第78回
集大成ー仲間と共に育ち合う
井上 さく子
どちらの保育園にお邪魔しても、全てのクラスの子どもたちの著しい育ちに、目を見張る思いを抱いています。
特に長年研修で関わらせていただき、0歳児時代から成長記録を綴ってくると、面影を残しつつ、乳児顔から幼児顔に変化しているあの子もこの子も...。もちろん、見た目だけではありません。
友だち同士の会話のやり取りや、身体の動きの丸ごとを見ようとすると、この一年でひと回りも2回りも大きくなった感がします。
毎日の暮らしを共に過ごしていると、それが当たり前の風景かも知れませんが、何をもって成長を遂げていると言えるのでしょうか?
集大成を迎えるこの時期にこそ、立ち止まり、振り返りながら、子どもたち一人ひとりの育ちを確かなものにしていきませんか?
ここで、表現遊びのエピソードに触れていきましょう!
ある保育園で発表会を前にして、年中クラスの様子を観察させていただきました。
子どもたちが好きな絵本の中から、テーマやそれぞれの役割を決めていました。
その日は、2回目の取り組みです。
椅子に座っているところから、
・前に出てきて大人といっしょにセリフを言う子ども
・大人に教えてもらってもなかなかセリフを言えない子ども
・自分で台本を読んでスラスラ言える子ども
・全くその活動に関わらずに、机上で粘土遊びをする子ども
・自分の出番が終わると隣りの友だちとおしゃべりをする子ども
大人はその様子をあまり気にせずに、劇遊びを進めていきます。もうひとりの大人は周りの子どもたちをサブ的に支えていました。
自分の出番が終わったら、自由時間?
集大成を目の前にして、仲間意識はどこに?
やりたい子どもだけがやればいい?
心持ちが曇り始めましたが、ありのままを観ていくことにしました。
この時点で、みなさんはどのような心持ちを抱くのでしょうか?
子どもたちにとっては、遊びの一環なので自由な出入りは大いに結構だと思いますが、一人ひとりの力が一つの劇遊びを創っていくと言うことを、大人も子どもたちもどのようなふうに受け止めているのでしょう?
数日後には、保護者の皆さまに観てもらう行事として据えているとのことでした。もちろん、行事のための保育ではないと言うことを踏まえての取り組みではありますが、「当日に向けてこれでいいのかしら?」と思わずにはいられませんでした。
練習が終わった後は、直ぐに食事の時間になってしまい「園庭で遊びたかったあ〜!」と残念がる子どももいました。
子どもはもちろんのこと、大人も少々困惑気味でした。
「大人の願いと子どもの願いが刷り合わさった取り組みだったのでしょうか?」と、第三者的な立ち位置から振り返っていました。
もちろん、その様子は動画で記録しましたので、全体の職員研修で振り返っていく内容でもありました。
担任は子どもたちと真剣に向き合っていますが、そうは言っても課題は浮き彫りにされています。それを他クラスの大人たちが、率直に気づきを提案してくれるのです。そのおかげで、担任には気づかない視点を言葉化してもらうことで前向きに受け止めて、次に向けて改善しようとする機会にもなっていきました。
印象的だったことは、担任任せにしないで、以前に担任として関わったことのある職員から肯定的な意見が添えられたことです。
一人ひとりの育ちを共有したり、気づけたりすること、そのことに意味があると思いませんか?
園全体で観ていく保育と言うのは簡単ですが、例えば、このようにみんなで動画を共有することで、ありのままの育ちに向き合える学びの場になっていくのです。
課題は無いよりあった方がいいですが、その課題の一つひとつを洗い出していった先に、今必要とされていることが浮き彫りにされてくると思っています。
そこから見えてきたことを子どもたちと一緒に相談しながら、方向性を打ち出していけるといいですね。
何よりも結果を求めるのではなく、取り組みのプロセスにこそ真の学び、意味があると思いませんか?
やらされて楽しむことができますか?
練習の連続で楽しむことはできますか?
子どもの心持ちに自分の身を置いて見たら、答えはたった一つ。
毎日楽しい!と思える暮らしの保証を!と願わずにはいられません。
そのためには、大人が子どもたちと楽しいとかおもしろいと思える暮らしを醸し出していくことが大切だと思っています。
どのクラスの子どもたちにも体験の忘れ物をさせていませんか?
