「ドラえもんをつくりたい」が「ドラえもんはつくれる」に変わった日。AI研究者・大澤正彦さんの夢への道筋

「ドラえもんをつくりたい」が「ドラえもんはつくれる」に変わった日。AI研究者・大澤正彦さんの夢への道筋

「こんなとき、ドラえもんがいてくれたらいいのに」。子どもの頃、誰もがそう思った経験があるのではないでしょうか。日本大学文理学部で准教授をつとめる大澤正彦さんもそのひとりです。しかし、大澤さんが私たちと違っているのは、幼少時に「いつか自分がつくるんだ」と心に決め、夢を追い続けたこと。いまも『ドラえもんを本気でつくる』という研究プロジェクトを推進し、気鋭のAI研究者として注目されています。

今回は、幼少期からの夢に真摯に向き合う大澤さんに、どのような少年時代を過ごしたのか、肝心の研究はどこまで進んでいるのかなどについてうかがってみました。いつものインタビューとは少し毛色の違うテーマですが、みなさんもこの機会に子ども時代の夢を思い出してみてはいかがでしょう。

\お話をうかがった方/
大澤正彦さん
日本大学 文理学部 情報科学科准教授。次世代社会研究センター(RINGS)センター長。東京工業大学附属高校、慶應義塾大学理工学部を卒業。学部時代に設立した「全脳アーキテクチャ若手の会」が2600人規模に成長し、日本最大級の人工知能コミュニティに発展。IEEE CIS-JP Young Researcher Award(最年少記録)をはじめ、受賞歴多数。著書に『ドラえもんを本気でつくる』『じぶんの話をしよう。 成功を引き寄せる自己紹介の教科書』(ともにPHP研究所)がある。

大澤正彦さん

夢は「ドラえもんをつくること」で、なりたい職業は「保育士」だった

──大澤さんは『ドラえもんを本気でつくる』というプロジェクトを進めていらっしゃいます。まずは、具体的な研究内容から教えてください。

大澤:ひとことで言うと、「人と心が通じ合う」ロボットの開発です。近年、人間のように自然な対話ができる生成AIが出てきて、世間の話題をさらいました。その技術を使えば、「人の言葉」をある程度理解するロボットはできますが、「人の心」を理解するロボットまではまだつくれません。そこで僕たちはいま、人の心を理解するとはどういうことかを研究しているんです。

──「ドラえもんをつくる」という夢を最初に抱いたのはいつですか?

大澤:記憶がないくらい幼い頃です。2歳のときに「ドラえもんをつくる」と口にしていたのを母がメモに残しているので、おそらくそのくらいでしょうか。 

小学生のときには夢をはっきりと自覚していましたが、同時に、無力感のようなものを抱くようにもなりました。夢の話をしてもまわりから本気で受け止めてもらえず、「どうせ自分にはドラえもんをつくることなんてできない」「人に言っても笑われるだけ」と思っていたんです。小学校の卒業アルバムの「将来の夢」の欄に「ドラえもんをつくる」と書けなくて、ものすごく悔しかったことはいまでも覚えています。

──でも、小学生の頃には、すでにロボットづくりを経験していたとうかがっています。

大澤:小学4年生のときに、子ども向けのロボットセミナーに参加したのが最初です。操縦型のロボットを自分で組み立てて、それを使って参加者同士でロボット相撲をしました。工作は得意だったので、誰よりも早く美しく仕上げる自信はあったんですが、操縦が下手で相撲には勝てず。その教訓から、自分で操縦するのではなく自動で動くロボットをつくろうと、電子工作を勉強するようになりました。

──当時から、「つくること」が好きだったのですね。

大澤:そうですね。中学校でも国語はダメだけど数学はできる、英語はダメだけど理科はできる、といういびつな成績の子でした。よく「昔から優秀だったんでしょう」と言っていただくのですが、そんなことは全然ないんです。むしろ勉強が嫌いで、授業を受けるのもいやでした。

