保育業界の悪習を断ち切りたい!26歳で理事長に就任した、寿台順章さんが掲げる「保育士ファースト」とは
保育業界に山積する課題のなかでも、とりわけ深刻なのが保育士不足。2024年1月の保育士の有効求人倍率は3.54倍で、全職種平均の1.35倍に比べてとても高い水準となっています。また、現在保育士として働いている人のうち約2割が、「仕事量の多さ」や「給料の安さ」「労働時間の長さ」を理由に、離職を考えているという調査結果もあります。
そうしたなか「保育士ファースト」「遊ぶために働け!」を理念に掲げて、従業員の完全シフト制の徹底や残業・無駄な会議の廃止、公休の新設、有給休暇の取得推進などの斬新な施策を次々に実現。保育士不足に陥ることなく保育園を運営しているのが、社会福祉法人・栄寿福祉会(愛知県名古屋市)です。今回は理事長の寿台順章さんに、斬新な理念を掲げた理由や改革の効果、今後の展望などについてうかがいました。
\お話をうかがった方/
寿台順章(じゅんだい・じゅんしょう)さん
1982年生まれ。名古屋西高等学校を卒業後、家業である寺の勉強をするため京都の大谷大学に進学。大学2年時に退学し、石垣島に移住する。その後、名古屋に返って僧侶と幼稚園教諭・保育士の資格を取得。家業の社会福祉法人栄寿福祉会に24歳で入職、26歳のときに姉妹法人の学校法人正雲寺学園と社会福祉法人栄寿福祉会の理事長に就任。31歳のときにはグループ内に株式会社MarSolを立ち上げ、代表取締役に就任している。
「遊ぶために働け!」の原点は、石垣島への移住
──寿台さんは、バックパック1つで海外を旅したり、大学を辞めて石垣島に移住したりと、ユニークな経歴をお持ちです。そうした経験を積みながらも、最終的には実家の保育園を継ごうと決めたのはなぜですか?
寿台:社会福祉法人の3代目として生まれ、保育園が身近にあるのが当たり前の環境で育ったことが大きいですね。中学生の頃は、漠然と「将来は社長になりたい」という夢を抱いていたのですが、成長するにつれてその夢が具体的になり、「だったら自分が親しんできた保育園の経営者になればいい」という思いに変わっていったのです。
高校卒業後は、家業の寺と保育園を継ぐのに必要な資格を取るために大学へ進んだのですが、結果的には大学1年生のときに出会ったサーフィンにどっぷりハマることに(笑)。それからはサーフィンとアルバイトに明け暮れる日々でしたね。気がつけば大学にもほどんと顔を出さなくなっていました。でも、そんな生活が2年ほど続いたある日、サーフィン仲間に「この先、何がやりたいの?」と問われ、将来についてあらためて考えたことがあったんです。そしてそのとき、自分のなかで「保育園の経営者になりたい」という思いが変わっていないことに気づきました。
しかし一方で、「だからといってこのまま親の敷いたレールに乗って、家業を継ぐだけの人生でいいのか 」「今しかやれないことを、やっておくべきではないのか」とも考えました。そしたら、いてもたってもいられなくなって、「資格は絶対に取得する。でも大学はやめたい」と親に連絡していたんです。その語は石垣島へ移住し、社員寮のある飲食店で働きながらサーフィン三昧の毎日を送っていました。
──夢を実現させる道筋が見えているからこそ、別の経験を積んでおきたかったということでしょうか。
寿台:脈絡のない話だと思われるかもしれませんが、振り返ってみると、そうやって好きなことをしながら生きる幸せを実感したことが、今につながっていると感じます。たとえば、当園が掲げている「遊ぶために働け!」という理念も、そうした体験から生まれたもの。余裕をもって仕事と向き合い、休日は自分や家族のために時間を使って心身を充足させる。そして、また仕事に向き合う。この循環があるからこそ幸せが実感できるし、仕事の質も上がると思うんです。
26歳で理事長に就任し、「悪習」を断つ保育改革に着手
──その後は約束どおりに資格を取得し、実家の幼稚園・保育園の運営に携わっています。入職してすぐ園の課題に気づいたそうですが、具体的にどんな問題があったのでしょう?