コメント(8)
自分の現役の時はどうだったかな、と振り返りました。
発表会は、毎年のことなのでこどもたちは先輩の姿を覚えています。
去年は、○○だったから、今年は何がいいと思う?とかこどもたちと相談したり、意見を聞いたりして進めていました。
やりたい役、言いたいセリフ、どう動くかも効果音も、話し合ったな。懐かしいです。
あの子達はどんな大人になっていったでしょうか。
毎日楽しく過ごしていることを願います。
自分の保育に自信を持つのも大事ですが、時々これでいいのかな?と振り返ったり周りの客観的な意見や感想にも真摯に向き合うことも大切ですね。
大人もこどもも主体的に行動しないと、理想的な生活は手に入らないと思います。
行事は、子ども達が楽しみながら創り上げて行くことを大切に取り組んでいます。ややもすると、やっつけ行事?になりがちの頃は、とりあえず3歳以上集合して、保育者が話をしたり何かを演じて終わり。楽しくない内容だと集中できない子どもも。「静かにお話聞こう!」と叱られる子も出てきます。静かに出来ない子どもが悪いのか…昨年から、誰のための何のための行事なのか?その行事を通して何を育てたいのかに向き合うようになりました。特に、公開行事の時に一番気にかけていることは、一人ひとりが楽しんで参加しているかどうかです。今回のコラムを読み、表現遊びの大切さを新たにしました。見ようとすれば見えてくる子ども達の日々の成長。昨日は出来なかったこともやってみたらできた!嬉しい!もっとやりたい!を共に喜び、自信に繋げて行きたいと思いました。
「何をもって成長を遂げていると言えるのでしょうか?」というさく子先生の問いが、私の心に刺さりました。
5.6年前に、年中児が、自分たちの遊びや経験を劇にして遊んでいました。「ママやパパに見せたい」とほぼ全員で役割を決めて遊び始めたので、担任と子ども達は、参加会で見てもらおうと決めていました。
その中に見てはいるけれど参加しない男児Aがいて、担任もママも「また、うちの子だけ」と心配していました。ママと話をしながら、「A君は逆上がりの連続周りを見せてくれたよ。すごいね。参加会の戸外遊びでは逆上がりを見てあげて」と伝えました。当日、大好きなママと大好きな鉄棒で遊んだAは、友達が演じる劇の途中に、自分から参加して、自分で考えたセリフを言い、Aが秘めていた力を感じられる時でした。また、突然の参加を受け入れてくれた、クラスの子ども達の成長も見られました。一人一人とクラス集団、大人の思い、全てが回って、子どもの成長が見られるのかもしれないなぁと感じました。
毎日楽しいと思える暮らしを保証していくこと、大人が子どもたちと楽しいとかおもしろいと思える暮らしを醸し出していくことが大切ということ、、
年長クラスの娘のクラスでは担任の先生も参加する、経験体験したことストーリーにしたセリフのない劇でした。担任が先頭となり発した言葉にそれぞれ応えるというもの。小学生になったら覚えることも沢山ある今は主体的な保育としてこういった形の劇になったと説明がありました。毎日楽しく劇の練習に取り組んでいたことや子どもたちが考えた衣装やストーリーは連絡ノートからもわかりました。
"子どもたちと一緒に相談しながら、方向性を打ち出していく"という点では良い劇なのかと思いつつ、これまでにない劇に今もまだ府に落ちていないでいます。
表現あそびのエピソードより、、
園内の風通しの良い人間関係である様子が伝わってきます。本番近くなり、園全体で焦りもあったはずでしょうが、担任任せにしない保育園素敵だなぁと思いました。きっと大人も子どもも楽しい表現あそびができたことでしょう。
日々保育の中で、「これって誰の為?」という言葉を心の中で繰り返しといながら保育している自分がいて、
自分でカウセリングのような事している(笑〕と思いながらマインドコントロールしています。
コラムの中で出てきた園のように、みんなで語り合う、学ぼうとしている姿勢(子どもを真ん中にして〕
が大事であり、子どもの中でも安心した人との関わり、環境が心の成長に繋がるように、保育者も人間関係と環境が大事であり、私達の言動により連鎖しているかのようにまた子どもの成長に関わってくるのでしょうね。
