第51回
雪
井上 さく子
自分の足で歩く
長靴をはいて歩く
お出かけしたその地方で、天使の羽の如く、ふわふわと舞い降りる雪を観てはしゃぐ。
雪よりも溶けて水たまりになったその場所を見つけては、パシャパシャ! パシャパシャ!とその音と感触に慕って楽しむ一歳の孫。
ふわふわしたものが見えたのに、
どうして消えてしまうの?
ふわふわしたものは、
どこにいっちゃったの?
不思議な心持ちを抱きながら
無我夢中のぼく。
長靴と手袋を身につけるだけでも嬉しくて、
しゃがんでは長靴を触り、
しゃがんでは水溜りを目指して
歩き触ろうとして、触れた!
手袋が濡れると不思議そうに眺めては、何回も繰り返して水溜りで試す。
傍に3つ違いのいとこが、もう一人5つ違いのいとこのお姉さんが、孫と一緒になって雪を取り込んでははしゃいでいます。
1歳の孫は止められなかったら、立ち止まっては確かめ、確かめては歩き始めながら
どこまでも歩き続けていました。
気の向くまま、思いのままに限りなく行けたら
どこまで、
どれだけ探索するのだろう?
歩くのだろう?
歩けるのだろう?
ふと、思い込んでいました。
目線を変えてみましょう!
保育園や幼稚園、子ども園では、例えば
孫の風景のように、どれだけ子どもたちの願いを読み取り、受け止めているのでしょう?
又は受け止めようとしているのでしょう?
大半の保育現場では、雨の日や雪の日の外遊びは、中止にしがちです。
それが当たり前になっていないと信じています。
なぜでしょう?
大人が懸念しがちな空模様だったり、天気予報で「これから雨が降りますよ!」的な予報をキャッチすると、その時点で外遊びは中止になり、どの年齢の子どもたちも室内遊びへ。
大人の都合で活動を変更してしまう傾向にあります。
子どもたちは、
室内でふんわり柔らかな初雪を発見する
「みてみて!ほら?!」
「ゆきだよ!」
「ゆきがふってきたよ!」
ガラス越しに
一斉に駆けていって
外の景色をながめる。
「外に出たい!」
「外に出ていい?」
と歓声をあげながら、
大人たちに聞いてきます。
皆さんでしたら、どんなふうに受け止めて
答えるのでしょうか?
「一緒に、外に出てみようか?」と
言う大人はそう多くないように感じているのは、私だけでしょうか?
私は現役時代から今日まで、子どもたちのキラキラした目の輝きだけではなく、ワクワクする素敵な心持ちまでも、丸ごと受け止めてきました。ですから、今でもすべての子どもたちの願いを叶えてほしいと心から願わずには、いられません。
外に出て
「雪をつかんでみたい!」
「ゆきにさわってみたい!」
「雪に戯れたい!」
「ゆきで遊びたい!」
こんなに純粋で
分かりやすい
シンプルな願いを
どうして受け止められないのでしょう?
みなさんは
どんなふうに受け止めているのでしょう?
または
どんなふうに、止めているのでしょう?
都内の某子ども園に研修でお邪魔していたときのことです。
雨の日でも
雪の日でも
子どもたちが、ひとりでも「外に出たい!」と言う言葉を耳にするたびに叶えてくれる風景に遭遇しました。
子どもたちは、大人に言われなくても寒くない服装で外に向かって駆けていきました。
こんなふうに、子どもたちの願いを受け止めてくれている風景を目の当たりにして、自分の心持ちを受け止めてもらえてる感を抱き、嬉しくなったことを思い出しています。
目の前に、山や川や原っぱや海こそない都会の暮らしでも自然事象に触れて遊ぶ環境が、四季折々にあるはずなのに、大人の都合で子どもたちの願いを牛耳っていませんか?
冬の遊びのみならず、子どもたちが願うことは実にシンプルなこと。
そのシンプルさと天使の羽のような真っ白に舞い降りてくる雪が心の中で重なって、映りませんか?
だとしたら、子どもたちのひとつひとつの願いに耳を傾けて、温かなまなざしで受け止めてほしいと願います。
冬は寒さとの格闘だったり、風邪が蔓延して健康面に気をつけなくてはいけない季節でもありますが、それで心持ちまで冷たくならないように!
子どもたちをとりまくすべての大人たちが
寒い季節だからこそ、温かいなまなざしで包み込む感性を研ぎ澄ましていきませんか?
降り積もる雪の結晶や固まりを手にする子どもたちの夢や希望を叶える大人でありたいと願わずにはいられません。
どんな「冬の物語」のページになるのかしら?
コメント(6)
さく子先生にご指導いただく前は、
雨の日や雪の日の外遊びは中止
大人の都合で活動を変更してしまう傾向がありました。
ところがご指導後の今は、
「今日は雨です。どこで遊びますか?」
と問いかけると
「雨合羽を着て、園庭で遊びます!」
「お部屋で折り紙します」
などなど、子ども達が自分の遊びたい場所を選んで自由に遊んでいます。
今年の11月は、北陸とは思えないくらい好天が続きました。園庭では0歳児から5歳児までのお子様たちが思い思いに遊びほうけています。
コロナ禍の夏の忘れ物なのか、まだ水遊びに夢中で、
寒さもへっちゃらです。先生方は、水遊び以外の楽しい遊びを仕掛けなければいけないと頭を悩ませています。
「寒い季節だからこそ、温かいなまなざしで包み込む感性を研ぎ澄まして!降り積もる雪の結晶や固まりを手にする子どもたちの夢や希望を叶える」というさく子先生のお言葉を園全体で実現していけたらいいなあと願っています。
四季の風景を体で感じることはとても大切なことだと思います。でも、雨だねぇ、寒いねぇと大人の思いを先に伝えていました。
先日、冷たい風が吹くと手をひらひらさせて喜ぶ一歳になったばかりの孫の姿を思い出しました。
子どもが自分で決めること、豊かに経験することが大事ですね。
今回も挿絵の美しさにまず感動です。自由に楽しく遊ぶ子どもたちが、次々飛び出してきそうです。私には可愛い笑い声まで聞こえてきます。この挿絵のような園生活をおくれたら幸せですね。散歩は子どもが決めるのではなく保育者が決め、皆が列を作って出かけていきます。管理された散歩なので、半数が疲れ切って帰ってきます。微熱のある子は、お荷物的扱いで園長に預けて出かけようとします。先生が偉い保育をしている限り温かいまなざしは持てないですね。子どもの思いに寄り添う保育をすることの大切さ、どうしたらよいのか投げかけ皆で考えていきたいと思います。
保育現場の風景か手に取るように伝わってきます。
冬だから、水遊びはおしまい!とか寒いから今日はお外は出ない!
それは誰が決めることかしら?といつもいつのときも思ってしまいます。痛感しています。
子どもたちにとっては、毎日が初めての体験の中に身を置き、自分で体験できるからこそ、感じる心持ち、五感を研ぎ澄ますことかできるんですよね。
そのチャンスを私も含めて、大人たちはどう受け止めますか?
特に、プロフェッショナルのプライドがあるとしたら、一人ひとりの育ち、発達の違いを学んで寄り添ってほしいと心から願います。
全ての子どもたちの暮らしが自己選択、自己決定できる
環境であってほしいですね!
遠野 あとむ
一歳のお孫さんへの眼差しが素敵ですね❣️
温かい眼差しが伝わってきます
シャインマスカットさん
さく子の落書きに多大なメッセージをありがとうございます