中学卒業後の進路を決めるときも、「高校でまた3年間授業を受けるなんて無理!」と思っていたんです。でも、工業系の高校なら耐えられるかもしれないと考え直し、唯一好きだった理系の知識を生かして、推薦で東京工業大学附属高校に入ることができました。

誤解のないように言っておくと、僕は一般入試を受けていないので、学校の偏差値に見合う学力があったわけではありません。事実、入学直後は成績がどん底で、落ちこぼれの生徒でした。

──そんな過去があったとは意外です。3年間ずっとそんな感じだったのでしょうか。

大澤:ある時期から必死で勉強するようになり、成績が飛躍的に伸びました。きっかけは、おじいちゃんが亡くなったことです。僕は昔からおじいちゃんっ子で、千葉の家へしょっちゅう遊びに行っていたんです。でも、高校に入ってから落ちこぼれた自分の姿を見せたくなくて、行くのをパタリと止めてしまったんですね。すると、ある日突然おじいちゃんが入院して、その1週間後に亡くなってしまいました。

ものすごくショックを受けたし、おじいちゃんが入院中、看護師さんたちに孫自慢をしていたことを知って、ふがいなくもありました。それで、「大切な人に見られたくないような自分ではいたくない」と強く思うようになり、生き方を変えたんです。

──その頃も、ロボットづくりは続けていたのですか?

大澤:高校がコンピュータの学科だったので、プログラミングなどを専門に学んでいました。ロボットの学科もあったのですが、電子工作ではロボット制御に限界があるので、まずはプログラミングを勉強したかったんです。その知識も踏まえて卒業研究ではロボットをつくりました。

──「ロボット開発者」「ロボット研究者」のような、将来なりたい職業の具体的なイメージができていたのでしょうか。

大澤:多くの子どもは「夢はなんですか?」と聞かれたときに、職業を答えるじゃないですか。でも、僕は夢と職業が別のものだと思っていたので、夢は変わらず「ドラえもんをつくること」で、なりたいと思っていた職業は、たとえば「保育士」でした。

──保育士になりたかったんですか!? それは意外です。 

大澤:「ほいくらし」の取材だから言っているわけじゃないですよ(笑)。小さな頃から本気でそう思っていました。中学生のときの職業体験も保育士を希望して、保育園に実習に行ったくらい。

幼い頃の自分のように突拍子もない夢をもつ子がいたら、近くにいて背中を推してあげられる大人になりたかったのかな。とにかく将来は子どもに貢献できる仕事について、そのかたわらドラえもんをつくる研究がしたいと思っていました。

ドラえもんをつくるために、あえてロボットから距離を置いた3年間

大澤正彦さんが大学時代に所属した児童ボランティアサークルの活動風景
大学時代に所属した児童ボランティアサークルの活動風景。

──その後、慶應義塾大学に進学したものの、大学4年生まではロボットづくりから離れて、「普通の大学生活」を送っていたそうですね。

大澤:慶應に入学してみたら、東工大附属とは学生のタイプも文化も、何もかもが違っていて、カルチャーショックを受けたんです。たとえば大学でできた友人とお互いの高校生活について話すと、みんなが体育祭などの賑やかな様子を捉えた写真を見せ合うなか、僕の高校生活はロボットの写真ばかり(笑)。自分がこれまで特殊な道を歩んできたことに気づきました。

小学生の頃からロボットをつくることに夢中で、いわゆる「普通の人」とは違う価値観で生きてきてしまったんじゃないか。そう思うようになったのですが、冷静に考えると普通じゃない人がつくるドラえもんって、ちょっと怖いですよね。なので、一度ロボットづくりから距離を置いて、普通の大学生活を送ってみようと考えたんです。

──ドラえもんをつくるという夢のために、あえてロボットづくりから離れたわけですね。

大澤:そうです。授業以外ではロボット関連の勉強をせず、その分サークル活動に打ち込みました。とくに、1年生の終わりから参加するようになった児童ボランティアサークルが楽しかったですね。大学が所有する新潟の山荘に地元の子どもを招いて、工作教室やキャンプをしたり、東京・新橋の小学校の校庭開放指導員として、子どもたちと遊んだり。

ロボットづくりから距離を置くと言いつつ、子どもに教える工作はOKというマイルールをつくっていたので、子どもたちから「工作の神!」ともてはやされて、良い気分になってました(笑)。

実績と仲間に支えられて、夢を人に語れるようになった

全脳アーキテクチャ若手の会のメンバーたちと。

──その後、大学4年生になってから、ロボットづくりを再開されています。心境の変化があったのでしょうか?

