子どもの笑顔が原動力!セカンドキャリアに保育士を選んだ、元プロ野球選手・高沢秀昭さんの思いとは
(写真提供:社会福祉法人どろんこ会)
神奈川県横浜市にある認可保育園「大豆戸どろんこ保育園」(社会福祉法人どろんこ会運営)。同園には、異色のキャリアを持つ男性保育士が在籍しています。かつてロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)で、プロ野球選手として活躍していた高沢秀昭さんです。
1988年に首位打者と最多安打のタイトルを獲得したほか、外野手としてゴールデングラブ賞を3度受賞するなど、走攻守3拍子そろった名選手だった高沢さん。現役引退後は、ロッテでコーチを17年間、少年野球教室「マリーンズ・アカデミー」でテクニカルコーチを10年間務めました。
そんな野球一筋だった高沢さんが、セカンドキャリアに保育士の道を選んだのはなぜなのでしょうか。保育士としての喜びや学び、キャリアについての考え方などについて、お話をうかがいました。
\お話をうかがった方/
高沢秀昭さん 大豆戸どろんこ保育園 保育士
「子どもたちの純粋な笑顔が見たい」という思いで新たなステージに挑戦
——高沢さんがセカンドキャリアに保育士の道を選んだ理由を教えてください。
高沢:もともと子どもが好きだったのですが、マリーンズ・アカデミーで園児や小学生に野球を教えていたときに、「子どもに関わる仕事が自分の天職なのでは」と強く思うようになりました。
例えば、キャッチボールをうまくできなかった子がはじめてボールを捕れたとき、心の底から「うれしい!」という顔をします。それを見ると「よし、やったな!」と思えて、こちらもうれしくなる。子どもたちのストレートな反応がとても好きなんです。
学年が上がるにつれて遠慮や分別が見られるようになりますが、園児の場合は感情の表し方が本当にまっすぐ。そういう子どもたちの純粋な笑顔が見たくて、保育士になる決意をしたんです。
——プロ野球選手がセカンドキャリアに保育士を選ぶのは、あまり例のないことだと思います。どのような思いで新たなステージに挑戦されたのでしょうか。
高沢:21歳でプロ野球の世界に入ったのですが、その前も中学、高校、社会人とずっと野球をやってきました。引退後も野球に関わり続けたので、トータルで50年近くが野球一筋の人生。正直、野球に関してはやり尽くした感があり、「もうおなかいっぱいだ」と感じていたんです(笑)。それで、「元気なうちに野球以外のことをやってみよう」と考え、これまでの経験を生かしつつ子どもたちと関われる仕事を探した結果、保育士という選択肢にたどり着きました。
今では「もう1回人生をやり直すなら、野球選手ではなく保育士や小児科の医師になりたい」と思うほど、子どもと関わる仕事にやりがいを感じています。
若い仲間との協調が良い刺激になった保育専門学校時代
——保育士として働くためには資格が必要です。資格取得のために通われた専門学校では、どのような経験をされましたか。
高沢:専門学校に入学したときは、すでに60歳すぎ。なので、40歳以上も年下の学生たちと一緒に学んでいました。入学の面接では「本当に大丈夫ですか?」と聞かれましたが、自分では自信があったので「大丈夫です!」と答えて、入学を認めてもらったんです。抵抗はなかったかと聞かれることも多いのですが、若い学生たちと一緒に過ごす時間は、刺激的で楽しかったですよ。
ただ、実習に対しては、「子どもたちに受け入れてもらえるだろうか」「施設の方にどう思われるだろうか」と不安でした。経歴についても聞かれれば答えますが、どんな風に思われるか想像がつかなかったので、基本的には言わないようにしていました。
専門学校時代にいちばん苦労したのは、ピアノの授業です。それまで、ピアノはまったくの未経験。自宅に娘が使っていたピアノがあったので、授業だけでなくピアノ教室にも通って必死に練習しました。
——専門学校時代の思い出で、特に印象に残っていることはありますか?