寿台:最も問題だと感じたのは、職員間に派閥があったことです。どこの園にも勤続10年、20年のベテラン職員がいて、そうした方が普段の保育活動や新人の教育をリードしてくれます。それはとてもよいことなのですが、ベテラン職員同士が対立したり、経営側とベテラン職員の間に意識のすれ違いが生じたりすると、とたんに組織内に派閥が生まれます。
そうすると、どうなるか。若い職員たちは、派閥の動向やベテラン職員の顔色ばかりうかがって仕事をするようになってしまいます。場合によっては、保護者の顔色まで気にするケースも出てくるでしょう。けれども、本来職員が向き合うべきは子どもたちであって、上司や保護者ではありません。さらにいえば、周囲の大人がお互いの顔色ばかりうかがっている状況が、子どもの心の発育に良い影響を与えるはずがないですよね」。
入職してすぐそのことに気づき、当時理事長だった父や祖母に問題点を訴えましたが、彼らにも「自分たちのやり方で何十年も園を運営してきた」という自負があります。親族とはいえ、入職したばかりの私の言葉に、すんなりと耳を傾けてくれることはありませんでした。
もちろん従来のやり方で問題なくやっていけるのならば、そのままでいいと思います。しかし、少子高齢化が進み、社会のあり方が目まぐるしく変わっていくなか、幼稚園や保育園も時代に合わせて進化しなければ、いずれ淘汰されてしまうかもしれない。「うちの園も例外ではないのに」と思うと、もどかしかったですね。
──そうしたなか、どうやって改革の必要性を訴えていったのでしょうか。
寿台:考えた末に、「親が理解してくれないならば、自分が理事長になって改革を断行するしかない」という結論に行き着き、腹をくくりました。それで、入職して2年が経った26歳のとき、父に「園の運営を任せてほしい」と直談判したんです。当然、最初は真っ向から否定されました。でも、私の勢いに押されたのか、説得を続けるうちに父の態度も軟化し、最終的には理事会の承認も得て新理事長に就任することになりました。
──「波乗り理事長」の誕生ですね。理事長に就任した後の取り組みについて教えてください。
寿台:最初に取り組んだのは、職員の労働環境の改善です。本来、保育士には子どもが好きで、子どもたちと接する時間に幸せを感じる人が多いはずです。なのに、保育士として働くうちに上司や保護者の顔色ばかりうかがうようになったり、長時間労働に疲弊して目の前の幸せが見えなくなったりしてしまう。それって、職員にも子どもにもよい環境とはいえませんよね。
先ほどお話したように私には持論があって、職員に精神的な余裕がないと、充実した保育や質の高い保育は提供できないと思っています。職員がゆとりを持って子どもたちと向き合い、保育を楽しんでいるからこそ、子どもたちも園での時間を楽しむことができる。つまり、職員が幸せになることが、子どもたちも幸せにつながるんです。
そして、そうした環境を実現するために実行したのが、「保育士ファースト」という理念を打ち出すことでした。
──「保育士ファースト」を実現するため、具体的にどのような活動を行ったのでしょう。
寿台:代表的な取り組みのひとつが会議の短縮です。保育業界の職員会議は園児が帰ったあとに行われるのが一般的で、早番の職員が会議のために閉園すぎまで退勤できないケースも少なくありません。
朝礼の場合はその逆で、遅番の職員が朝礼に出るためだけに朝8時にきて、そこから勤務開始時間まで時間が空いてしまう。となれば、空いた時間に働いてしまいますよね。日々の会議や朝礼で重要なことが議論され、全職員の出席が不可欠であるならば、それも仕方がないのかもしれませんが、私にはそうした光景が悪しき習慣にしか見えませんでした。
ですから、自分が理事長になってすぐに、夕方の定例会議を昼間に開くことを提案。時間もだらだらやるのではなく、30分に区切って効率化を図りました。また、参加できない職員はメモやITツールを活用して会議の内容を共有すればいいというルールも設けました。その効果は絶大で、職員たちが残業をせずシフト通りに勤務する習慣が根づくきっかけになったと感じます。
──シフト通りに働ければ、気持ちにもゆとりが生まれます。改革の事例はほかにもありますか?
寿台:会議の件に加えて、気になっていたのが有給休暇の取得状況です。どの職員も年間最低でも10日は有給休暇を取得できるはずですが、実際はベテラン職員が優先的に有休を取り、若手職員はお盆ですらほとんど休めない状況だったのです。
それを打開するために実行したのは、お盆や年末年始における公休の増設でした。有給休暇が不公平なものになっているなら、勤続年数とは関係なく誰もが公平に利用できる公休を増やしてしまえ、と(笑)。シンプルにそう考えたのです。さらに翌年からは、有給休暇の起算日を「入職日から半年後」ではなく「4月1日」に変えました。そうすれば、新卒の職員も入職初日から5日間の有給休暇がとれるようになるからです。
「保育士ファースト」のために実施した、手づくりアイテムの廃止
──大胆な施策を次々に実行されている印象ですが、逆に言うと、「保育業界にはいろいろな課題が残っているのだな」とも感じます。
寿台:「すべては子どものため」という大義名分を盾に、職員の生活や幸せは二の次、三の次にされてしまい、長時間労働や有休未消化が状態化する。私がやってきた改革は、そうした悪習を絶ちきるためのものでもあります。
もうひとつ例を挙げるなら、職員の手づくりアイテムを撤廃したのも改革の一環です。保育園では入園式や卒園式、発表会などイベントが近づくと、職員が休憩時間を削ったり、子どもたちが帰ったあとの時間を利用したりして、イベント用の小物を手づくりする光景が見られますよね。
うちの園でも、かつては「温かみがある」「愛情を感じる」という理由から手づくりが推奨されていました。でも、最近は安価でもそれなりのクオリティの既製品がネットで買えますし、子どもたちは卒園式で使うコサージュが手づくりだろうが、既製品だろうが気にしません。それで、私が理事長に就任してからは、「買えるものは買おう」という方針に変えたんです。
──さまざまな改革を進めていくなかで、職員からの反発はなかったのですか?
