽しく遊べたのに、なんで!?)心持ちが折れて、泣きそうな表情を見るにつけ、大人でも泣きたくなる心境にかられてしまいます。
皆さまの園では、いかがでしょう?
親御さんのお迎え時に
「みてみて!これ!?」
散歩で拾った石ころを宝物ように大切に持っていて
「パパやママに見せるんだあ!」
と、期待する心持ちを知ることになります。
そこで、子どもって高価なおもちゃじゃなくて、自然に触れて石ころまでも、遊び道具や宝になることを共有して共感できるのです。
子どもに教えてもらうとは?
私たちだけではなく、親御さんもこうしたエピソードに触れて学んでいけると思いませんか?
子どもが摘んだお花も同じこと。
持ち帰って、花瓶に飾ってあげることでおじぎをしていた花が元気になったことに気づけるんですね。これは「ぼく、私がもってきたの!」 と、友だちに教えることで、その場の雰囲気が草花で癒されることに。
木の棒だって、同じこと。
大人の感度で危ない!と決めつけていいのでしょうか?
子どもによっては、剣ではなく形からイメージしたり、折って形を変えてみたり、他の素材と組み合わせて、ひとつの作品を完成できます。表現遊びとは、工房があるとかないとかではなく、散歩先から持ち帰った素材で、その後の遊びもワクワクしながら楽しめることに。
その作品を飾ってもらったり、親御さんに見てもらったりして、家に持ち帰って飾って見たら――。
そのおかげで家族みんなが幸せになれるとしたら――。
これ以上の暮らしはないと思いませんか?
一人ひとりの心持ちをしっかりと受け止めて
その先、どうしたいのか? を対話して、答えは子どもたちが自分で考えて出せるようになります。
木の枝は折っても、子どもたちの心持ちまで折らずないで!
新年度の始まりに、改めて「子どもの力を信じる」全ての大人がぶれずに据えてほしい、キーワードです。
コメント(5)
我が家の孫も散歩が大好きです。家の近くに大きな道路ができて車がひっきりなしに走っています。その道路を渡り少し歩くと、車が通らない静かな道が続きます。そこまで行くと、孫たちは、繋いでいた手を離して、ブロックの隙間に石を落としてみたり、庭先でクルクル回る風車に歓声をあげたり、動物の人形が並べてあるお家の前で、動物探しをしたり、中学校の金網沿いに忍者のように歩いたり、自分で楽しさを見つけています。誰も禁止しない穏やかな時間が過ぎていきます。大人も子どもも目に見えない宝物を貯めていきます。
こども園に勤務している時も、街中にありながらも、少し歩くと探索ができる道を探して出掛けて行きました。散歩中の事故などが報道され、散歩が規制されたこともありましたが、探索しながら、わくわくどきどき散歩を楽しめる時間と場所の保障をしていきたいですね。
「散歩」というと固定遊具のある公園の意識がまだ強い保育者の固定観念に気づかされたばかりです。自身が、固定遊具など無い田舎で自然を相手に育ったので愕然とします。新年度、新担任が当面行く散歩コースを下見しクラスの散歩マニュアルを作成します。近くの河川沿いの遊歩道は四季折々の草花や虫たちに溢れています。子ども達が車の心配なくゆったり過ごせる最高の場所と私は思うのですが、今年も選んだクラスはありません。若い保育士は虫が苦手。立ち止まって草花や虫に触れようとすると「見るだけね」と冷ややか。遊びの楽しさが分からないから仕方ないでは済まされない。散歩だけでなく、室内ではレースのカーテンを閉めて過ごすことに違和感が全くない無い。開けましょう‼とクラスを回りカーテンを開けるが、数日後にはまたカーテン越しの風景。青い空、雨模様の空、雲の動き、風の音、都会の中だからこそ子ども達と共感したい時の流れ、季節の空気。まずはここから保育者の心に伝えようと奮闘している日々です。
散歩について改めて考えさせられるエピソードでした。小さな子どもが車が来るたびに壁側に身体をくっつけ止まるということについて、確かに車に気を付ける事が身に付いていて良いように思いますが、しかし、車が来る度に緊張するのはその子の事を考えると「楽しい」という経験ではなくなってしまうと、思いました。やっぱり、散歩では伸び伸びと安心して歩ける道を歩けるのがいいですね。その中で、名もない草花を見つけたら「きれいだね」と、実のなる樹を見つけたら「美味しそう」などと共感しながら歩けると楽しい経験になっていくと思いました。1日1日の中で色々な事を吸収する子どもたちの育ちにも影響がありますよね。散歩のあり方について考えるいいきっかけになりました。有り難うございました。
北陸の桜は例年より早く、
春休みに満開を迎えましたー
5人の孫達と満開の兼六園や
家の近くの公園で桜を堪能できました
在職中は3月4月は忙しくで
こんなにゆったりとした時間が持てず
我が子達に悪かったなあとの思いがつのりました
でも気持ちを切り替え
今を楽しもうと
孫達と散ってある花びらを集め
持ち帰り押し花にしたり
おままごとに使ったりして遊びました
保育園でもきっと
子ども達は春を楽しんでいることと思います
21世紀型の
安全安心の園で
ありますようにと願っております
子供にとっての散歩は冒険ですよね。
小さな目線で世界を見ると、様々なものが大きく見えて好奇心がくすぐられるのがよく分かります。
色々なチャレンジから安心や危険を自分なりに理解して大人になっていく。
でも小さいうちから危険や緊張が続く環境だと、早く躊躇する機会も増えてしまうのではないかと思いました。
また自分も幼少期に道端でネジとか壊れた台車の車輪とかを拾って帰ってロボット作るんだ!と夢馳せた思い出があります。
何でも宝になる・・・すごく良くわかります。