「保育士」という職業がないエジプトに日本式保育園を開設!?元園長先生が抱く、子どもたちへの思いとは

保育士のみなさんは、いまどんなキャリアパスを描いていますか? 勤務している園で管理職や園長を目指したい、保育士の経験を生かしてほかの職種にも挑戦してみたい。100人に聞いたら、100通りの生き方・働き方が出てくるのではないでしょうか。
今回お話をうかがった須藤真希さんは、日本で長年保育士として働いた後に、一念発起して単身エジプトへ渡り、現地で保育園を開いたというユニークな経歴の持ち主。現在もエジプトに「日本式保育」を広めるべく、日々奮闘しています。かつては園長まで務めたのに、キャリアを捨てて日本を離れ、遠く離れたエジプトで、日本式にこだわった保育を展開する。その背景には、いったいどんなドラマがあったのでしょう。バイタリティあふれる須藤さんに、これまでの軌跡と今後の展望を語っていただきました。
\お話をうかがった方/
須藤真希さん

曽祖父母の代より東京都内で保育所を営む家庭に生まれる。20歳のとき、タイで経験したスラム街の子どもたちへのボランティアや、日本の精神障害者施設での実習をきっかけに、保育士として生きていくことを決意。卒業後は実家の保育園で経験を積みながら子どもの権利条約について学び、東京都福祉協議会保育士会の事務局長に就任。退任後、都内の保育園で園長などを歴任し、2023年にエジプトのギザへ移住。翌年、保育園「Tsumugi」を開設した。
詰め込み型と放置型の両極端? 知られざるエジプトの保育事情

──須藤さんは、2024年にエジプトのギザに保育園「Tsumugi(ツムギ)」をオープンされました。日本では「エジプトの保育園」と聞いてもイメージがわかない人が多いと思うので、まずはエジプトの保育事情について教えていただけますか?
須藤:エジプトの就学前教育には、0〜4歳を対象とする保育園と、5〜6歳を対象とする幼稚園があります。保育園に「ライセンス」はありますが、ライセンスを取得している保育園は多くなく、私立の保育園とNGOが運営する保育園が多いです。利用者は前者が富裕層や中間層、後者はそれ以外の層といったイメージですね。モスクあるいは教会が運営している保育園もあります。
──そうした施設で行われる保育は、日本とは違うのでしょうか。
須藤:先ほどお話したように、エジプトの保育園を卒園した子どもたちは、幼稚園へと進みます。幼稚園は「KG1」「KG2」と呼ばれており、日本で言う私立小学校や国立小学校の付属幼稚園のような位置づけです。ちなみにKG1は年中、KG2は年長にあたります。
幼稚園への入園は、保護者との面接や、幼児とのゲーム・ディスカッションによる選抜方式で、子どもたちには「字を読めるか」「数字を理解しているか」といったような、一定の学力が求められます。そのため、私立の保育園では、2歳児くらいから国語や外国語、算数などの詰め込み教育が始まるのです。
一方、NGOが運営する保育園は、園での過ごし方が決まっておらず、乳児クラスは子どもを勝手に遊ばせるスタイルが見られます。それなのに、絵本やおもちゃすら置いていない施設もあります。
貧富の差が激しいので、国内の教育格差が大きいのも特徴です。いずれにしても日本ではおなじみの絵本の読み聞かせや、好きな遊びを存分に楽しむような保育が行われることは、中間所得層以下の保育園ではあまり見られない印象です。
──詰め込み教育か、放置かというのは、両極端ですね。エジプトの保育園に保育士さんはいるのでしょうか?
須藤:エジプトには、日本のような保育士資格はありません。私立の保育園ではいろいろなことを教えないといけないので、保育園での働き方は「学校の先生」に近いです。ですから、保育関連の資格を持っている保育者は、私立の園でもNGOが運営する園でも、ごく少数なのではないでしょうか。
──日本とエジプトでは、ずいぶん保育事情が違うように感じます。そもそも、なぜエジプトに移住されたのでしょうか。
須藤:ピラミッドなどの世界遺産や遺跡が子どもの頃から好きで、いつか考古学者になりたいと思っていたんです。でも、実家が昭和12年から都内で保育園を運営していたため、祖母に「保育士資格だけは取得してほしい」と請われました。それで、短大の保育学科に進学したのですが、方針が合わず結局は退学。専門学校に入学し直したんです。
大きな転機は、専門学校に在学中の20歳のときにタイで経験したボランティアでした。タイのスラム街で出会った貧しい子どもたちが、目をキラキラ輝かせながら「いつか日本語を学んで、日本語の先生になりたい」と言っているのを見て、心を動かされたんです。生育環境に恵まれていなくても、夢を持っていきいきと学んで遊んでいる。その姿に触れて、「いつか海外の子どもたちのために仕事をしたい」と思うようになりました。