大澤:大学4年生になったら、AIの研究室に所属して研究を再開しよう。3年間溜め込んだ技術や知識への欲求をそこで一気に解き放とうと、入学当初から決めていたんです。

──AIの研究をしようと思ったのはなぜでしょう。

大澤:ドラえもんがつくりたくて、小学生の頃に初めてロボットを工作し、そこからロボットを自動で制御するための電子工作を勉強しました。高校ではプログラミングを学びました。では、次のステップとして、何をするか。そう考えたときに、ロボットをさらに賢くするための人工知能の知識や技術を身につけるのが、自然な流れだと思ったんです。いわば、ドラえもんの「外側」から「内側」へと、どんどん潜っていくイメージですね。

──研究室では、どのような成果がありましたか。

大澤:AIに関する実験結果を学会で発表したところ、アメリカに本部を置くIEEE(※)のYoung Researcher Awardを受賞することができました。21歳のときに発表した研究での受賞は最年少記録だそうです。

※電気、通信、電子、情報工学などの国際的な標準規格を認定する団体。世界最大級の規模を誇り、Wi-FiやUSBなども同団体の標準規格。

──すばらしい成果ですね。小学生の頃は「ドラえもんをつくる」という夢を人に言えなかったとおっしゃっていましたが、夢を人に語れるようになったのはどのタイミングだったのでしょう。

大澤:大学の研究で成果が出はじめた頃です。研究って、まだ誰も成し遂げていないことやみんなが「できない」と思っていたことを、「できるかもしれない」に変えるためにするものじゃないですか。

なので、研究を重ねるうちに、人から「ドラえもんなんてつくれないよ」と言われても、「いや、できるよ。なぜなら……」と説得力を持って語れるだけの知識と論理的思考が身についたんです。ロジックの力で自分の夢を守れるようになったという感じでしょうか。

でも、それ以上に夢を一緒に追いかける仲間ができたことが大きかったですね。実は、大学4年生のときに「全脳アーキテクチャ若手の会」という脳や人工知能に興味がある人向けのコミュニティを立ち上げたんです。

年齢も属性も性別もバラバラなコミュニティですが、ある日、仲間のひとりが当たり前のように「大澤はドラえもんをつくるやつだからな」と言ってくれたんですよ。あのときの認められた感は、うれしかったですね。信頼できる仲間が自分を認めてくれて、しかも一緒に夢を追いかけられる。それならドラえもんをつくれないはずがないと、頼もしい気持ちになりました。以来、「僕がドラえもんをつくる」という自信が揺らぐことはなくなりましたね。

目指しているのは、人と心が通じ合うロボットの実現

屋内, テーブル, 人, 座る が含まれている画像

自動的に生成された説明
大澤さんが研究室のメンバーとともに開発中のロボット。

──現在のプロジェクトの進捗状況はいかがでしょう?

大澤:人と心が通じ合うロボットの、「心が通じ合う」部分の研究を進めていますが、そうすると、そもそも「心とは何か?」という問題に行き当たります。みなさんは、「あなたに心はありますか?」と問われたら、どう答えますか? おそらく「あります」か「あると思います」と答えるのではないでしょうか。

でも、心があることを科学的に証明できた人はいません。にもかかわらず、なぜ多くの人が「心がある」と答えるかと言うと、そう信じているからです。僕は、「心がある」の本質は「心があると思っている」ということかもしれないと考えています。だとしたら、ロボットに無理矢理「心」をプログラムしなくても、「このロボットには心がある」と思ってもらえればいいことになりますよね。

──「心とは何か」を突き詰めるのではなく、別のアプローチで「人と心が通じ合うロボット」を目指しているわけですね。「心がある」とされる人間と、「心がない」とされるロボットの違いは何でしょうか?