寿台:もちろんありました。特に理事長になったばかりの頃は、顕著でしたね。26歳で保育歴もない若造の言うことをベテランの職員が聞くはずもなく、会議で決めたことが現場で実行されないなんてことは日常茶飯事。このままでは何も変わらないのではないかと、不安になったこともあります。
──その不安な状況をどうやって乗り切ったのでしょう。
寿台:多少強引であっても、トップダウンで改革を進めようと決めました。そのやり方に賛否があることはわかっていたし、実際、職員との間に軋轢が生まれたりもしました。けれど何があっても「保育士ファースト」の理念を曲げたくなかったんです。大人が幸せに働ける園をつくることができれば、子どもたちも幸せな時間を過ごせるはず。自分の考えは間違っていないという根拠のない自信があったので、理念に共感してくれる経験者を積極的に採用したりもしました。
一方、去る者は追わずの姿勢を貫いたので、理事長就任から3年経った頃には古株のベテラン勢はほとんどが辞めていき、20〜30代の新しく採用した職員が中心の園になっていました。とはいえ、そのとき一緒にがんばってくれた職員は、今も重要な役割を果たしてくれているので、「保育士ファースト」を貫いたのは間違いではなかったと思っています。
生き残りをかけた戦略は、「唯一無二の園」になること
──保育園7園、認定こども園1園を運営するグループへと成長した今、新たに取り組んでいる課題や、今後やろうとしていることはありますか?
寿台:最重要課題は、やはり少子化への対応ですね。以前から「いずれ子どもの数が減って保育園が淘汰される時代がくる」という予測はありましたが、コロナの影響でそのスピードが加速していると感じます。実は、コロナの感染拡大がはじまった2020年頃、私はグループ全園の園長を集めて「これから少子化が加速して保育園が潰れる時代がくる」と宣言したのですが、あまり響かず。職員はみんなポカンとしていたのを覚えています。当時は、そんなことより待機児童が緊急の課題でしたから、無理もありません。
そして、そのとき私が掲げた生き残りのための戦略が「唯一無二の保育園になること」でした。「保育士ファースト」「遊ぶために働け!」の理念を突き詰め、保育園で働く大人たちにスポットをあてることで、唯一無二を目指そうと考えたんです。
前に「ほいくらし」で取り上げていただいた「ビオーレ・ナゴヤ」も、そうした発想から生まれた女子バレーボールチームです。チームが生まれたきっかけは、保育園に置いてあったフリーペーパーに大学の女子バレー部が掲載されているのを見つけたことでした。職員に「この中に保育学科の学生はいるかな?」と聞いてみたところ、「たぶんいると思いますよ」という答えが返ってきたので、「これは唯一無二につながるかも」とピンときたんです
数日後には、保育学科があって、なおかつバレーボールに力を入れている大学や専門学校にトライアウトの告知を発送していましたね(笑)。
【関連記事】
保育士とバレーボール選手の“二刀流”に、全力で挑む!
──発想がユニークですね。反響はいかがでしたか?
寿台:予想以上に大きな反響だったので、12人のバレー部員を採用して2022年4月にバレーボールチームを発足させました。選手たちはほぼ全員が正職員で、フルタイムで仕事をするかたわらバレーボールをしています。
3年目となる今年は、スポンサーがついてメンバーも増え、SNSのフォロワー数も国内の女子バレーボールチームではトップクラスとなりました。保育園の子どもや保護者からも反響があり、最近は名古屋市内で大会に出ると、30組くらいの親子が応援にきてくれます。身近な担任の先生が試合でがんばる姿、輝く姿を見ることは、子どもたちの成長において大きなプラスになっているのではないでしょうか。
──ほかにも、プロボクサーと栄養士の二足のわらじを履きながら活動している職員や、ミュージシャン、大工の顔を持つ職員もいるとうかがっています。
寿台:さまざまなバックボーンを持った人材が活躍し、それが子どもたちにも好影響をおよぼすような保育園が、私が思い描く「唯一無二の保育園」の形態のひとつなんです。誰からも愛される園ではないかもしれないけれど、地元で暮らす家族の2割に支持してもらい、ファンになってもらえれば、この先も淘汰されることはないと信じています。
また現在は、保育専門の学校をつくるプロジェクトや、農業法人を設立して子どもたちと一緒に育てた野菜を販売するプロジェクトも動き出しています。職員からは、またポカンとされそうですが、私のなかでは保育改革の一環であり、これまでに行ってきたことの延長線上にある活動です。唯一無二を目指すためにも、ぜひ成功させたいですね。
──最後に、「ほいくらし」の読者にむけてメッセージをお願いします。
寿台:これを読んでくださっている方に聞いてみたいのは、「毎日わくわくしていますか?」ということです。人生を楽しんでいますか? そして、その姿を子どもたちに見せられていますか?保育園の主役は、子どもたちでなく保育士のみなさんです。どうか、遊ぶために働いてください!
取材・文/岸良ゆか