【対談前編|保育の楽しさってなんだろう?】質疑応答スペシャル①
2022年1月14日に開催された、汐見稔幸先生と井上さく子先生の対談は、質疑応答スペシャルです。昨年開催した全4回の対談の中で、時間が足りずに、答えられなかった視聴者の方からの質問にできるだけ多くご回答いただきました。ハッとするような気づきと明日からの保育へのヒントが満載です。
構成/株式会社京田クリエーション 文/宇佐見明日香
汐見先生・井上先生写真/筒井聖子
子どもの「遊び」を止めないで
1歳児クラスの1 歳 11 カ月の男の子のことです。高いところに登るのが好きで、室内では棚やロッカーに登ってしまいます。ジャングルジム遊びなど、外遊びの中で登りたい気持ちを満足させてあげられるよう工夫しているのですが、一向に棚やロッカー登りがなくなりません。子どものやることを面白がり、叱らずに止めさせる方法はありますか?
汐見:なんで止めさせたいのかな? 危ないからかな? ちょっとしたスリルを味わう体験が好きな子で、登れることを成長の証しのように感じているのでしょうね。私たちが子どもの頃と違って、今の子どもは、自分の内から湧き上がってくる冒険心や挑戦心を満たす場所が減っていて、かわいそうに思うことがあります。危ないと思うなら、下に座布団を敷いてあげるなどして、気が済むまでさせてあげることが、実は一番早く飽きて、自ら止める方法だと思いますよ。
井上:大人を困らせながら、子どもは賢くなっていくんですよね。この子は心も体も、ここまで到達しようとしているんだな、試したがっているんだなという気づきを得て、室内環境に登ってもいい場所を取り入れてみてはいかがでしょうか。
主任保育士です。職員に「子どもと一緒になって遊んで、楽しさを共有して」と普段から言っていますが、特に若い職員は、はしゃいで遊ぶことが少ないように感じます。「まず、先生自身が楽しまないと」と声をかけているのですが、私や園長先生だけが率先して遊ぶことも多い状況です。アドバイスをいただきたいと思います。
汐見:世代的に若い先生の中には、はしゃいで遊ぶと楽しいという体験や記憶がない方も多いですよね。そこで生まれる問題があるとすれば、子どもがはしゃいで遊んでいる時に、「危ない」と感じてしまうことです。先生がそういう態度を示したり、実際に声をかけてしまうこと。子どもは空気を読みながら行動しますので、先生がダメだと言っている、そういう顔をしていると思うと、やらなくなる子が一定数いて、遊びという名の学びが発展しなくなるんですね。だから、子どもと一緒に遊ばなくてもいいし、共感もしなくていい。けれど、否定だけはしてほしくないわけです。
若い先生には「面白がって、見守ってください」と伝えてみてはいかがでしょうか。先生自身にはしゃいで遊んだ経験がなくても、子どものそばで面白がって見守ることで、ここまでやっても大丈夫なんだ、こういうことが面白いんだという発見が、追体験として先生の中に増えていきます。それでいいんです。しかも、そういったまなざしを子どもに向けることが、保育の面白さに気づくきっかけになります。
乳幼児期の「子ども主体」の保育
コロナの影響で、ソーシャルディスタンスを取らなければいけないことに神経質になってしまい、「くっつかない!」と叫んでしまいます。どのように伝えてあげたらいいでしょうか。
汐見:密にならないで遊びなさいと言うのは、子どもたちからしたら「遊ばないで」と言われているのとほぼ同じです。遊びは子どもにとって一番の育ちの場。コロナの危険性と子どもの育ちの重要性をてんびんに掛ける場面が多々あろうかと思います。幸いなことに、子どもが重篤化する確率は極めて低いという統計も出てきました。遊びを犠牲にしてまで、ソーシャルディスタンスを守らなければいけないのか。どうバランスを取っていくのか。園の方針を改めて見直し、保護者との話し合いを持ってみてはいかがでしょうか。
0・1・2 歳児のみの小規模保育園です。子ども主体の保育を心がけているつもりですが、子どもとの会話が成立しないため、保育者主体の保育になっているのではないかと不安になることがあります。乳児クラスでの子ども主体の保育を教えていただきたいと思います。
汐見:質問の中にある「子どもとの会話が成立しない」ことと、「子どもとのコミュニケーションが成立しない」こととは全く別物ですよね。私は0歳児であっても、保育者と子どもとのコミュニケーション、つまり心と心の通じ合いが、豊かに成立していなければ、保育はできないと思っています。子どもが何かをしようとした時、そっと見守る、そして、子どもは見守られていると感じながら挑戦する。そこには会話こそありませんが、コミュニケーションがしっかり成立していますよね。
まなざしだけでも構いませんが、私が乳児保育をしている方によく問うのは「0歳児のオムツ替えを黙ってやっていませんか?」ということです。肌に直接触れられるのは、大人であっても緊張するもの。子どもからオムツが見えるように持ち、「これからオムツを替えるけどいいかな?」と必ず聞いてほしいんです。そして、「いいよ」という視線を待ってから替えてほしい。窓を開ける時も、子どもたちに「暑いから、窓を開けていいですか?」と聞きましょう。相手が大人だったら当然のように聞きますよね? さらには「窓を開けたから、涼しい風が入ってきたね」と一連の行為の因果関係も丁寧に言葉にする。自分は尊重される存在なんだ、自分のことは自分で決めてもいいんだ、という子どもの主体性は、年齢に関係なく育むことができますよ。