──専門学校卒業後は、そのまま保育士になられたのですか?
須藤:卒業後しばらくはタイと日本を行ったり来たりして、その後に、実家の保育園で働き始めました。ただ、保育士として経験を積むうちに、園が掲げる保育と、自分が理想とする保育の間にギャップを感じるようになりました。
「子どもの権利条約」に興味を持つようになり、学び始めたのもその頃です。「子どもの権利条約」は1989年に国連総会で採択された国際法で、日本も1994年に批准しています。そして、子どもの権利を学ぶなかで、私は「子どもの自主性を尊重しながらも、対話を通じて子どもが本来持っている力を伸ばせるようサポートするのが、保育士の役割ではないか」と考えるようになりました。
そんな折、ふたたび転機が訪れました。保育園を退職して、保育士会の事務局長に就任することになったのです。保育士会は、国連・子どもの権利委員会に提出する報告書を作るNGOに所属していて、私が学んできたことを生かせる環境だった、というのが就任の理由です。
私は保育士会の代表として報告書の作成に関わることになり、日本の保育や子どもを取り巻く状況を報告書にまとめて国連・子どもの権利委員会に提出しました。
その後、スイスのジュネーブにある国連本部を訪れ、子どもの権利委員会が行った報告書の審査をNGO側のオブザーバーとして傍聴する機会にも恵まれました。
──国連本部での会合は、すばらしい経験になったのではないでしょうか。
須藤:とても良い経験になったのですが、自分自身の課題にも直面しました。実は、私は昔から英語が苦手で、子どもの権利委員の方と話すときも通訳が必須だったんです。自分の考えをうまくアウトプットできないのは、正直悔しかったですね。「日本の子どもの保育環境や課題、問題点を自分の言葉で伝えたかった」。そんな後悔があり、本気で英語を学びたいと思いました。
できることならばすぐにでも英語を勉強したかったのですが、当時は保育士会の激務と子育ての両立でいっぱいいっぱいの毎日。英語の勉強をする時間なんてありません。しかし、そこでも転機がやってきました。忙しい生活を続けていたところ、無理がたたってメンタルを病んでしまい、休息を余儀なくされたんです。
それで、「このピンチをチャンスに変えよう」と思い、休息期間を利用してフルタイムで1年間勉強。さらにニュージーランドに渡航し、英語を学んだり、ハイスクールで日本語の授業のお手伝いをしたりしました。
──すごい行動力ですね。
須藤:行動力だけはあるんです(笑)。当時は合計2年間ほどお休みをいただき、保育士として復帰しました。英語が話せるようになったのと、子育てが一段落したのとで、この頃から仕事の合間を縫っては海外に出かけるようにもなりました。タイ、ミャンマー、ブルネイ、マレーシアなど、アジアを中心にいろいろな国を旅しましたね。
エジプトの保育園を見学したことで、日本式保育のすばらしさを再確認

──各国を旅するなかで、エジプトにも行かれたのですね。
須藤:マレーシアを旅行中、エジプトから来た方と仲良くなって、「一度エジプトに遊びにおいでよ」と誘われたんです。たまたま仕事を辞めた直後だったので、思い切って行ってみると、とてもすばらしい国でした。遺跡は美しいし、人も温かい。東洋人が珍しいのか、私がアラビア語であいさつするとものすごく喜んでくれるんです。それが楽しくて、再びエジプトを訪れ、2カ月間アラビア語の語学学校にも通いました。
そうすると現地でたくさん友だちができて、またエジプトに行きたくなってしまうんですよね(笑)。しばらくは日本で保育士として働き、休みのたびにエジプトに渡航する生活が続きました。その後、新型コロナウイルスのパンデミックが始まってしまったのですが、結果的にはそれが移住の直接のきっかけになっています。
ステイホームの期間中、一般の保育士さんは自宅待機していましたが、私は管理職だったので毎日出勤し、役所に提出する書類の作成に追われていたんです。保育もせずに書類ばかり作っていたら、「自分はいったい何をしているんだろう」と悲しくなってしまって……。コロナの対応をめぐって会社や役所と対立することも多かったので、この機会に、エジプトへ移住して日本の保育を広める活動をしようと決心しました。
──その後、2023年にエジプトへ渡り、2024年には日本式の保育園「Tsumugi」を現地に開設されました。保育園を開設するにあたって、日本式にこだわったのはなぜですか?
須藤:エジプトの保育園を見学して回った際、日本式保育のすばらしさをあらためて実感したからです。たとえば、日本の保育園では子どもの発達に合わせた遊びを用意し、子どもたちは日常の遊びや生活のなかから物事を学んでいきます。でも、エジプトの保育にはそうした発想がありません。
また、四季折々の自然が美しい公園へお出かけしたり、子どもたちの健康に配慮した食育をしたりといった、日本では当たり前のように行われている保育も、実は特別なことなのだと気づきました。
──日々の遊びから学びが生まれるという日本流の考え方が、エジプトでは珍しいものだったのですね。
須藤:そうですね。その点をエジプトの人たちに伝えようとしましたが、言葉で「遊びのなかから学びを得る」「子どもの発達に合わせて遊ぶ」などと説明しても理解してもらえず、「で、何を教えてくれるんですか?」と言われてしまう。そこで、自宅のリビングルームを保育室にして、ワークショップやセッションを始めることにしたんです。
気軽な気持ちで始めたつもりだったのですが、回数を重ねるうちに「もっと長い時間子どもを見てほしい」「保育園を開いてほしい」といった要望をいただくようになり、それに応えるかたちで場所探しをスタート。自宅のすぐ近くにちょうどいい広さのアパートが見つかったので、1階と2階を借りて保育園「Tsumugi」をオープンしました。
子どもたちの笑顔こそが、日々の活動を支える原動力

