第77回
双子の姉妹のシグナル
一人の人間として見て!
井上 さく子

年長児の双子のつぶやき
「どっちがお姉さん?」
「どっちとか決まっていないよ。ときどき変わるの」
「それで、今は私がお姉さんかな? 昔は私が妹だったけど」
(むかし???!)
「そうなんですね。ときどき変われるって素敵ですね!」
「そうなの。どきどき、お姉さんになったり、妹になったりするの」
と、笑顔で答えてくれました。
とても新鮮で頼もしい対話のやり取りに、双子の世界を自由に楽しんでいる感が伝わってきました。
想定外の嬉しいことばに、新鮮な心持ちを抱きました。
周りの大人たちはどうでしょう?
私も含めて、世の大人たちは最初に産まれてきた子どもがお兄さんか、お姉さんと受け止めて、出生届けでもそのように手続きをすることがあたりまえになっています。
双子のまなざしには、必ずしもそのとおりにならないことを教えてくれたエピソードでした。
みなさんには、このエピソードがどんなふうに映ったのしょう?
ここ数年間で、どこの保育現場でも多胎児が増えています。
地域や街を歩いていても目にすることが多くなってきていることを実感しています。
0歳から年長児クラスまで、全てのクラスに双子が在籍している園もあったりします。大人たちが、顔と名前を覚えるのが大変と困りごとを訴えてくることもあります。
子どもたちはどうでしょう?
大人よりも観察力が優れていて、ちゃんと違いを見極めてそんな大人たちを助けてくれることもあります。
何がどう違うのでしょう?
私たち以上に、子どもたちは双子と捉えることなくみんな名前が違うように、1人ひとりが違う友だちや仲間であることを誰よりも知っていると思っています。もちろん、たまには名前を間違えて呼ぶこともあります。間違えられた友だちは、
「それってわたし? わたしは〇〇です。」と、訂正してくれます。
はにかみながら、
「ごめんごめん!」と、謝っている光景さえも頼もしく映ります。
子どもたちは、日々の暮らしの中で双子として見ていないこと。
顔や服装が似ていても大人のように、見ていないこと。
2人はいっしょ! と、見ていないこと。
双子だけど違うこと。
改めて、子どもたちが教えてくれていることに気づかされています。
いかがでしょう?
毎月、研修で通い続けている某子ども園でも、0歳児クラスのときから一卵性の双子のお嬢さまたちとあわせてもらっています。
その2人に顔を覚えてもらえるようになりました。
2歳児クラスに進級してから、朝一番にこんな質問をしてきます。
「お名前は?」
「魔女です!」と、低音で答えると「キャーッ!」と逃げていきます。
1人が逃げていくと追いかけるように、もう1人も走っていき、
「怖いこわい」と2人で抱き合っています。
こうしてはしゃいだ後は、魔女から離れて遊び始めます。
何回か足を運ぶようになってから、
「魔女さんおはよう!」
「魔女さんまたね!」
「魔女さんさようなら! 今度はいつきてくれるの?」
(2人には魔女がどんなふうに映っているのでしょう?)
こんなふうに触れ合うと、もしかして遊ばれているのは大人かも知れないと思うこともありますが、こんな時代だからこそ、まずは大人がおもしろいとか楽しいと思える仕掛けをしてほしいと心から願います。
双子の様子を目にした担任が語ってくれました、
「人懐こくて外部の大人を見るといつもこうなんですよ」と。
どう受け止めたらいいのでしょう?
双子と言うだけで、「2人はいつもこうなんです」と、簡単に決めつけて見ていませんか? と、思ってしまうのは私だけでしょうか?
それは、他の保育現場でも痛感している心持ちです。
双子の違いを見極めて、受け止めているのでしょうか?
助けているのでしょうか? と、思ってしまいます。
それどころか「双子って、いつもこうだよね!」と、まとめて見てしまう視点を持ち合わせていませんか?
