全国から収集した「ヒヤリ・ハット」の事例を共有することで、教育・保育現場の安全と安心につなげたい
内閣府の「子ども・子育て支援調査研究事業」の一環として、2023年3月に公表された「教育・保育施設等におけるヒヤリ・ハット事例集」。国の補助を受け、事例集と報告書の作成にあたった株式会社日本経済研究所の菅原尚子さんは「これを叩き台として、保育の現場に携わるみなさんが独自でヒヤリ・ハット事例の収集に努め、それぞれ自治体や地域ブロック・都道府県レベルで共有してもらえたら」と話します。本記事では、菅原さんにヒヤリ・ハット事例集を作成するに至った背景や、事例集から学ぶべきこと、負担なく安全管理対策に取り組むコツなどを語っていただきました。
\お話をうかがった方/
菅原尚子さん 株式会社日本経済研究所 公共デザイン本部 地域マネジメント部部長 上席研究主幹
ヒヤリ・ハット事例集を作成した背景とは?
内閣府の「子ども・子育て支援調査研究事業」の一環として、2023年3月に公表された「教育・保育施設等におけるヒヤリ・ハット事例集」。そこには、全国の保育所や幼稚園で起きた、子どもの命の危険につながりかねない事例が100件掲載されています。
作成することになったきっかけは、福岡県中間市の保育所(2021年7月)や、静岡県牧之原市の認定こども園(2022年9月)で起こった、子どもの送迎における置き去り死亡事故です。痛ましい事故を繰り返さないためには、重大な事故に発展しなかった「ヒヤリ・ハット」にもきちんと目を配り、予防策を講じる必要がある——。事例集には、そうした思いが込められているのです。
ちなみに、100件の事例のうち、昼寝・プール・食事といった事故が発生しやすい状況については、これまでもこども家庭庁が「教育・保育施設における事故報告集計」で重点的にデータを取っていました。今回は、それ以外の「ヒヤリ・ハット」の事例を日本経済研究所が集め、報告書としてまとめました。
ヒヤリ・ハットのリスクレベルに「軽重」はない
ヒヤリ・ハット事例は、地方公共団体が公表している事例集から抽出したほか、幼稚園や 保育所、認定こども園を取りまとめる団体にご協力を依頼して収集しました。
その結果として見えてきたのは、「園内における室内保育」に見落としの場面が多いという現実です。データを集計した表を見てもわかるとおり、件数は全体の1/3を超えていました。
収集した事例は、リスクの程度に応じて「レベル0・1・2・3」の4段階に評価・分類しました。レベルの分け方は、同じように命の危険につながる医療ジャンルのヒヤリ・ハット事例を参考にしています。
ただし、レベル分けは分析や対応を検討するに際して便宜上行っただけで、私たちはリスクの4分類に「軽重はない」と考えています。事故というのは、段階を踏んで重大なものに発展していくわけではありません。それを踏まえるなら、たとえ「レベル0」の状況だったとしても、一歩誤れば命の危険につながりかねないと考えるべきでしょう。
そして、保育の現場ではそうしたヒヤリ・ハットを一例でも多く把握しておくことが大切です。ここからは、代表的な事例をいくつか紹介しましょう。
園内保育:室内(事例No.77)
カーテンのなかで遊んでいた園児2人が窓を開け、職員が気づかない間に外へ出てしまいました。園庭に座っていた園児1人は職員によって発見されましたが、もう1人の園児は施設の外階段に。通行人からの連絡で保育士が確認し、最上段で保護した「抜け出し」の例です。
この事例を提供した施設は、抜け出しが発生した背景として「園児自ら窓を開けることを予測していなかった」や「窓が施錠されていなかった」などの点を挙げていました。
昼寝準備の際には、「園児全員がほふく室に移動してからカーテンを閉める」といった局所的な対策はもちろん、「園児から目を離さず、定期的に点呼を行う」などの対策が必要だと考えられます。
園内保育:室外(事例No.45)
これも「抜け出し」の例です。園庭と外部を仕切るフェンスのレバーを外した園児が、わずかな隙間から園の駐車場や道路に飛び出してしまいました。離れた場所から保育士が 声をかけても止まらず、慌てて追いかけて保護したと報告されています。
事例を提供した施設は、思い当たる背景として「園児の行動予測や職員間の声がけが徹底されていなかった」や「危機管理や安全対策の周知が弱かった」などを挙げていました。
施設ではその後、園内の危険スポットについて園児たちに話をしているそうです。これを受けて、職員側もヒヤリ・ハットが起きる可能性のある場所を確認し、対策を講じる必要があるでしょう。
園外保育(事例No.26)
散歩先である公園から戻る際に、園児2人が引率の列から離れてしまった事例です。列の前後に職員が1人ずつついていたものの、発達の異なる3・4・5歳児を約20人引率しての合同保育だったため、対応に気を取られて2人の離脱に気づきませんでした。彼らを保護した近隣住人からの連絡で発覚したそうです。