井上:先日、“孫シッター”を頼まれ、もうすぐ1歳になる孫と過ごした時の話です。テーブルにつかまって立ち、伝え歩き、ずっと立って遊んでいます。そして、テーブルの上にあるものに触れては、それを下に落とすことを繰り返していました。私は「わ! 落としちゃったわね」と言って拾い、「拾いましたよ」と言ってテーブルに乗せます。孫が落として、私が拾うという遊びを繰り返していたら、落としたものを自分で拾うという行為に変わりました。左手をテーブルについて自分の身を支えながらしゃがみ、右手で拾ってテーブルに乗せる。この発達こそ、私たちが丁寧にくぐらせてあげなくちゃいけないことだ、とわが身を振り返りました。
立つことを覚え、立って遊びたい時期。室内にテーブルやイスは出ていますか? 危ないからと片づけてしまってはいませんか? また、子どもが話せないからと、大人まで黙って対応していませんか? 子どもは大人の言葉を聞いて「そうか、これは落としたって言うんだ。これは拾ったって言うんだ」とその行為に対する言葉を備えていきます。
まずは子どもたちが、今何をしているのか、何をしたがっているのか。その環境は整っているか。よく観察してみてください。そして、0・1歳の子どもには、こんなふうに遊ぶともっと面白いよと遊びのやり方を見せて、また見守り観察する。その繰り返しです。
自由制作が自由でない原因
幼児クラスの子どもたちに自由制作をしてもらうと、同じものができることが多くて悩んでいます。見本を作るのをやめようか、そもそも作品帳づくりのための制作をやめて、もっと自由にとことん塗ったり描いたりして遊び切ることを目標に据えようか。アドバイスをください。
井上:一斉に同じ作品に取りかからせるといった今までのやり方、作品帳など大人の都合を優先したやり方をゼロにして、一人ひとり違う瞬間に訪れる、描きたい、作りたいという衝動を逃さずに受け止められるよう、必要な材料や道具を常に用意しておいてはいかがでしょうか。作らされるのではなく、作りたい時に、作りたいものが、作れる環境があってこそ、表現は面白いということに目覚めることができるのだと思います。
汐見:僕が尊敬する子ども絵画教室の先生は、ある日の授業で、手が入る穴の空いた箱を持ってきて、「何が入っているか当ててみよう」と授業を始めました。子どもたちは、箱の中のモノに手で触れながら、「なんかヌルヌルする~」「イガイガがついてる」とおっかなびっくり、ワイワイ言いながら「イカ」という正解にたどり着きました。
箱の中からイカを取り出した先生は、「今日はイカを描いて欲しいんだけど、今から1時間、イカの観察してみよう」と言いました。ある子はイボを数え始め、ある子は定規を持ってきて飛び抜けて長い脚の長さを測り、ある子は目玉の形が面白いとそこばっかり見ている。1時間経過すると今度は、「みんな、どこが一番面白かった?」と先生が聞きます。そう、まだ描かないんです。思い思いに観察して面白いと感じたことを発表し終えると、ようやく「じゃ、自分が見つけた面白いものを絵にしてみよう」と言いました。すると20人20通りの絵が出来上がるんですね。
表現は英語で言うと「expression(エクスプレッション)」。「ex=外へ、press=押す、ion=こと・もの」という意味です。では何を外に押し出すのが表現なのかというと「impression(インプレッション)」。つまり、印象や感動など心の中のこと・ものなんですよね。心の中に何もなければ、表現できないし、表現したいとも思わない。それを大切にしていますか?
また、すべての表現活動において「〇〇ちゃん上手ね」というようなことを絶対に言わないでください。「ああいうふうに描けばいいんだ」とマネするようになるし、そういうふうに描けないことが嫌で、それが苦手意識になってしまう。表現にうまいも下手もないんです。表現したい気持ちを育てる方に注力してほしいですね。
保育における教育とは
保育の質を問われる中で、教育が必要とされていく時代、イコール指導型というイメージが持たれるように思います。保育の本質としてどんな教育が必要なのかを教えていただきたいと思います。
汐見:「education(エデュケーション)」という言葉に「教育」という漢字を当てたことが、そもそもの間違いだったように僕は思うんです。educationには教えるという意味合いはなく、今もし漢字を当てるなら「産育」が最も近いんです。産み育てること。決して教えたり、指導したりということではないわけです。
保育指針では「教育とは子どもの発達の援助である」と定義しました。それが保育の本質なんです。子どもたちが遊びを中心として、脳に新しい回路を作ろうとすることを学びといい、その学びが実現することを発達という。その発達を丁寧に応援するのが教育です。
保育指針の中に書かれている教育の定義は、子どもの教育に限らず、全世代の教育に、そのまま適用できる考え方ではないでしょうか。対談後編では、この日の対談をリアルタイムで視聴されている園長先生や先生からの質問にお二人が回答していきます。お楽しみに。
【対談後編|保育の楽しさってなんだろう?】質疑応答スペシャル②はこちら!
お話を聞いた人
汐見稔幸(しおみ・としゆき)
大阪府生まれ。東京大学名誉教授。
東京大学大学院教授、同教育学付属中等教育学校校長を経て、白梅学園大学・同短期大学学長を2018年3月まで歴任。専門は教育人間学、保育学、育児学。
子どもの教育に幅広くかかわる教育者であり、NHK教育テレビをはじめとする子育て番組などのコメンテーターとしても人気。
井上さく子(いのうえ・さくこ)
岩手県遠野市生まれ。保育環境アドバイザー。
元東京都目黒区立ひもんや保育園の園長職を最後に38年間の保育士生活を終える。新渡戸文化短期大学非常勤講師を経て、保育環境アドバイザーとして研修会講師、講演活動、執筆活動を通じて子どもの世界を広く人々に伝える活動にまい進。
『だいじょうぶ~さく子の保育語録集』、『赤ちゃんの微笑みに誘われて~さく子の乳児保育』と著作多数。
また「遠野あとむ」のペンネームで詩作、朗読、イラストレーターとしても活動中。