先程の子ども園の2人は、0歳、1歳児クラスの時代は、いつもそばにいることが多かったように思います。何をする訳でもなく、ただ側に居るだけで安心。お互いに心のよりどころを求めながら、環境に慣れるまで不安な心持ちを支え合っていました。
2歳児クラスになると姉妹よりも友だちと関わるようになり、離れて遊べるようになっていきました。1人が部屋で遊んでいると、もう1人は園庭に出て遊べるようになってきたのです。
2人とも園庭で遊んでいたときの物語です。
1人は遠く離れた築山で遊んでいました。もう1人が保育室に近い場所で遊んでいたときに、友だちとケンカをして大泣きしてしまったのです。
遠くでその泣き声を耳にしたもう1人が駆け足で飛んできて、
「どうしたの!?」と、抱きしめていました。
しばらく、その状態でいましたがやっと泣き終えた様子を見て、何も言わずに築山の方に戻っていきました。その後、お互いにさっきの遊びに戻っていったのです。
泣き声はもちろんのこと、目に見えない糸で繋がっているかのように、遠くに居ながらにして何かを察して助けたり、助け合ったりできる世界。
大人であっても十分に理解できていると言い切れないこと、双子にしか分からない心持ちのつながり――。
そこには、ことばはいらないこと。
物語に触れれば触れるほど、1人ひとりの違いを知って感じることができました。
確かに、双子の育ちのプロセスで、
"一人っ子育ち"と、
"兄弟姉妹がいる育ち"とは、違う世界があると思っています。
例えば、こんなふうにライバル意識。
1人が褒められると「私は? 僕は?」と、同等に評価してほしい願い。
お互いがモデル。
喜怒哀楽の表現でいつも刺激をもらい合う。
豊かな心持ちを育む。その逆もある。
刺激されながら、個性が芽生えてくる。
違いをはっきりと打ち出せる。
対応によっては、1人の力より2人の力の強さを知っている。
1人ではできないけど2人だからこそ、できることもたくさん体験して学べる。
弾けることや、ふざけることも2倍の楽しみに、その逆もある。
生活習慣の自立に向けて、モデルになり合える。
――振り返るとまだまだ、たくさんあげられるような気がします。
双子の育ちに着目してくると、最初の方で思いや願いをあげてますように、1人ひとりの個性豊かな育みは「1人の人間として見ることから、全てが始まっていること」に気づかされませんか?どんな心持ちを抱いて登園してくるのでしょうか?






コメント(4)
さく子先生のエピソードを読んで、異動した園にいた一卵性の双子の男の子の事を思い出しました。
A太郎君とB太郎君。いつも2人で遊んでいました。ママも関わる職員も「A.B」といつも2人一緒に声をかけるのです。折り紙や縄跳びが得意なA太郎君、空き箱制作や鉄棒大好きなB太郎君。「ふたりまとめて呼ばずに、きちんとA太郎君、B太郎君と呼びませんか?」と職員に投げかけたことがありました。
一人一人に声をかけると名前を間違ってしまうこともあり「残念でした」「修行が足りないよ」と言われ、「一本取られた〜」と反省することもしばしばでした。
A太郎君、B太郎君の呼び方から、職員も「皆さん」と、子ども達をまとめて見るのではなく、1人1人を見つめていこう、大事にしていこうという事を学び、子ども達への声かけが丁寧になっていきました。
我が園の0歳クラスにも男の子の双子ちゃんがいます。ようやくチョコチョコ立って探索を楽しむようになりました。玄関で出会う保護者や子どもたちの人気だけでなく、園見学に来る皆さん「双子ですか?」と聞かれることは毎回です。昨日も、就職活動で園見学に来た学生に言われて
あっ!そうなんですよ!と答えましたが、私は双子というよりA君B君と個々で見ているので逆に新鮮な響きを感じたばかりでした。双子で大抵一緒にいますが性格は異なります。先生のコラムで改めて一人ひとりを大切にみていきたいと思いました。
私も双子のお子さんを「2人ともかわいいですね」と一緒に見ていましたが、身近で接する機会があり、これぞれ異なった性格であること、時にはライバルでもあり、心が通じ合っていること、色々な気づきを得ました。
そして今回の内容で改めて個々の大事さを痛感しました。ありがとうございます。
本人たちからすれば、また同じこと言ってるね、自分は自分なんだけどな、、、な気持ちかもしれませんし、2人にしか分からない世界もある。
そして1人も2人も関係ない、それぞれが伸び伸びと成長を促せられる環境が大事と改めて考えさせられました。
同じ日に生まれて、同じような顔をしていても、当たり前ですが、同じではない。ひとり一人違うんですよね。私の今の園でも双子の2歳児さんがいます。つい、名前を並べて呼んでしまったり…
気を付けていかなくてはいけないところですね。
みんな大事な"あなただけ"…子ども達にしっかり発信できる保育者でありたいと思います。