この事例を提供した施設は、思い当たる背景として「トラブルに気を取られていた」や「帰園時にすぐ点呼をしなかった」という点を挙げていました。
こうしたケースでは、個別に対応するスタッフと全体を見守るスタッフを分けるなど、役割分担しながら職員の連携を密にする必要があるでしょう。加えて、場所が移るたびに人数確認を徹底すると、早期発見につながるかもしれません。
送迎バス(事例No.2)
「降ろし忘れ」の例です。遠足の帰り、園に到着して保育室で点呼したところ、園児が1人いないことに職員が気づきました。バスのなかを確認すると、該当する園児を発見。医療機関を受診したところ、幸い脱水症状などは見られませんでした。
この事例を提供した施設は、思い当たる背景として「普段のスタッフではない、別の職員による添乗」や「バスのなかで寝ている園児の対応に追われ、点呼時の誤認につながったこと」を挙げていました。
添乗スタッフだけでなく、保育士もバスの乗降に関するマニュアルを把握し、繰り返し実地訓練を行う必要があると考えられます。
出典:内閣府「教育・保育施設等におけるヒヤリ・ハット事例集」
ヒヤリ・ハット事例の収集・共有で保育の現場がレベルアップ
今回は、日本経済研究所が100件のヒヤリ・ハット事例をまとめましたが、保育の現場に携わるみなさんには、ぜひ「独自の事例集」を作成していただきたいですね。現場によって取れるデータが異なるので、それらを持ち寄ることで地域ごとに留意すべきポイントや傾向が見えてくるはずです。
とはいえ、保育士のなかには、ヒヤリ・ハットの報告に心理的な負担が生じて、萎縮してしまう方もいらっしゃるかもしれません。そうした方に知っておいてほしいのは、ヒヤリ・ハットの収集や分析は「職員のミス」を追求するためのものではないということです。報告の義務を果たせる方は、重大事故を予防できる視点を持った「意識の高い人」と受け止められるべきでしょう。
日本経済研究所では、そうしたポジティブな共通認識を持ちながら、ヒヤリ・ハット事例を効率よく「収集」「共有」する方法についても報告書にとりまとめています。その具体例も簡単に紹介しておきましょう。
収集する方法:提出しやすい環境づくり
- 共通の報告フォーマットを作成しておく
- 園舎の全景を描いた模造紙を職員室に掲示し、生じたヒヤリ・ハットを付箋に書き込んで該当スペースに貼る
- 職員の休憩スペースに「目安箱」を設置し、ヒヤリ・ハット事例を投函できるようにしておく
共有する方法:地域特有のヒヤリ・ハット改善策を割り出す
- 教育・保育団体が各施設から任意でヒヤリ・ハット事例について提供を受け、とりまとめて「ヒヤリ・ハット事例集」として共有する
- 教育・保育団体などが主催する安全管理研修などの場で、各施設からヒヤリ・ハット事例を数例ずつ持ち寄り、教材とする
出典:内閣府「教育・保育施設における事故に至らなかった事例の収集・共有等に関する調査研究報告書」
危険予知トレーニング
施設のなかには、日ごろからKYT(危険予知トレーニング)の4ラウンド法を行い、保育における安全管理のレベルアップを図っているところもあります。経験の少ない新任スタッフは、ベテランから知見を共有してもらうことで、その視座を高めることができるでしょう。
KYTの4ラウンド法では、①イラスト(左)から潜在的な危険を発見し、②レポート(右)にまとめて重要だと思われる危険を絞り込み、③具体的な改善策を出し合い、それをさらに④実践するための「チーム行動目標」に落とし込みます。
出典:厚生労働省「社会福祉施設における安全衛生対策マニュアル」第3章 KY活動
「ハインリッヒの法則」を念頭に安全管理対策を!
1件の重大事故が起こる背景には、そこに至らなかった29件の軽微な事故が隠れており、さらに300件のヒヤリ・ハットが潜んでいるといわれます。労働災害において事故発生の経験則として知られる、この「ハインリッヒの法則」は、保育の現場にも通用する考え方です。
この考えに基づくなら、300件のヒヤリ・ハットを予防することで、命を危険にさらす重大な事故を阻止できるかもしれません。そして、それは乳幼児だけでなく、子どもたち を預かる保育スタッフのみなさんを守ることにもつながります。保育の現場に携わる全員の安全や安心を実現するためにも、ヒヤリ・ハットの事例を収集し、改善策を共有する取り組みを徹底していきましょう。
◆日本経済研究所:https://www.jeri.or.jp/
菅原尚子(すがわら・なおこ)
日本経済研究所 公共デザイン本部 地域マネジメント部部長 上席研究主幹
ロンドン大学経済政治学院(LSE)大学院開発学専攻修士課程を修了後、日本政策投資銀行(DBJ)全額出資のシンクタンクで、国や地方自治体に対するさまざまな提言、構想、計画、政策・施策の立案に関わる調査・コンサルティングを行う日本経済研究所に入所。医療や子どもに関する福祉を中心に調査研究業務に従事している。
取材・文/岡山朋代 編集/イージーゴー