保育士を基準の2倍配置する——。その運営方針がもたらした「改善」とは?|社会福祉法人 風の森

保育士を基準の2倍配置する——。その運営方針がもたらした「改善」とは?|社会福祉法人 風の森

国の基準にとらわれず、独自に保育士の数を増やすことで現場の「余裕」を実現した、東京・杉並区の「社会福祉法人 風の森」。第1号として立ち上げた「Picoナーサリ久我山」は、開園2年目から国が定める基準の1.5倍にあたる保育士を配置し、現在は運営する6園全園で基準の2倍以上の人数を配置しています。では、同法人は何が理由で増員を決断したのでしょう。また、増員によってどのような課題が改善されたのでしょうか。統括の野上美希さんと事務長の野上巌さんに、増員の意義やメリットについてうかがいました。

\お話を伺った方/
野上美希さん 社会福祉法人 風の森 統括
野上巌さん 社会福祉法人 風の森 事務長

「社会福祉法人 風の森」を統括する野上美希さん。

保育士の犠牲の上に成り立つ状況は、「健全」ではない

——「社会福祉法人 風の森」(以下、「風の森」)について簡単にご紹介ください。

野上美希:「風の森」は東京都杉並区で、6つの認可保育園を運営しています。70年にわたって幼稚園を運営してきた経験をもとに立ち上げた保育園で、専門講師によるリトミック、体操、英会話、絵画、茶道などを取り入れた、独自の教育プログラムを実施していることが特徴です。園児は合計で約350人在籍し、保育士は150人ほどいます。

——6園すべてで、国の基準の2倍以上にあたる保育士を配置しているとうかがっています。保育士の数を増やそうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

野上美希:2014年に第1号となる園を立ち上げたのですが、そのときは基準通りの配置でした。しかし、その環境では保育士が休憩を取ることもままならず、子どもたちを迎えてから送り出すまで働き詰め。事務作業や研修、会議などは、子どもたちが帰った後や土日に行うのが当たり前になっていました。

そのせいで、保育士はいつも疲れた顔をしていて……。子どもたちの命を預かる大事な仕事なのに、常に疲れて余裕がないのはよくないですよね。さらには、保育が忙しい大人の都合に合わせたものになっていて、子どもたちが遊びこめない環境になっていました。けれど、それに対して忙しさから疑問を持つ余裕のない保育士がほとんど。「これは健全な状態ではない、これでは子どもたちの可能性を引き出していくことはできない」と思い、翌年から国の基準の1.5倍にあたる人数を配置することにしたんです。

——保育業界全体で、人手が足りないことが「当たり前」になっていたのかもしれませんね。

野上美希:その当たり前が、実は当たり前ではないと気付けたのは、私も事務長も保育とは別の業界で働いていたからかもしれません。国の基準通りに配置しているのに現場が回っておらず、保育士が自分を犠牲にしてやっと成り立っている。そんな運営はどう考えてもおかしいですよね。それで「基準に関係なく人を増やそう」と決心し、体制を変えることにしました。

「社会福祉法人 風の森」で事務長をつとめる野上巌さん。

ただ増やすだけでなく、「何を目指して増やすのか」を考えることが大事

——他業界を経験した視点から、保育士さんの増員以外に実践された施策はありますか?

野上美希:当時は保育計画や指導案、シフトなどがすべて手書きだったので、生産性の向上も課題だと感じていました。それで、2015年からICT化に取り組み、まずは連絡アプリを導入することにしたんです。その後、月案や週案などをパソコン・タブレットで作成できるようにして、「質を落とさない時短」にも取り組みました。

ただ、ICTの導入で事務作業の負担は軽減できたのですが、それでも「働き方が改善できた」という実感は持てませんでした。やはり限られた人数では、できることに限りがあるんです。

——その点も、増員に踏み切った理由なのですね。話は前後しますが、保育士さんを1.5倍にした際、人員をどのように配置したのでしょうか。

野上美希:最初はクラスのなかに追加で配置したのですが、それだと増員で余裕があるクラスとそうでないクラスに分かれてしまっただけで、園の仕事環境という面ではあまり変化がありませんでした。それでいろいろ考えた末に、休憩を交代制にして休憩時間と勤務時間をきちんと切り替えられるようにしてみたんです。すると、これが想像以上に効果的で、全員がしっかり休憩を取れるようになった上に、業務もうまく回るようになりました。

休憩室でしっかりと休憩を取れるようになったことで、気持ちの切り替えもできるようになったとか。

また、結果として、完全週休二日制の移行にも成功。残業がなくなり、有休も取りやすくなり、働き方が格段に改善されました。

——そこからさらに、保育士を2倍の数に増やしています。なぜでしょうか?