──須藤さんらしいスピード感のある展開ですね。いまはどのように「Tsumugi」を運営しているのでしょう。
須藤:子どもたちが保護者かバスの送迎で園にやって来たら、まずは朝ごはんを食べて、外遊びをしたり、室内・園庭で遊んだりして過ごします。その後は、昼食があってお昼寝。やっていることは、日本の保育園とあまり変わらないです。
子どもの数は月によって変動しますが、いまのところ平均して10人前後ですね。保育者は私と現地で採用した先生が3名、キッチンスタッフ1名。それに数名の日本人とエジプト人のボランティアさんが定期的に来てくれます。
当初はエジプト人の先生に日本式の保育を理解してもらえず、紆余曲折がありました。エジプトは階級社会なので、日本の保育士のように、掃除もおむつ替えもすべて行うという感覚はありません。それを理由に先生が全員辞めたこともあります。それに、先生たちに「子どもが自ら選択することが必要」「保育者の言葉かけが子どもの成長発達を促す」と伝えてもなかなか理解してもらえないんです。
しかも、エジプト人は意外にも日本人以上に指示待ち。「ちゃんと指示してほしい」と言われることもしょっちゅうでした。現在もまだ試行錯誤をしているところですが、それでも少しずつ自分たちで考え、工夫して動けるようになってきていると感じています。みんなで話し合って物事を決めていく職場環境に身を置いているうちに、自分たちが尊重されていると感じてくれるようになったのだと思います。
つい先日も、私がスペインで買ってきた木製のおもちゃを見て、先生たちが子どもたちと一緒になって大喜びしてくれたんです。そんな光景が見られるなんて、保育園をオープンした当初は想像もできなかった。あまりにも感動して、先生たちのグループチャットに感謝のメッセージを送りました。

──異国の地で保育園の開設にこぎつけ、いまも悪戦苦闘をしながら続けていらっしゃる。その原動力は何なのでしょうか?
須藤:それはもう子どもたちの笑顔に尽きます。正直に言うと、いろいろなことがうまくいかずに、すべて投げ出したいと思ったこともありました。けれど、保育園に行くと、子どもたちが「マキ」と言って駆け寄ってきてくれる。日々少しずつ、確実に成長・発達している。そんな子どもたちと一緒にいると、子どもたちが天使に見えます。この天使たちに私は生かされている。いまもそう感じながら、保育を行っています。
──素敵なお話をありがとうございました。最後に、今後の展望と読者へのメッセージをお聞かせください。
須藤:「Tsumugi」の運営が軌道に乗ったら、小さなバンを買い、そこに絵本やおもちゃを積んで、週末にエジプトのいろんな土地を巡回したい。各地でワークショップや人形劇を開いて、子どもたちを楽しませてあげたい。そんなことを夢想しています。
いま日本で保育士をしているみなさんも、仕事を頑張る根底には「子どもの可能性を最大限に引き出したい」「未来に生きる子どものいまを大切にしたい」という気持ちがあるのではないでしょうか。なかには、保育園の人間関係や、保育業界の理不尽なシステムに疲弊している方もいるかもしれませんが、みなさんが日々実践している日本の保育は、世界に誇れるすばらしいもの。私たちのがんばりが日本だけでなく、世界の未来を作っていくはずです。
もし本当に疲れてしまったら、ぜひエジプトへボランティアに来てください。面倒なしがらみやルールのない環境で、純粋に子どもたちと一緒に遊べば、心も体もリフレッシュできるはずです。数日でも数週間でも歓迎なので、お待ちしています!
取材・文/岸良ゆか


