第61回
子どもの願いを受け止めるとは?
井上 さく子
園庭の砂場の上に
キーウィの木の棚があります。
その木はサルスベリの木のようにツルツルしていますが、2歳児の子どもたちでも自力で登れる高さです。
誰かしら登っていることが多く、ときには並んでその順番を待つことも。
誰が教えた訳でもなく、並んでいたら自分の番がまわってくることを学ぶ子どもたちです。
ある日のこと
ずっと並び続けてやっとそのときがきた2歳児のSさんが、自力で登りその木に両手で巻き込むように抱きついて離れませんでした。
このチャンスを自分のものにしたら、誰になんと言われようとずっとここから離れない!と。
全身にその心持ちが映っていました。
誰も
早く降りて!とも
順番でしょう!とも
代わって!とも
ずるい!とも
言いませんでした。
大人だったら、
約束だよね!
順番だよね!
お友だちが待ってるよ!
10数えたら交代しよう!とたたみ込みがちです。
でも、
そのときばかりは
周りの友だちにSさんの心持ちが届いているかのような不思議な空気が流れていました。
並んでいた子どもたちは、一人ふたりとその場を離れて他の遊びに移っていきました。
するとどうでしょう?
Sさんは抱きついていた両手の力をほぐして、高いところから園庭に遊ぶ風景を見渡していたのです。
Sさんにとっては、最高の条件が整った瞬間でした。
心持ちも身体もほぐれていくとは?
このSさんを語らずして他にあるでしょうか?
偉いなあ!と思えたのは
周りの子どもたちだけではありません。
遠くに近くにSさんの様子を想定内にしながら、ことばを添えずに見守っている大人たちです。
ただ、見守るだけではなく子どもが満足したら自分から降りてくることを信じて待ち続けていたことです。
見守るとは?
観察力を研ぎ澄ましながら、心持ちも身体も丸ごと透しで見抜きながら、Sさんの育ちを支えていくことだと思いませんか?
実はSさんを見守っていた大人は、その子自身の育ちをしっかりと把握していました。
まさしく個の育ちの違いを想定内にしていればこその観察力です。
みなさんは、
どんなふうに意識化を図りながら関係性をつくっているのでしょうか?
人によっては、
いつまでここにいるの?
あっちでおもしろいことやってるよ!
そろそろ、降りてきて!
もう、お部屋に戻るよ!
など、ことばのシャワーを浴びせていることはありませんか?
それは大人の都合でしょう?!と子どもたちが言えたら幸せです。他の場面でも同じようなことがありませんか?
大切なこと
大事なこと
それは言うまでもなく、大人が決めるのではなくその子自身が自分で決めて切り替えること
この瞬間に心持ちも身体もすくっと育まれていくのです。
いかがでしょう?
ところでSさんは、その後どうしたのかしら?と
気になりませんか?
なんと食事に向かうまで、この手を離せずにいました。満足すると自分から降りて、周りの空気を吸って感じたときに、幸せな心持ちを抱きながらお部屋に戻って行けたのです。
大人たちは
この子って遊べてないよね!
いつも同じ場所にいるよね!
違う遊びに誘ってあげないと、遊びの世界が広がらないよね!
どうやって誘おうか?
誘ってあげたらいいんでしょう?
など、たくさんの呟きを耳にしたり、相談を受けることがあります。
皆さんでしたら、この一つひとつのつぶやきをどんなふうに受け止めるのでしょうか?
大人の価値観で、子どもたちの育ちを決めていないことを願います。
何をもって遊べてないとか遊べているとか言うのかしら?
子どもたちは、いつでもどこでも大人たちの守備範囲に収められることを嫌がっていること、願ってないことにそろそろ気づいてほしい!と。
声なき声が届いていませんか?
子どもたちの願いは、実にシンプルです。
一人ひとりの願いを
丁寧に受け止めていくこと
丁寧に支えていくこと
このプロセスに、大きな意味と力がひそんでいることを目の前の子どもたちが教えてくれています。
子どもから学ぶ視点をブレずに据えていきませんか?
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コメント(4)
子どもの願いはシンプル。
やりたい事を今叶えたい、自分の力を試したい。
3歳の孫も毎日そんな風に生きているんだなと思えました。
孫が考える暇がないほど言葉をかけ、子どもが混乱している姿もあります。子どもの力を信じて見守っていきたいです。
ノーベル物理学賞に選ばれた真鍋さんが、なぜ日本に住まないか?を問われたとき、「周囲に同調して生きる能力が無いから。」と仰ったそうです。
同じことをしていたら安心な国ですが、そうではないことも私たちは少しづつですが感じてきたのではないかと思います。
何でもやりたい事をさせればいいと言うことではなく、Sさんの周りの人たちのように、今この子にとって大切なことは何だろう、と瞬間的に感じて対応することって、凄くいいな、と思います。
空を見て、木の感触をたっぷり感じて風を感じて。この子は心豊かに育っていくのだろうな。と思いました。
きっと他人への心配りもちゃんと自然にできる優しい子に育つと思います。
読みながら胸が熱くなりました。なんて素敵な保育園なのか。子どもは泣くのも大切な育ちですが、保育者の価値観を押し付け、保育者が気が済むまで絶対に許さない、泣かせ続ける泣きはもはや虐待の範囲になっていることがあります。止めても研修を受けさせても「きれいごとは出来ない」と言う姿に愕然とします。それでも自分の思いをありったけ主張し、暴君の保育者と戦う子どもたちの素直な力に逆に感動させられます。見守るゆとり、懐の広さが一人一人の育つ力を大きくも小さくもすることを改めて痛感させられました。今回もこの事例を皆で読み、真に育つということとは?保育者の役割とは?を学び合いたいと思います。
安全とか順番とかそういった大義名分を掲げ、気持ちをたたみ込んでしまうこと、あるなぁと思います。
Sさんの感じた幸せを、目の前の子どもたちにも感じてもらうことができるように、大人たちが学んでいけばいいだけですね。Sさんの園は、側にいた保育士だけでなく、園全体で価値観を共有して手繋ぎされているのだろうなと思いました。「子どもの気持ちはいかに?」ブレずに対話をしていこうと考えました。
素敵なエピソードありがとうございました。