野上美希:配置人数を1.5倍にすることで、環境改善にはつながりました。けれど、時間的な余裕はまだ足りておらず、研修をなかなか受けられず、会議や話し合いの時間をなかなか取れない状況にあったんです。

野上巌:休憩が1日に1時間だけだとしても、月間にすれば20時間以上です。だからこそ、無理のない働き方を実現するには、休憩を取りながらも残業しないことを経営者がこだわらなければ実現できません。その上で配置する保育士の人数を2倍にしたところ、研修や会議を勤務時間内に行えるようになりました。

保育の質の改善・向上につながる取り組みについても、それぞれの勤務時間内でできているので、基準の2倍というのはよい落ち着きどころなのかもしれません。

研修で身に付けたことを他の保育士にシェアし、全体の底上げができています。

野上美希:付け加えるなら、保育士が自分の子どもを保育園に預けられる時間はほぼ決まっているので、残業が多いと仕事が続けられなくなります。人数を増やした背景には「子どもを育てながら長く働ける環境にしたい」という思いもあるんです。

さまざまな課題が解決したことで、子どもたちも落ち着いていった

——増員したことで、園の雰囲気は変わりましたか?

野上美希:見学に来た方からは、「大人の声がしない」と言われることが多いですね。以前は保育士が声を張り上げる場面もありましたから、その点も増員によるよい変化だと思います。

また、「子どもたちが落ち着いている」ともよく言われます。保育士の側に子どもを受け止める余裕がないと、子どもたちはエネルギーを発散するために走り回ったり、大声を出したりすることがあります。しかし、今はどの園にもそれがなく、子どもたちが自分の遊びに没頭する姿を見ることが多くなりました。先生たちが、余裕をもって1人ひとりに対応しているので、子どもたちも「自分を受け止めてくれている」と感じられるようになったのでしょう。

配置人数が増えたことで、子ども1人ひとりに余裕を持って目を向けられるようになりました。

——保護者への対応にも、増員による変化が見られますか?

野上美希:時間に余裕ができた分、保護者に対しても手厚い対応ができていると感じます。待機児童が解消された今は、保護者への対応も保育園を選ぶ際の条件の1つ。これからも、そうした姿勢を大事にしたいですね。

積極的にSNSを活用することで、人員確保に成功

——基準の2倍の人員を確保できたのは、採用活動に成功した好事例でもあると思います。採用活動のなかで、特に効果があったものについてお教えください。

野上巌:効果が大きかったのはSNSの活用です。特にInstagramは若い女性がメインユーザーなので、保育士の採用との親和性も高く、非常に効果が出ています。

——主にどのような情報を発信されているのでしょう。

野上巌:発信しているのは、法人の考え方や「働き方をどう改善してきたか」といった内容です。日々の歩みを知ってもらい、環境改善の取り組みに共感してもらうことで、採用につながっているのではないでしょうか。

一般的な採用サイトで伝えられる情報には限りがあるので、自由度の高いSNSの存在はありがたいですね。仕事を探している方のなかにも、転職先候補を知るための手段としてSNSをチェックする方は多いと思います。

——SNSの投稿内容を決めたり、投稿したりというのはどなたが行っているのですか?

野上巌:基本的には保育士さんにお任せです。投稿内容を会議で決めようとすると、時間がかかって継続するのが大変になるので、更新頻度を保つことを最優先に運用にしています。いつもの保育光景をそれぞれ写真に撮ってもらい、編集・投稿するところまでお願いしているのですが、若い先生方は説明せずともとても上手。すごいなと思います。

保育は日本の未来を作る仕事! 保育をあきらめてほしくない

——最後に、「ほいくらし」読者へメッセージをお願いします。

野上美希:保育士さんには保育士であることをあきらめないでほしいですね。保育は日本の未来を作る仕事です。現状を変えようと試行錯誤する園も増えているので、「労働環境がつらいから保育士を辞めたい」と考えているのであれば、働く保育園を変えるのも選択肢の1つではないでしょうか。

いい保育は子どもたちによりよい環境を提供するだけでなく、保護者や求職者に「この園に預けたい」「この園で働きたい」という熱い思いを芽生えさせます。だからこそ、経営側としても大きな視野を持って抜本的な改革に取り組み、今以上に働きやすい業界にしていきたいですね。

▼社会福祉法人 風の森
https://www.kazenomori.or.jp/

取材・文/万谷絵美  編集/イージーゴー

この記事をSNSでシェア