高沢:若い学生たちが、次第に打ち解け、私を仲間として認めてくれたことがうれしかったです。一緒にイベントの準備をしたり、課題に取り組んだりするなかで、いろいろな人と協調することの大切さも再認識しました。
プロ野球の世界も、「チームのために頑張る」というのが大前提ですが、一方で選手それぞれがライバルだったりもします。しかし、保育の世界ではいろいろな考え方や背景を持つ人たちが、力を合わせて子どもたち1人ひとりの成長を支える必要がある。そうした気づきや経験が、今の保育士人生の土台になっていると思います。
ベテランの先生の言葉掛けや保育技術を見ながら、勉強を続ける毎日
——大豆戸どろんこ保育園での仕事についてもお聞かせください。
高沢:はじめて担当したのは1歳児でした。寝返りを打つだけだった子が、しばらくすると立って歩き回り、言葉もどんどん増えていく。そういった成長を間近で見ていると、保育士として大きな喜びを感じます。
子どもたちからは、「じいじ」や「ひであき」と呼ばれています。「ひであき先生」と呼んでくれる子もいますが、年齢的におじいちゃん扱いされることが多いですね(笑)。でも、子どもたちは親しみを持ってそう呼んでくれるので、とてもうれしいです。
もちろん、まわりの先生からも日々多くのことを学んでいます。例えば、着替えや食事の時間に、スムーズに切り替えができない子がいたとします。そんなときベテランの先生は、「そろそろ食べようか」とせかすのではなく、「もう少し遊んでから食べようか」と子どもの気持ちに寄り添った言葉掛けをするんです。そういった子どもへの接し方や保育の技術を見ていると、本当に勉強になります。
保育士は子どもたちと遊び、笑顔に囲まれながら保育の理念を実践していく、とても深みのある仕事です。だからこそ、毎日「今日も面白かったな」と仕事を振り返りながら、保育士になってよかったと感じています。
——元プロ野球選手の視点から、保育士のどういったところに魅力を感じていますか?
高沢:プロ野球は、常に勝ち負けや評価へのプレッシャーがつきまとう世界です。ホームランを打ったり、いいプレーをしたりした瞬間はもちろんうれしいのですが、すぐに次の試合のことを考えなければならない。毎日が勝負の連続で、なかなか楽しいと感じる余裕がなかったように思います。
一方で、保育士の仕事は、子どもたちの笑顔に囲まれていること自体が大きな喜びです。子どもたちと一緒に遊んだり、面白い出来事があったりすると、思わず笑みがこぼれるんですよね。そうやって、純粋に喜びや楽しさを感じられるのが、保育士という仕事の大きな魅力ではないでしょうか。
「きっと大丈夫」の精神で、まずは一歩を踏み出しましょう!
——ご自身の今後の目標と、保育士を志望する若い方たちへのメッセージをお願いします。
高沢:今後の目標は、できるだけ長く保育の仕事を続けていくことです。退職したら、自宅で子どもを預かって、「家庭的保育事業(※)」を行う選択肢もありかなと考えているんです。ただ、年齢的なこともあるので、体調管理には気をつけないといけませんね。
若い人には、「子どもが好きな人にとって、保育士はとてもやりがいのある仕事だよ」と伝えたいです。大変なこともありますが、それ以上に得られるものは大きいので、保育士の仕事に少しでも興味があるなら、ぜひチャレンジしてほしいと思います。
また、保育士は経験を積むことで、主任や園長といった管理職に就くこともできますし、将来的には自分で保育園を経営することも可能です。さまざまな道があるので、夢を大きく持ってほしいですね。
※保育者の居宅などで、少人数の乳幼児(3歳未満)を対象に保育サービスを提供する認可事業。
——高沢さんはセカンドキャリアとして保育士を選ばれましたが、「セカンドキャリアへの一歩が踏み出せない」という方に伝えたいことはありますか?
高沢:セカンドキャリアに挑戦するのは、勇気がいることだと思います。特に、経験したことのない分野に飛び込む場合は、不安が大きいですよね。でも、私が保育士の世界に飛び込んでみて実感したのは、「不安の多くが杞憂だった」ということです。
保育の専門学校に通い始めたときも、現場に出たときも、「自分にできるだろうか」という不安はありました。でも、まわりの人たちに支えられて、今は保育士として充実した日々を送れています。ですから、セカンドキャリアに迷っている方には「結果を恐れずに、まずは一歩を踏み出してほしい」と伝えたいですね。不安を感じるのは当然ですが、「きっと大丈夫」という前向きな気持ちを持ってください。困ったときはまわりの人たちの力を借りてください。そうすることで、きっと道は開けるはずです。
私自身、「良いことも悪いことも、始まれば終わる」を信条としています。新しいことにチャレンジするときは、うまくいくかどうかで悩んでしまう場面もありますが、始めてしまえば、必ず終わりがきます。だったら、悩んでいる時間はもったいないと思いませんか?
そして、何事も一歩を踏み出してチャレンジしてみないと、本当のことはわかりません。もしうまくいかないときは、そこからまた別の道を探せばいいんです。大切なのは、「自分の人生をより良いものにしたい」という気持ちを持ち続けることだと思います。一緒にがんばりましょう。
◆大豆戸どろんこ保育園:https://www.doronko.jp/facilities/doronko-mamedo/
取材・文/二階堂ねこ 編集/イージーゴー