春に目が出てくる草花のように自分に今できる事、
小さな事でもいいので探してみようと思います。
成長に
さく子先生のコラムを拝見して、うんうんと頷いた方々は多かったのではないでしょうか。こどもたちを中心とした保育を目指してこどもたちの思いや考えを引き出しながら遊びを展開したつもりが、『コレが終わったら、遊んでいい?』とか『もっと遊びたい…』など、えっ?今、楽しく遊んでいたんじゃないの?と耳を疑うようなこどものつぶやきが聞かれた時、いかに自分が独りよがりだったか思い知らされた経験があると思います。かくいう私もその1人です。発表会や行事でも同じ経験をしました。その事に気づいて、保育の見直しができたら、まだ救われますが、結局こどもたちを振り回して、いったい誰のための遊びですか?誰のための行事、発表会ですか?こどもたちが苦しいだけでなく保育士自身も心が潰れそうになります。
こどもたちが生き生きと生きる姿を応援できると保育士も生き生きと生きがいのある仕事だと思うのです。これを個人でするというのはかなりの困難ですから、チームで協力が不可欠です。では、チームの協力で何が大事かというとこどもにも一人ひとり個性があるように、保育士にも一人ひとり個性があると思うのです。その個性を大切にするためには、仕事以外の個人の時間の充実が大切だと思うのです。私は、自然の植物に興味があり、その情報をこどもにも保育士たちに伝える事で保育にかなり良い影響を与える結果になり、嬉しかった経験があります。つまり、保育士の数だけ遊びのヒントをこどもたちと考えるアイテム、アイデアを持っているということです。このことをお互いに認め合うことで、素敵なチームを作れるのではないかと思っています。まだまだ過程ではありますが、人を認めるということを大事にして保育に参加していきたいと思います。
さく子先生のコラムはいつも私たちを立ち止まらせ、それは一体誰のためですか?と足元を見直すように考えさせてもらっています。
さく子先生のコラムを拝見して、うんうんと頷いた方々は多かったのではないでしょうか。こどもたちを中心とした保育を目指してこどもたちの思いや考えを引き出しながら遊びを展開したつもりが、『コレが終わったら、遊んでいい?』とか『もっと遊びたい…』など、えっ?今、楽しく遊んでいたんじゃないの?と耳を疑うようなこどものつぶやきが聞かれた時、いかに自分が独りよがりだったか思い知らされた経験があると思います。かくいう私もその1人です。発表会や行事でも同じ経験をしました。その事に気づいて、保育の見直しができたら、まだ救われますが、結局こどもたちを振り回して、いったい誰のための遊びですか?誰のための行事、発表会ですか?こどもたちが苦しいだけでなく保育士自身も心が潰れそうになります。
こどもたちが生き生きと生きる姿を応援できると保育士も生き生きと生きがいのある仕事だと思うのです。これを個人でするというのはかなりの困難ですから、チームで協力が不可欠です。では、チームの協力で何が大事かというとこどもにも一人ひとり個性があるように、保育士にも一人ひとり個性があると思うのです。その個性を大切にするためには、仕事以外の個人の時間の充実が大切だと思うのです。私は、自然の植物に興味があり、その情報をこどもにも保育士たちに伝える事で保育にかなり良い影響を与える結果になり、嬉しかった経験があります。つまり、保育士の数だけ遊びのヒントをこどもたちと考えるアイテム、アイデアを持っているということです。このことをお互いに認め合うことで、素敵なチームを作れるのではないかと思っています。まだまだ過程ではありますが、人を認めるということを大事にして保育に参加していきたいと思います。
さく子先生のコラムはいつも私たちを立ち止まらせ、それは一体誰のためですか?と足元を見直すように考えさせてもらっています。
確かに、これは自分の仕事にも通じるのですが、モノを作る時にチームで情報共有できているか、作る側だけでなく使う側の目線に立っているか。
人材育成でもやって欲しいことと、やりたいことが一致するかなど、社会の中で一人一人の意見の集約、双方向のやり取りって本当に大事だと思います。
小さいことでも一つ一つの積み重ねや気づきが、豊かな経験となって未来に繋がると感じます。