大澤:いろいろな違いがありますが、報告されている事例のひとつに「コミュニケーションの際に言外に込められた『意図』を読み取れるかどうか」というものがあります。例えば、京都の人が口にする「ええ時計持ってはりますなぁ」という言葉には、「時間を見てみろ、もうこんな時間だぞ」「早く帰れ」といった意図が込められていると言われます。

しかし、ChatGPTのようなAIは、言外に込められた意図にうまく反応することができません。人間の言葉には高い精度で反応しますが、「ええ時計持ってはりますなぁ」の裏に隠された意図を慮ることは難しいんですね。

それを踏まえて、僕たちは「意図」を読み取るAI技術の開発に取り組んでいます。ロボットが人の「意図」を読み取れるようになれば、おそらく自分自身の「意図」も理解できるようになる。そうなったとき、そのロボットは「自分には心がある」と思っている人間に、とても近い存在になるのではないかと考えています。

──「いつまでにドラえもんを完成させたい」といった目標はありますか?

大澤:プロジェクトの完了は2044年を目指しています。だた、この「完了」というのは、僕がドラえもんをつくるためにできることを全部やり切るという意味で、ドラえもんの「完成」時期については目標を設定していません。というか、できるだけ後ろ倒ししたいと思っています。

僕らは人とともに歩むAIを開発しようとしていますが、いま世間には「AIに仕事を奪われる」「AIが人類を滅ぼす」といった否定的な意見が一定数ありますよね。そんななかで、仮に明日「人と心が通じ合うAIができました」と世の中にニュースが流れたら、ポジティブな気持ちになる人よりも、ネガティブな気持ちで受け止める人のほうが多い気がするんです。

でも、ドラえもんをつくるからには、みんなに愛される存在になってほしい。メディアに出てAIについて話したり、研究の成果を報告したりしているのもそのためです。開発途中のロボットを実際に見てもらい、「かわいいでしょ?」「この子が家にきたらうれしくないですか?」と伝えることで、ネガティブなイメージをなくしていくのも、僕らのミッションのひとつ。人と心が通じ合うための技術を早急に実現させつつ、人や社会と足並みをそろえるかたちで世の中に送り出したいです。

AIが進化しても、保育士さんの専門性は簡単に代替できない

──最後におうかがいしたのですが、近い将来、保育の世界にロボットが導入される可能性はあると思いますか?

大澤:実を言うと「保育×ロボット」は、昔から世界中の科学者が関心を抱いてきたテーマで、先行研究も豊富です。なかには、「子どもと遊ぶことができるロボットを開発した」という事例もあるのですが、保育士さんと同じように遊べるロボットの事例は、まだ報告されていません。

一方で、保育士さんにロボットを遠隔操作してもらった実験では、ロボットが十数人の子ども一人ひとりに合わせたコミュニケーションを取り、どの子とも30分以上楽しく遊べたそうです。保育×ロボットの研究が進めば進むほど、浮き彫りになってくるのは保育士さんの専門性やスキルの高さなんですよね。

なにより、保育士さんが子どもと時間をかけて築いた絆を短時間で構築できる技術なんかありません。そうやって考えていくと、保育士さんって本当にすごい仕事だと思います。

もちろん、ロボットを保育の現場に入れていくのは、現場の負担を減らす意味でとても重要なことです。これからは保育の現場にかぎらず、人とAIやロボットが共存して、お互いを補完しながら、より良い世の中を目指していく必要があるでしょう。ですから、今後はそうした未来を前提にしながら、社会を設計していくことが求められるのではないでしょうか。

──ありがとうございました。ドラえもんに会える日を楽しみにしています。

大澤:ありがとうございます。たくさんの人と協力しながら、みんなに愛されるドラえもんをつくります。

取材・文/岸良ゆか

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